ヌレエフ亡命のラストシーンは見ごたえがあります
ルドルフ・ヌレエフ。
バレエ好きでなくとも、映画や舞台などアート系の情報に目を通していれば、必ず目にしている名前だと思います。というよりも、映画ファンであれば、「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンが演じたセルゲイのモデルといったほうが早いかもしれません。
そのヌレエフが、海外公演の途中の1961年6月16日、パリのル・ブルジェ空港でフランスに亡命するまでの5週間の滞在期間を中心に、そこに至る幼い頃やレニングラードのバレエ学校時代の過去映像を織り交ぜて、青年期のヌレエフを描いていきます。
ということなんですが、見るべきところはほぼラストの亡命シーンくらいで、そこまでは、現在と過去の映像がかなり細かく編集されてわかりにくいこともあり、なかなかヌレエフの人物像や凄さが浮び上がってこず、映画としても退屈します。
ただ、亡命シーンについては、静かな緊迫感に満ちて結構見ごたえがあります。
この映画の制作は BBC Films なんですが、実は BBCは、2015年に「Dance to Freedom」というヌレエフの亡命についてのドキュメンタリー系ドラマを制作しており、亡命シーンはかなり似た作りになっています。
Rudolf Nureyev | Dance to Freedom BBC | in English
率直なところ、この BBCドラマを超えるような出来にはなっていません。
幼い頃の物語としては、シベリア鉄道の中で生まれたこと、母親に連れられて見たオペラの影響でダンスを始めたこと、そして民族舞踊系のダンスを習っていたことなどが、アスペクト比を変えたモノクロの映像で語られます。
鉄道の中で生まれたことを強調したかったのか、幼い頃に鉄道模型で遊ぶシーンを入れ、現在のパリシーンでは、クララとともに模型店を訪れ、子どもの頃に戻ったかのように目を輝かせて模型を見つめるも、これじゃない!これは安物だ!もっといいものを出せ!と店員を罵倒するようなことを言い、多分身勝手さの演出だとは思いますが、映画の流れとしてはかなり異様な感じでした。
父親は軍人であったらしく、不在によるヌレエフの孤独を描いていたのか、父親の教育の一環のシーンなのか、雪の森へヌレエフを連れて出掛け、木を切り焚き火を起こし、父親はどこかへ行ってしまい、ヌレエフが「パーパ!(だったかな?)」と空に向かって叫ぶという、よくわからないシーンがありました。
残念ながら、幼い頃のこうした描き方がヌレエフという人物の物語にうまくつながっていかないんですよね。編集にも問題がるのでしょうが、映画の流れにいきなり割り込んでくる感じがします。
そして、17歳のヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)はキーロフ・バレエ付属のバレエ学校(だと思う)に入学します。描き方としては、ひとり、学校の門を叩き入学するも、指導教師を気に入らず、もっと良い教師に習いたいとプーシキン(レイフ・ファインズ監督自身)という師を得て伸びていくという、結構単純で乱暴な流れになっています。
多分本当に身勝手な人物だったんでしょうが、そこが強調されすぎていて、すごいなあという感じがしません。バレエシーンでおおー!という感嘆がもれるところがないと人物が小さくなります。
年齢から計算しますと、17歳ということは1955年ですから、亡命する1961年までの6年間をレニングラードで過ごしたということになり、キーロフ・バレエへの入団が1958年ですから、学校時代3年、ソリストとして踊ったのが3年ということになります。そうした時間の流れが感じられず、成長していくヌレエフが見えてきません。
このパートの描き方に厚みがないのが、映画の一番の問題ではないかと思います。
それに、ヌレエフとプーシキンの妻の関係は事実なんでしょうか? かなり早い段階からヌレエフを気遣う妻のシーンはありましたが、ある時、ヌレエフが足をけがして入院しているところへ妻が来て家へ来なさいと、それも個室ではなく、夫婦の寝室兼ダイニングのような部屋に衝立を置いて同居するということになり、ある日突然、妻の方からヌレエフを求め、ヌレエフは目を白黒させつつもそれに応えるというシーンを入れていました。
これ、何でしょうね? 物語としてもまったく意味がありませんし、まるでサービスカットのようです。こんなの入れるのなら、もっとバレエシーンを入れるべきでしょう。
そして、パリ公演のパートです。バレエ団員たちは KGBの監視下に置かれ、フランス人との接触や外出も制限されています。しかし、ヌレエフは構わず、パーティーでフランス人ダンサーに話しかけ、クララ・サン(アデル・エグザルホプロス)を紹介されます。
このクララという人物がどういう人物なのか、亡命シーンではヌレエフを助けられる人物というような台詞もあり、また自ら、誰々(政界の有力者)の息子である恋人を失ったばかりで喪に服していると言っていたり、その後、ふたりの外出シーンがかなりを占めるのですが、映画からはどんな人物かは全くわかりません。
BBCのドラマにはインタビューの音声が入っており、彼はあなたを愛していた? と聞かれ、即座に「いいえ、そうじゃないと思う。」と答え、「あの頃、私は何もせずまったく自由だったから興味を持ったんじゃないの。私と一緒にいればいろいろなことが簡単にできたし。(訳が間違っているかも)」と、いろいろあったんだろうなあと思わせるニュアンスで語っています。
恋人関係ではなかったんだろうとは思います。17歳のパートでは同性への好意を匂わせたシーンもありましたし、実際そうであったようです。
このクララ・サン、多分パトロンとしてなんだと思いますが、その後、40年にわたり、イヴ・サンローランやアンディ・ウォーホールを支えたと BBCドラマは言っています。
ヌレエフの人物像としては、幾度も美術館に足を運ぶシーンがあり、絵画を見ることはダンスのイマジネーションの源だというようなことを語らせていましたが、このパートでもそれがバレエシーンにつながっていっていませんので、やはり物足りなく感じます。
ロシア料理店のシーンも異様でした。ロシア人のホール担当者が自分を田舎者扱いにしていると怒鳴り散らし、クララにまで当たり、クララに席を立たせてしまい、そのことを気にかけているかと思いきや、後日、クララが謝りたいの?と尋ねるも、ヌレエフは首をかしげるばかりで、クララが覚えていないの?と言いますとニコリとするという、ここも身勝手さのシーンだと思いますが、なんだかエピソードだけをつなげているような印象で唐突ですよね。
ということで、クライマックスの亡命シーンです。
パリ公演も終わり、ロンドンへ向かう空港です。団員たちがゲートに向かう中、ヌレエフだけが KGBに止められ、モスクワに戻るよう指示されます。理由にフルシチョフの前で踊るためだとか、母が危篤だとか言われますが、ヌレエフは拘束の危険を感じ友人のフランス人ダンサーに助けを求めます。
クララが呼ばれます。クララは別れの抱擁をし、ヌレエフの耳元で「あなたはどうしたいの?」と尋ねます。ヌレエフが「自由になりたい」と答えますと「あなたの後ろのふたりは警察官よ」と教えます。
ヌレエフは警察官のもとに駆け寄り「亡命したい」と告げます。
この亡命シーンでやっと映画になってきたという感じではありました。ただ、これ、BBCドラマをほぼ踏襲しています。Youtubeをご覧ください。
監督は、レイフ・ファインズさん、出演作はかなり見ていますが、監督としてはこれが三作目で、私は初めて見ました。
ところで、エンドロールでリーアム・ニーソンの名前を見かけ、ん? と思い、今ググりましたら、「シンドラーのリスト」以来の親友らしく、この映画のプロデューサー(じゃないかも?)に名を連ねているということのようです。
ということで、シナリオのせいもあるかとは思いますが、ドラマの流れにリズムがなく物語としての流れがよくありません。それに、BBCドラマを見てしまいますと、二番煎じ的に見えて冒険もなくつまらないです。
オレグ・イヴェンコさんのダンサー能力も高そうですので、もっとダイナミックなバレエシーンを入れてドラマチックにしたほうが BBCドラマを超えられたんじゃないかと思います。
アデル・エグザルホプロスさんは「アデル、ブルーは熱い色」以来です。アデルさんどうこうではなく、これはミスキャストでしょう。