雑魚どもよ、大志を抱け!

青春友情物語のテッパンもの、ただ小学6年の子どもたちだけど…

こんなに邦画を見るようになったのはここ最近のことですので「百円の恋」もタイトルに記憶があるくらいで足立紳監督の名前も初めて目にしました。ただ、どんな映画を撮っている方かとキャリアを見ていましたら、結構いい印象で記憶に残っている「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の脚本にクレジットされていました。長く脚本家でやってきた方のようです。

ところで邦画をよく見るようになったわけは海外の映画があまり入ってこなくなっている(そう感じる…)からなんですが、新型コロナウイルスのせいだけじゃないといいのですが…。

雑魚どもよ、大志を抱け! / 監督:足立紳

青春友情物語に失敗はない…

小学6年の男の子たちの話ですので青春というには子ども過ぎる年齢ですが、映画の内容自体はまさしく青春友情物語です。時代設定は1988年、場所は山間の田舎町です。エンドロールにロケ地は飛騨市と出ていました。

基本、このジャンルの映画は、現代ものでない限りノスタルジー感とファンタジー感を大切にして、あまり過剰なことをしなければまず失敗はないと思います。

その点ではとてもうまく出来た映画でした。やや間合いが長く感じられるところがありますが、それも俳優たちの実在感を大切にした結果ではないかと思います。俳優たちの実年齢は設定年齢よりも少し上のようで、本当に小学生かと思うところもありますが全体として自然体でとてもよかったです。足立紳監督が子どもたちの間合いを大切にしている感じが伝わってきます。

中心となるのは小学6年になったばかりの瞬(池川侑希弥)と隆造(田代輝)、そしてトカゲ(白石葵一)と正太郎(松藤史恩)の4人組です。

その人物設定や家族背景がまさしくファンタジーです。隆造はとても小学6年とは思えない、その時代の言葉で言えば男気のある子どもで皆から一目置かれる人物です。父親はヤクザで酒を飲むと妻や隆造に暴力をふるいます。トカゲは母子家庭で母親は新興宗教にはまっています。母親はかなりエキセントリックな人物として登場します。アトピーらしくいつもボリボリと顔を掻いており吃音もあります。正太郎は秀才タイプで東大を目指すと言っています。姉がややヤンキーっぽいキャラとして登場します。

で、主人公である瞬はいたって普通(平均的という意味…)の両親と妹の4人家族で、学校の成績も本来はそこそこできるタイプなのに、隆造たちと遊ぶことが楽しく、たまたま今は成績が落ちて母親からマジで叱られています。昭和後期の核家族イメージのしあわせ家族です。ただ、それじゃあまりにも何もなさすぎると思ったのか(笑)、母親はすでに乳がんで乳房を切除しており、映画後半には転移して手術となっていました。

愛すべき悪ガキたち、ということか…

という4人の、とにかく楽しいばかりの日々と、そして瞬のちょっとだけ苦しい自責の気持ちと、瞬と隆造の友情と別れが描かれていきます。

冒頭、何分くらいあったでしょうか、タイトルが出るまでの子どもたちの動き回る姿を追うカメラワークもいい感じでした。そこで子どもたちだけではなく親や教師たちのキャラクターも一気に見せて映画のトーンをしっかり印象づけています。

今では時代の流れとともに子どもたちのちょっとしたいたずらやからかいの類も許されなくなってきていますが、1980年代はまだまだ緩い時代(いいかどうかはまた別問題…)でした。足立監督は1972年生まれですからおおよそその時代に青春時代を過ごしているということになります。監督本人作の小説『弱虫日記』が原作ということですので自身の青春時代の記憶が反映されていると思われます。

いわゆる愛すべき悪ガキということかと思います。春休み、町中を自転車で走り抜け、行きつけの駄菓子屋ではおばちゃんをいじり、廃線となったトンネルに向かいます。

スタンド・バイ・ミー」を思わせるカットですが、内容は違って旅に出る話ではありません。このシーン、トカゲがトンネルを見て「走り抜けると願いがかなうって本当かな」なんて言っていましたので、きっとこれがクライマックスに使われるんだろうなあと思いながら見ていました。

確かにラスト、瞬がこの地獄トンネルを走り抜けて、列車で去っていく(もちろん違う線路…)隆造を追いかけるわけですが、トンネルのシーンは割とあっさりしていました。その前後の別れの演技がやや過剰に感じられましたので、むしろあのトンネルシーンをもう少しうまく使ったほうがよかったんじゃないかと思います。

友情と別れ…

全体を通した一本の軸があるわけではありませんが、あえて言えば瞬と隆造の友情と別れということになります。

瞬は隆造に憧れを持っています。隆造も瞬を信頼しています。瞬は5年で成績が落ちたからと塾に通わされ、それまで話したこともなかった聡(岩田奏)に出会います。聡は映画好きでみんなで映画を作ろうといい、隆造を始めみな大乗り気になります。

ある日のこと、瞬とトカゲは聡がカツアゲされているところを目撃します。聡は瞬に誰にも言わないでくれと言います。トカゲは隆造に相談しようと言いますが、瞬は様子をみようと何もしません。結局、その後、聡は学校に来なくなり、トカゲが意を決して先生にカツアゲのことを申告します。

で、このあたりの描き方がかなり曖昧ではっきりしないのですが、要は、瞬が勇気がなくて何もしなかったということを悔やむことになるということと、それでも隆造は瞬を信頼しているということが映画のポイントということです。

はっきりしない理由は、隆造の信頼がトカゲの口から語られているからです。トカゲは瞬には言わずに隆造に相談しており、その時隆造は瞬に任せておけと言ったと語られるだけです。さらに、このとき隆造は父親の暴力でボコボコにされ、それどころじゃなかった状態に描かれており、重要な瞬と隆造の関係がよく見えなくなっています。

とにかく、後日、今度は瞬が金銭を要求されることになり、瞬は自分の勇気のなさに悶々とします。そこへ顔を腫れ上がらせた隆造が現れ、自分が行くと言います。瞬には聡を見捨てたとの思いがありますので自分の勇気のなさが許せないからと自分が行くと言い、ここでふたりの熱い友情が語られます。

結局、ふたりで行くことになり、またトカゲと正太郎も助太刀しようと隠れて待機し、中学生のヤンキーに対峙し、あれこれあって皆でヤンキーをやっつけます。

盛り込み過ぎか…

このヤンキーとの対決シーンはちょっとおちゃらけています。マジでやれば中学生に敵わないということもあるのでしょうが、後半が散漫になっているひとつの原因かと思います。聡が転校した理由も、後に瞬への手紙で親の都合のようなことが書かれており曖昧なまま終わっています。手紙には聡が書いた映画のシナリオが同封されており、隆造があいつ才能あるなあ(違ったかも…)で終わりです。

で、別れです。隆造は大阪の実家に帰る母親についていくことになります。別れのその日、瞬が駅に現れません。その時瞬は地獄トンネルを駆け抜けることで自分の臆病さに勝つとともにそれを隆造に見せようとしています。

地獄トンネルを一気に駆け抜けた瞬は隆造の乗った列車を追いかけ、隆造!、隆造!と何度も呼び続けます。気づいた隆造も瞬!、瞬!と答え互いに手を振りあっています。

やや盛り込み過ぎで最後にうまくひとつにまとめ上げられなかった印象はありますが、子どもたちの良さをうまく引き出していたようには思います。