ぼくは君たちを憎まないことにした

アントワーヌ・レリスさんの著書『ぼくは君たちを憎まないことにした(Vous n’aurez pas ma haine)』の映画化

2015年11月13日に起きたパリ同時多発テロ事件の標的のひとつ、バタクラン劇場で妻を亡くしたアントワーヌ・レリスさんの著書『ぼくは君たちを憎まないことにした(Vous n’aurez pas ma haine, You Will Not Have My Hate)』の映画化です。

ぼくは君たちを憎まないことにした / 監督:キリアン・リートホーフ

パリ同時多発テロ事件…

2015年11月13日、バタクラン劇場ではアメリカのロックバンド イーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが行われていました。そこに「4人のテロリストが乱入して、10分程度銃を乱射し(ウィキペディア)」89人の観客が死亡した事件です。

そのうちのひとりがアントワーヌ・レリスさんの妻エレーヌさんで、エレーヌさんはロックやヘヴィメタが好きだったということです。アントワーヌさんとは趣味が違っており、映画ではエレーヌさんは友人と一緒に行っていました。

アントワーヌさんはその3日後に「金曜の夜、君たちはぼくにとってかけがえのない人の命を奪った。彼女はぼくの最愛の妻であり、息子の母親だった。だが、ぼくは君たちを憎まないことにした。(クーリエ・ジャポンに日本語訳の全文があります)」で始まるテロリストたちへの公開書簡を Facebook に投稿したそうです。

https://www.facebook.com/antoine.leiris/posts/10154457849999947

On Friday night you stole the life of an exceptional person, the love of my life, the mother of my son, but you will not have my hate.

You Will Not Have My Hate

その投稿は一夜にして20万以上シェアされ、その反響からル・モンド紙の一面に掲載されたということです。

そして1年後に、事件からの2週間を綴った『ぼくは君たちを憎まないことにした』を出版します。それがこの映画の原作です。

アントワーヌ、エレーヌを失う…

映画は、時系列で原作と同じ2週間が描かれていると思われます。日時は明確になっていませんのでおそらく原作に則っているだろうという意味です。

アントワーヌ(ピエール・ドゥラドンシャン)とエレーヌ(カメリア・ジョルダナ)、そして17ヶ月の息子メルヴィルのしあわせ家族が描かれます。ただ、アントワーヌは子育てよりもエレーヌへの愛情が一番といった描き方です。後の喪失感を強調するためかと思われます。アントワーヌが、コルシカ島への家族旅行にエレーヌが仕事のために行けなくなったことを詰っています。

ラストシーンはアントワーヌとメルヴィルのふたりだけの旅行で終わっています。

11月13日夜、エレーヌがバタクラン劇場でのライブへ行く準備をしています。アントワーヌは行ってほしくないと言わんばかりにエレーヌにキスの嵐です。

実際のバタクラン劇場への乱入は21時40分頃でした(ウィキペディア)。アントワーヌにショートメールで「二人は家か?」と入ります。多分、ニュースを見た誰かでしょう。遠くでパトカーのサイレンがなっています。テレビで事件を知ったアントワーヌは、エレーヌや一緒にいった友人に電話を入れ続けますが留守電が続きます。

そのうち兄弟姉妹たちが駆けつけてきます。誰が誰の兄弟姉妹なのか最後までわからずに進みます。この映画、完全にアントワーヌの映画で、思い返してみれば映画全編アントワーヌのシーンでした。

アントワーヌは一晩中、次の日もだったかもしれませんが、パリ中の病院を当たる勢いでエレーヌを探し回ります。一緒に行った友人から電話が入ります。足を撃たれて病院にいると言います。エレーヌのことを尋ねてもわからないといったふうに口を濁しています。さらに、アントワーヌはエレーヌを探し続けます。

そして、エレーヌの死を知ります。ただ、誰か(警察しかないと思いますが…)が知らせに来たようなシーンがあるだけでアントワーヌがエレーヌの死を知る瞬間の画はありませんでした。見落としていないと思いますので、本当になかったとすれば意図的に入れなかったんでしょう。

アントワーヌの地獄の日々…

アントワーヌの地獄の日々が始まります。

その中であの公開書簡を書き、その反響から新聞やテレビのインタビューを受けたりするシーンが挿入されていきます。インタビューで「憎しみを禁止している(こんな感じ…)」と答えていましたが、憎しみを感じさせるシーンはほとんどなく、禁止しているがゆえなのか悶々とするシーンが最後まで続きます。その悶々がメルヴィルへの八つ当たりになったりします。17ヶ月のメルヴィルに母親の不在の理由などわかるはずもなく、ママ、ママとアントワーヌを困らせます。

メルヴィルを演じている子役、ゾーエ・イオリオくんとクレジットされていますが、どうやって撮ったんだろうというくらい演技をしていました。さすがに17ヶ月ではないとは思いますが、本人のショットだけではなくアントワーヌとの会話シーンもあったように思います。

保育所でしょうか、メルヴィルを預けにいきますと(多分…)、ニュースなどでアントワーヌのことを知った母親たちが毎日交代でメルヴィルの食べ物を持ってくると提案してきます。アントワーヌは迷惑そうな表情を浮かべながらも受け入れています。

実際に原作にあるのかどうかはわかりませんが、それをメルヴィルが、うんこ、まずいなどと言い、アントワーヌも食べてまずいと言い、トイレに捨てるシーンがあり、あまり印象はよくありません。映画はアントワーヌのつらさを描こうとするあまり、それが過剰すぎて独りよがりな人物にも見えてきます。

たとえば、意図せず注目されることになったのが苦痛になってきたと表現したいのであれば、もっと明確に描くべきですし、本人のつらさを描き続けることが本人のつらさを感じてもらえることにならないということになってしまいます。

映画としてはつらさ、苦悩ばかりでつらい…

実際、後半はかなり単調です。

こうしたつらい経験をした方の実話をもとにした映画にどうこう言うのは憚れますが、映画は映画と割り切っていない感じで見ていてつらい感じのする映画です。映画としてつらいという意味です。

現実ではあの公開書簡を2日後に書いているわけですからこうした構成にせざるを得ないのでしょうが、そこにいたる葛藤であるとか、当然ながら憎しみはあると思われますのでそうしたシーンがないとなかなか伝わるようで伝わらないように思います。

いくつかのシーンでは、たとえばメルヴィルへの八つ当たりもそのひとつで、アントワーヌの何かが爆発するシーンもありますが、エレーヌを失った喪失感からの爆発以上には見えなく、それの繰り返しが続きます。

くどいようですが、これはすべて映画の描き方の話ですので現実のアントワーヌ・レリスさんのことではありません。

エレーヌと一緒にライブへ行った友人が話があると言ってきます。2度ほど会おうとしないシーンがあり、なぜ拒否するのかわかるようでわからないです。なぜ守ってくれなかったということなんでしょうか。結局、会うことになりその友人からエレーヌはその友人の腕の中で亡くなったと聞かされます。

これが事実なら、仮に亡くなるにしても、その最期を看取ったのが自分じゃないんですからつらいですね。

そして、ラストシーンは、メルヴィルとふたりのコルシカ島旅行で終わります。エレーヌの生前、家族旅行として予定していた旅行にエレーヌが仕事で行けなくなり、ふたりで行ってきたらと言っていたその旅行です。その時、アントワーヌはメルヴィルとふたりでなんてと言っていたことが現実となってしまったということです。

そうした意味でラストシーンなんだろうと思いますが、もう少し何かあっていいのではと思うラストシーンです。

アントワーヌを演じたピエール・ドゥラドンシャンさん、「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」とか「エッフェル塔~創造者の愛~」に名前がでてきますが記憶になく、試しにサイト内を検索してみましたらトライ・アン・ユン監督の「エタニティ 永遠の花たちへ」がヒットしました。記憶にはありませんが、確かに出演しています。