ラ・メゾン 小説家と娼婦

結局、客の男を描いているだけじゃないのか…

現実の小説家が新作のために2年間娼婦として働き、その実体験を書き綴ったという小説『La Maison』の映画化です。映画がどうこう以前に、その小説家の行為自体が問題にされたり、描かれる性行為のシーンに注目がいったりしますので、映画としては評価が難しい映画です。

オートフィクション『La Maison』

監督はアニッサ・ボンヌフォンさんという、この映画が初の長編劇映画という方です。私は見ていませんが、2019年の「ワンダーボーイ」というドキュメンタリーで注目されたとあります。2021年には「Nadia」というアフガニスタンからデンマークに避難したサッカー選手を追ったドキュメンタリーも撮っています。

主演はアナ・ジラルドさん、以前から結構見ている俳優さんですが、最近では「パリのどこかで、あなたと」や「おかえり、ブルゴーニュへ」と立て続けにセドリック・クラピッシュ監督の映画に出ています。

原作の著者エマ・ベッケルさんは現在35歳くらいの方です。2011年に『Mr.』という女子学生と年上の既婚男性の関係を書いたデビュー作で注目されたようです。その後祖母(ドイツ人…)が暮らすベルリンへ移り、2015年に2冊めの『Alice』を出版、そして2019年にこの『La Maison』ということです。どの作品も邦訳はありません。

『Mr.』も自身の経験にもとづいているらしく、オートフィクションの作家ということになるのでしょう。

ドイツでは売春が合法らしい…

役名も作家エマ・ベッケルさんのエマのままです。ほとんど前ぶりもなくエマ(アナ・ジラルド)はベルリンの娼館で働き始めます。あえて言えば、性的関係のある作家仲間の男と妹に小説のためにベルリンへ行って娼婦を体験するつもりだと告げることくらいです。

妹は猛烈に反対します。妹もベルリンへ一緒に行ったような描き方になっていますので映画の創作じゃないかと思います(未確認…)。作家仲間の男は大した反応はしていなかったと思います。

なぜベルリンかはドイツでは売春が合法だからでしょう。合法とはどういうことかをざっとググってみましたら、2001年に売春者と顧客との間の契約に法的効力が認めらたということです。ただ、事業者には社会保険加入が義務付けられたり、具体的に何を指すのかはわかりませんが事業者による売春者の搾取は処罰の対象になるようです。

考え方としては、個人が自由意志で選択するものは許されるべきという考え方のようです。ただ、後に述べますが、完全なる自由意志なんてものはなく、そうせざるを得ない状態で選択した行為を自由意志と言えるかどうかという問題があります。

で、映画ですが、ベルリンでのシーンは2軒の娼館での体験がいろいろ描かれていくだけです。2シーンほど危ない客の相手をするシーンがあり、映画ではそのうちのひとりとの件が娼婦をやめるきっかけになったように描かれています。

また、ベルリンで知り合った男との恋愛関係も描かれ、男に小説のために娼婦をしていると告げ、男は戸惑うもののその後も付き合いが続き、男が理解するよう努力していると語るシーンがあります。そのままフェードアウトしていましたし、さほど重要なこととも感じられませんでしたのでこれも映画の創作かも知れません(未確認です…)。

結局、客を描いているだけじゃないのか…

率直なところ、映画が原作のポイントをきちんと抑えているとするなら、映画からは、体験したことによって原作者にみえてきたと言えるものはほとんど感じられず、この内容を創作として書けなければ小説家とは言えないと思います。

そうだとすれば、小説の狙いは作家自身の体験によるというセンセーショナルな狙い以上のものはないと言えます。

結局描かれているのは客としてやってくる男性たちのことであり、娼婦としての女性の意識としては、人には言えないけれど仕事としての自負心があることくらいで、個々の女性についての描写も全く無く、単に娼婦としてのくくりで描いているだけです。

エマ自身の内面的なものを描く視点もありません。セックスワーカーとして仕事をこなしていると描いているだけです。こんな男たちがいたというだけで、娼婦という立場で自分自身に変化があったとも感じられません。映画的にも、相手の男がエマにコカインを吸わせようとしたり、避妊具をつけずにやろうとしたりというありきたり(映画描写的にという意味…)の怖さを描いているだけです。

売春は自由意志か?

早い話、金銭的に困っていない者が売春という職業を選択するかということにつきます。困り方に様々なケースがあるにしてもです。

この映画の中のラ・メゾンは高級娼館と紹介されています。そもそも高級って何よとは思いますが、そこで働く娼婦たち自身が人に言えない職業だと言っており、ある娼婦はエマが潜入取材ではないかと疑い、内密にしないといけない者もいると釘を刺すシーンもあります。生活のためにやむを得ずというケースが多いと考えられます。

ドイツにおける合法化に明らかなように、売春とは性の商品化であり、他の労働と同じように売るべきものではないものを売っている、売らされている、商品化してはいけないものです。さらに売春の特殊性は圧倒的に買う側が男であり、売る側が女であるという非対称性にあり、女性抑圧の最たるものという側面にあります。

ですので、潜入ルポであれ、小説であれ、そうした視点のないものは、それが女性のものである場合は脳内男性によるものでしかないということです。

ただ、原作の問題はともかくとして、この映画に意味があるとすれば、それは売春という行為をいわゆる性行為として描いていないという点です。その点では、良くも悪くも売春が性の商品化という労働であることはよくわかる映画ではあります。