黒人差別、ジェンダー意識が見え隠れするセンスのいい映画
ツイッターへの投稿から生まれた映画です。2015年に Aziah “Zola” King のアカウント名で投稿された148ツイートとローリングストーン誌の本人へのインタビュー記事がベースになっています。
内容はストリップ・ポールダンサーが意に反して売春行為に巻き込まれる話ですが、コメディタッチですので、表面上はシリアスにならない、アメリカっぽい、見ていて疲れない映画です。
本当に実話か?
日本でも古くは掲示板に実話っぽい体験談が書かれたものがありましたし、その進化系のようなケータイ小説やTwitter小説というものがありますが、概してネットに上がっている実話っぽい話はかなり誇張されていると思います。
この映画の元ネタのローリングストーン誌の記事は上のリンクで読めます。ツイッターはハッシュタグ #TheStory で投稿されているとのことですので今でも読めるのかも知れません。
ローリングストーン誌では執筆者デヴィッド・クシュナーさんが「多くのことは辻褄が合うがいくつかの重要な点はそうではない」と書いています。また、ZOLA本人の言葉として「誰もが性的人身売買(売買春斡旋)の話など聞きたくないから話を面白くした」と語ったと書かれています。実際、映画でも使われているステファニーのボーイフレンドがホテルの窓から飛び降りて自殺しようとしたことやポン引きのXが拳銃をぶっ放すシーンなどは創作のようです。
ただ、この物語の基本プロットは実際にもあり得そうな話ですのでよくよく考えれば無茶苦茶怖い話です。
黒人と白人、女性と男性
ポールダンサーのゾラ(テイラー・ペイジ)は、ステファニ(ライリー・キーオ)にあなたの胸はなんとか(忘れた)のようねなどと褒めちぎられ(だと思う)すぐにSNSでつながります。映画はテンポよく進みますので二人の親密度などが描かれることはなく、すぐにステファニから「(週末に)フロリダへ(ダンスで)稼ぎにいかない」と誘いが来て、ゾラは喜んで話に乗ります。
しかし、出発からして不穏な空気です。フロリダ行きには得体の知れない男Xとステファニのボーイフレンドが同行しています。ゾラの予感はすぐに現実のものとなります。Xは売買春斡旋、いわゆるポン引きであり、ステファニが他の女性を誘うのもゾラが初めてではありません。
フロリダ タンパに着くや、Xは二人を売買春斡旋サイトに登録しホテルに待機させます。ゾラは帰ると拒否しますがXに脅され従います。客がやってきます。ステファニが客から$150を受け取るのを見たゾラはその少ない額に驚き、サイトへの画像を変更し金額も$500にします。客が次々にやってきて一晩で$8,000稼ぎます。翌朝、その稼ぎに驚いたXはゾラに一目置くようになります。
このあたりでこの映画がどんな映画かわかってきます。ゾラは売春行為はしませんし、同じ部屋にいて見ているだけです。買春にくる男たちがゾラに構うシーンもありません。売買春行為のシーンも1、2シーンだけで、それも具象的なものではありませんし、ステファニが裸になることもなく、むしろ男たちの裸がさらされます。
よくよく考えれば(考えなくても(笑))奇妙な流れなんですが、映画のつくりがうまいせいかほとんど気になりません。それに、あからさまではありませんが、この映画には黒人と白人、女性と男性という差別、ジェンダーに関わることがかなり意識されているようだということがわかってきます。
ステファニは白人女性です。自我意識が崩壊しているのか、あるいは成長しきれていないのか、Xに言われるがままに疑問を持つこともなく動きますし、売春行為に対しても何の心の変化もみせません。同行しているステファニのボーイフレンド デレクも白人男性です。20代に見えますが大人になりきれてない人物として描かれています。買春にくる男たちも白人男性ばかりです。
ゾラは黒人女性です。自分はダンサーであり売春はしないとはっきり主張します。ステファニが$150で自分を売ることに何の疑問も感じないことに対してゾラは$500で売るべき術を与えます。このこと自体がどうよということも言えますがゾラの知性を見せているのでしょう。
という賢いゾラなんですが、なぜかゾラはこのこと以外は何もしません。傍観者のようにいるだけです。これ以上にヒーロー的なことをさせると反感を買うとの意識があるのかもしれません。演じているテーラー・ペイジさんの存在感で十分に意味があるとの判断もあるのでしょう。
xは、がたいのでかい黒人男性です。設定からいけばかなり怖い人にもみえますが、ゾラを脅したりはしても暴力的なことはしませんし、そもそも売買春行為に直接関わってきません。その間登場しません。翌朝に来てお金を持っていくだけです。$8,000を稼いだ事の顛末を聞くやゾラに一目置き、拳銃を持たせてステファニのボディガードに昇格させます。デレクのことなど端から相手にしていません。
こういう映画です。この映画がアメリカ社会の中でどのように見られるのかまではわかりませんが、監督はじめ制作者サイドに差別やジェンダーへの強い意識があることが感じられます。
十字架、南軍旗、警察の暴行
ワンカット、ワンシーン挿入されている画も気になります。
気づいたのが途中ですので他に見落としているものもあるかもしれませんが、フロリダ行きの車内から見える十字架上のポール、ステファニが売春行為をしている際に立ちすくむゾラの後ろの壁には十字架が描かれていました。何を意味しているのかはわかりませんが、当然意図的でしょう。
どこかのシーンでは人種差別の象徴である南軍旗が翻っていました。
そして、警官による黒人への暴行事件を思わせるシーンが、夜のタンパの街を走る車の中からとらえられていました。なんの台詞もコメントもありません。まるで車の中からの風景のように見せているだけです。
物語の結末はXの発砲傷害事件で終わります。
ステファニのボーイフレンド デレクは、Xによってひとり安モーテルに残されるわけですが、そこで地元の男に話しかけられ、自分たちがデトロイトから稼ぎに来たことを話します。男はステファニとゾラを見ていますので、それだけで全てがわかったようです。
ステファニとゾラがデリヘリでホテルに出向きます。ステファニが拉致されます。ゾラは逃れてXを呼びますが、Xともども拘束されてしまいます。犯人はデレクが話した地元の男たちです。そして、あれこれあり、Xがゾラに渡してあった拳銃を使って難を逃れ男に発砲し逃げます。男は血を流していますが、それ以後どうなったかはわかりません。
ジャニクサ・ブラヴォー監督のセンスの良さ
という物足りなさも残る映画ですが、ジャニクサ・ブラヴォー監督のセンスの良さを感じます。
テンポもよく映画全体のつくりがうまいです。見ていて飽きませんし、さらりとしていてあざとさがないのにチラチラと気になるものを残していきます。上に書いた時々挿入される気になる画もそうですが、音楽も、たとえばXがゾラをホテルの部屋からバルコニーに連れ出して拳銃を渡すシーンは部屋の中から窓越しの引いた画で撮っており、もちろん台詞は聞こえないわけですが、そこに流れる曲であるとか、海上の長い橋や誰もいない街なかを車で走るシーンなどに流れていた(と思う)曲などは、ん?この映画、ちょっと違うぞと感じさせます。
音楽は Mica Levi という方です。
どんな人かとググっていましたら、「MONOS 猿と呼ばれし者たち」の音楽もそうだったようです。
ジャニクサ・ブラヴォー監督はパナマ系のアメリカ人で現在41歳、短編の作品はたくさんありますが長編は2作目です。映画制作のキャリアは10年くらいでテレビドラマはたくさん撮っているようです。
この映画で大きな映画の声がかかるといいのにと思います。