わたくしどもは。

わたくしどもは〇〇です。という〇〇の日常です。

監督の富名哲也さんという名は初めて目にしますが、紹介文に「ベネチア国際映画祭が新鋭監督を支援するプロジェクトBiennale College Cinema 2018-2019インターナショナル部門9作品のうち日本から唯一選出」されたとあり、それがどういうものかわからないにしても、俳優も知名度の高い人たちばかりですので期待値はそれなりに高いのですが…。

わたくしどもは。 / 監督:富名哲也

わたくしどもは〇〇です。

〇〇に何が入るかはかなり早い段階でわかります。幽霊、と言いますか、死後の世界というのともちょっと違い、生も死もあまり関係のない人間たちの話です。

まあ、結局、幽霊です(笑)。

「Biennale College Cinema 2018-2019インターナショナル」で選ばれたとありますのでググってみましたら確かにあります。

「Are we seen…or unseen by you?」これだけしかありません。ビジュアルも桜ですね。

「私たちはあなたたちに見えてる? 見えてない?」seen ですからそうじゃないですね。「私たちはあなたたちに見られてる? 見られていない?」こういうことでしょうか。

100分はもたない…

ワンテーマと言いますか、ワンプロットと言いますか、ワンシチュエーションと言いますか、最初から最後までまったく変わりません。

嫌味でもなんでもなく、これで100分間やり切ることには驚きます。この状態ならほとんどの人はなにか変えようとしますし、何か加えようとすると思いますが、富名哲也監督は、100分間をワンテーマ、ワンプロット、ワンシチュエーションでやりきっています。すごいと言えば嫌味になってしまいますが、普通、こういうことはあまりしないでしょう。

女(小松菜奈)と男(松田龍平)が心中します。これが生前世界かどうかもわかりません。というよりも、あまり気にしていないんじゃないでしょうか。

佐渡の金山跡地で女が倒れています。清掃員として働くキイ(大竹しのぶ)が発見し家につれていきます。キイは名前がないという女にミドリという名をつけます。またその家には子どもが二人(色の名前で呼ばれていた…)がいます。清掃員として働くことになったミドリは男と出会います。男はアオと名乗ります。

という幽霊たちの日常生活(だと思う…)がこの後100分間描かれます。その世界には他にムラサキ(石橋静河)がいます。このムラサキにはバスガイドのシーンもありますし、アオと親しいようなシーンもあります。何らかの理由で死んだんでしょう。

他には女性になりたい高校生(片岡千之助)、その母親(内田也哉子)、爛れた男(森山開次)、館長(田中泯)、能楽師(辰巳満次郎)が登場します。これらは幽霊じゃないとは思いますが、おそらくそんなここはどっちでもいいというのがテーマなんだろうと思います。

後半になって、キイが49日だからと消えていき、二人の子どもも消えていきました。高校生は自ら縄を綯って自殺を図り失敗していました。ムラサキは出てこなくなっていましたので49日が過ぎたのかもしれません。

ミドリもアオも49日は過ぎているんでしょうが、消してしまえば映画が成り立ちません。

で、ラストはアオとミドリがバイク事故で転倒、ミドリが「二度は死ねないね」みたいなことを言って二人でトンネルの中を歩いていきます。

このバイク事故で倒れた二人と冒頭の心中で倒れた二人の映像が重ね合わされて終わります。

さすがにこのワンテーマ、ワンプロット、ワンシチュエーションなら30分でしょう。

映画向きの話ではないんじゃないの…

そもそも話なんてもの自体がないような映画ですが、これを見られるものにするためには俳優たちがじっくり人物を自分のものにしていかないととても見られるものにはならないと思います。つまり、見られるものなっていないということですが、俳優たち皆、戸惑っています。

映画向きの話ではなく舞台でやるべき題材(というものがあれば…)です。

小松菜奈さん、つらそうでした。何度か吹き出しそうになったんじゃないでしょうか。

松田龍平さん、もともとコイイ演技をする俳優さんじゃないですからこういうのは得意でしょう。でも、やっつけです。

大竹しのぶさん、やっぱり戸惑いがあったんじゃないでしょうか。まあでもキャリアがありますから。

それに、これ、佐渡である必要はないですね。幽霊たちに佐渡である必然性を絡めないと意味がなくもったいないです。