3年半ほど前に「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」を見て知ったチャン・リュル監督の2021年の最新作です。「慶州」が2014年の映画で、この「柳川」との間に「福岡」「群山」とあと2本撮っているようです。1年1本ペースの多作な監督です。
色恋話と死
「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」はかなり印象に残った映画で、そのレビューのまとめ的なもののひとつが「ちょっと上品なホン・サンス」というものでした。韓国の話でしたので余計にそう感じたのでしょう。でも、この映画ではもうすでにその印象も消えてチャン・リュル監督の映画だなあと感じます。
そしてもうひとつのまとめが「人間くさい俗なものが持つ、それとは裏腹の無常観」が基本的なテーマではないかというものでした。
そうした印象があったからかも知れませんが、この映画も同じように「人間くさい色恋話」と「死」がテーマじゃないかと思います。それがチャン・リュル監督の映画だなあと感じた大きな理由です。
北京です。40歳前後のドンとチェン兄弟、そして20年前にチェンの恋人だったチュアンの3人を中心に話は進みます。
弟のドン(チャン・ルーイー)が末期がんを告げられます。ドンは兄チェン(シン・バイチン)に一緒に日本の柳川に行こうと誘います。理由を尋ねるチェンに、ドンは柳川の文字を示し読んでみろと言います。「リウチュアン」、20年前のチェンの恋人と同じ読みであり、そのチュアン(ニー・ニー)が柳川にいるというのです。
この監督の映画には余計な(と監督が思う…)シーンはありません。チェンには妻や子どもがいますし仕事もあるでしょうからそう簡単にはことは進まないはずですが、もう次のシーンは柳川です。
それともうひとつ、この監督は物語に必要な登場人物以外のエキストラはほとんど使いません(2本見ただけです…)。ですので町中のシーンでもまったく(ほとんど…)人はいません。こうしたつくりからも独特な雰囲気が生まれてきます。
そして、柳川です。話の軸は、実はドンはチュアンが好きだったし、今もその思いを持っているということです。つまり、自分が「死」ぬ前にもう一度チュアンに会いたい、出来るならばその思いを遂げたいということです。
でも、チャン・リュル監督はそれを単純な色恋話にはしません。ドンには決してその思いを口にさせたり、思いを遂げさしたりはしません。色恋話はドンのまわりの人物が担当し、ドン本人は、「慶州」のヒョンとユニがそうであったように実在感の薄い人物として描かれていきます。
再会した3人は、時には2人で、とりとめなく昔話をします。チュアンは20年前ふたりの前から突然姿を消しています。チュンが他の女性に心変わりしたからだとも、ドンがチュアンの胸に触ったからだとも、もう遠い過去の話として語られる程度の話ですが、いずれにしても下世話な色恋話です。さらにチュアンが言うには、その時父親はもうひとつの家族を持っていて、それを知った母は怒って私を連れてロンドンへ移っただけと話します。何が本当の話かということではありません。
そしてその夜、チェンがチュアンの部屋に入っていきます。そのカットで終わっています。また、後半にはそのふたりの部屋のワンシーンがあり、チェンが最近勃たなくなったんだと言っています。
二人の柳川での宿泊はゲストハウスです。そのオーナー中山(池松壮亮)は、チュアンがロンドンで「あなたは私の故郷だ」と言われて知り合った人物で、1年前(2年前だったか…)からそのゲストハウスに滞在し、近くのライブバーで歌っています。
で、その中山がチュアンに好きだったと告白する役回りとなっています。それに中山にも死の影がつきまとっています。中山には17歳のときに望まぬ結果ではあったが娘が生まれています。その母は数年前(だったか…)に亡くなっていると語ります。その娘も後半に行方知れずになっています。何も語られませんが雰囲気的には家出の感じで、おそらくいなくなることが映画的に重要なんだろうと思います。
チェンが先に北京に帰ることになります。その夜、ドンはチュアンの部屋に向かいます。しかし中に入る決心がつきません。
そして、1年後の北京、すでにドンは亡くなっています。チェンのもとに駆けつけるチュアン、チュアンはドンの寝室に入り、何も残されていないベッドに横たわり横向きに丸くなります。
このポーズ、いわゆる胎児型のポーズは映画の中で頻繁に登場します。柳川のゲストハウスの部屋の布団の上のドン、中山が居酒屋で堀留を説明するポーズ、庭のベンチでのドンとチェン(チュアンだったか…)、そしてラストシーンのチュアン、母親の胎内のイメージと、そして「死」のイメージだと思います。
歌とダンス
この映画では歌とダンスが印象的に使われています。
柳川での再会のシーンは、チュアンがライブバーで歌うシーンです。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「Oh My Love」だそうです。かなり強引ですが、柳川がオノ・ヨーコのゆかりの地(祖父の故郷?)であることからのようです。
映画の中ほどにはオノ・ヨーコのそっくりさんが登場して「Oh Yoko!」を歌っていました。ちょっと意味不明なギャグシーンです。
他にも何曲か、劇伴ではなく映画の中の人物が歌うという入れ方をしています。書いていませんでしたが、居酒屋の店主として中野良子さんがキャスティングされており、ドンの口笛に合わせて歌っていたのは美空ひばりさんの「悲しき口笛」でしたでしょうか。
そうそう、中野良子さんで思い出しました。チュアンと中野良子さんが居酒屋で向かい合ってそれぞれ中国語と日本語で会話し、互いに言葉はわからないけど伝わってくるわと言い合うシーンはいいシーンでした。
音楽に戻って、ラストシーン、チェンがチュアンにドンが残していったレコーダー(マイクロカセットだと思う…)を渡します。チュアンは、何も残したくない(だったか…)と言っていたくせにと言いながらレコーダーをスタートさせます。ドンが柳川で自分はチュアンの声を録音したと言っていた歌が流れます。
あれは何という曲だったのでしょう?「Oh My Love」だったかも知れませんが、そもそも知らない曲ですのでわかりませんでした。
そして、ダンス。3人で夜の柳川をとりとめのない話をしながら歩いています。チェンが自動販売機に駆け寄りスマホをかざしますと音楽が流れます。自動販売機をジュークボックスに見立てスマホ決済したということだと思います。ユニークな発想でいいですね。
タンゴ(だったと思う…)が流れます。おもむろにチュアンが踊り始めます。
このシーン、美しかったですね。ニー・ニーさん、うまいです。
柳川を撮る
九州のどこかくらいにしか知らなかった柳川ですがいいところですね。博多から1時間くらいのようです。
チャン・リュル監督の最近の映画は町の名前そのままが多く、まだ見ていない「福岡」「群山」もそうですし「慶州」もそうでした。
「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」では映画だけではなく慶州という土地にも魅力を感じたんですが、さすがにこの「柳川」は日本ですので美しくは感じても特に感慨はなく、逆に考えれば「慶州」も異国であるから新鮮に感じたということで、その意味ではチャン・リュル監督はごく自然にその土地のよさを撮っているということになります。
男の甘え
これは批判ではありませんが、「慶州」もこの「柳川」も、ベースにあるのは男の甘えだと思います。チャン・リュル監督が男性ですのでごく自然な形で女性=母的なものへの甘えが映画になっているのだと思います。