バービー

本編とは異質なルース・ハンドラーとのダイアログがグレタ・ガーウィグ監督の本音か…

グレタ・ガーウィグ監督ですので興味はあったんですが、なんとなく見そびれてしまいDVD視聴になりました。それにしても大胆な映画を撮ったものですね。フェミニズム的にはどっちからも批判されそうな映画です。

バービー / 監督:グレタ・ガーウィグ

グレタ・ガーウィグ監督のフェミニズム遍歴か…

結果的にはDVD視聴でよかったです。こんな単純化された映画って面白いですか(ゴメン…)。それに、これ、ガーウィグ監督は本気で撮ったんですかね。

パンデミック中に思いついたガーウィグ監督のお遊びかもしれません。あれこれ考える時間も多いですので、ふと子どもの頃に遊んだバービーってなんだったんだろうと考えているうちに、映画にしてみるかとなり、でもこんなのシリアスにやったら、それこそダサいだの、イケてないだの(今はなんて言うんだろう(笑)…)と言われそうだから、そうだ、徹底的に単純化すれば面白いかもね、みたいに始まったんじゃないでしょうか。

という意味でいけば、この映画、グレタ・ガーウィグ監督のフェミニズム遍歴の映画ということでしょう(適当です…)。

幼い頃は赤ちゃん人形で楽しかった、自分みたいだし、自分もママのようになれるんだと思った。でも物心つく頃になり、ふと見たバービーの可愛いこと! 一瞬で虜になった。自分もこんな大人の女性になるんだ! と思った。でも、学校に通い始め、社会というものを知り、他人の目を感じる頃には、なに、この男たちの視線は?! と嫌だったし、それにバービーはなんにでもなれたのに、実際は見えない壁に囲われているようだし天井にはガラスがあるみたい。ああ、これはきっと男たちが力を持っているからに違いない、男たちをやっつけよう! と、思ってはみたものの、なぜか男たちもつらそうにみえる。え? どういうこと?

で、どうまとめるかの段になり、まあ、女だの男だのとごちゃごちゃ言っていないで、まわりを気にせず自分らしく生きればいいんだ! 今は多様性の時代だからと、まとめたんじゃないかと思います(まったく適当です…)。

さすがにマテル社をぶっ壊すことはできなかったようです。

ルース・ハンドラーとのダイアログは複雑…

それもそのはず、そもそもこの映画、ガーウィグ監督の企画ではなく、バービーを演じているマーゴット・ロビーさんの制作会社ラッキーチャップ・エンタテインメントの企画でした。ロビーさん本人がマテル社から映画化権を取得したということです。

そりゃ、いくらガーウィグ監督といえどもこうなります。

で、バービーランドの大団円的なまとめはそういうことだと思いますが、その後にくっついているルース・ハンドラーとバービーとのダイアログと、その後バービーが現実のロサンゼルスに降り立つシーンはなんだか奇妙な感じです。

ルース・ハンドラーがいきなり「人間として生きるのは大変よ」なんて言い出します。続いて、

ルース:人間が男社会やバービーを作るのは過酷な現実を乗り切るため
バービー:よく分かる
ルース:それに死ぬ
バービー:そうね
バービー:ええ

とあり、かなりのタメがあってバービーが「でも人間として生きて意味を見つけたい」とルースに許可を求めるように言いますと、ルースは「許可は必要ない」と答え、さらにバービーが「生みの親でしょ 支配しないの?」と尋ねますと「できっこない」と答えます。

また、ルースは「娘が来た道を振り返れるよう母親は出発点に立ち続けるの」とも言います。

上の「人間が男社会やバービーを作るのは…」の行のセリフは

humans make things up like patriarchy and Barbie just to deal with how uncomfortable it is.

と言っており、「patriarchy」は、日本語では「家父長制」とか「父権主義」と訳される言葉です。「make things up」は「でっち上げる」とか「ありもしないものを作る」という場合に使うようですので、原文には字幕よりも強い意味合いが込められているように感じます。

「人間が男性優位社会やバービーというありもしないものを作るのはこの生きにくい社会に対処するため」ということかと思いますが、これがなかなか意味不明で「uncomfortable」は一体何を指しているんでしょう。男性優位社会を肯定しているようにもとれます。

それにその後の「それに死ぬ」の主語は「you」ですので、バービーに「人間になれば死ぬことになるよ」と釘を刺しています。

母であることを意識するガーウィグ監督か…

そして、ルースが娘と母親について語る行は、

We mothers stand still so our daughters can look back to see how far they’ve come.

「私たち母親は、娘たちがいま自分がどこにいるのか(どこまで来たのか)振り返って分かるように存在している」

こんな意味合いでしょうかね。これはガーウィグ監督自身が母親になったことからの言葉かもしれません。バービーが現実のロサンゼルスに降り立って、まず行くところが婦人科病院というのもなんだか意味深で複雑です。

ただ、男性優位社会にしても、この母親と娘の行にしてもかなり保守的にみえます。

グレタ・ガーウィグ監督、次なる映画を見てみないと分かりません。