- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2011/05/28
- メディア: DVD
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TIFF受賞作ということで、あまり期待していなかった(笑)のだが、予想に反して、すばらしい作品だった。やや物足りなさは残るものの、奇をてらわないつくりと落ち着いた映像がうまく調和し、とてもいい雰囲気を作り出している。
あまり期待しなかった理由に、ブルガリアの年間映画製作本数が7,8本という記述をチラシか何かで読んだことも関係しているのかも知れないが、調べてみると、カメン・カレフ監督は、パリのフランス国立音響映像芸術学院を卒業しており、ブルガリアが主たる活動の場というわけではないのかも知れない。多分、ヨーロッパの映画業界は、国というカテゴリーではなく、もう少し広い、ボーダレスな感覚で動いているのではないかと思う。
映画のテーマは、それほど新鮮なものではなく、良くも悪くも、これまでも、多くの先鋭的な映画が扱ってきた「社会」の中の「個」の有り様というか、居場所をみつけられない「個」の苦悩なのだが、その中でもこの映画が優れている点は、ストーリー、映像、演技など、映画すべてにおいて、極めて抑制的につくられていることである。
主役のイツォを演じるフリスト・フリストフは、俳優としては全くの素人らしく、そもそもカメン・カレフ監督の友人であり、この映画自体が、彼をモデルに脚本が書かれているらしい。とにかく、この俳優(?)がすばらしい。その自然な存在感は、映画全体のトーンを支配しており、過剰なものの一切ない演技(ではないだろうが)は、見る者の胸を打つ。
説明的なシーンを排除したストーリーは、多分編集の力によるものだろう。冒頭からしばらくは、イツォと弟のゲオルギの、それぞれが抱える問題を交互に画いていくのだが、どこでかみ合ってくるのだろうと、やや長すぎる嫌いはあるものの、そこはそこ、期待して待っていると、うまい具合にストンと落ちていく。
ラストが、やや中途半端な感じがするのは、あるいはフリスト・フリストフが撮影終了前後に亡くなっているせいかもしれないが、イスタンブール(多分あれはボスポラス海峡だと思う)でのウシュルとの再会シーンを入れるよりは、かすかに希望がみえているあのシーンのままの方がいいのかも知れない。再会を果たしたとしても、実際いいことがあるとも思えない。切ないけれども…。あらためて地図を見てみると、ブルガリアとトルコは隣国なのだ。飛んで行かなくても(バシッ!)いけるのだ。
映像的には、やはり東欧の古都ソフィアあってこそだ。行ってみたい。中学生の頃に読んだ五木寛之の「ソフィアの秋」を思い出した。
印象的なシーンがある。後半、精神的に不安定になったイツォが、夜、街に出、ライブハウスやらを徘徊するあたりからのシーンは秀逸だ。そのまま寝ずに朝を迎え、まだ明けやらぬソフィアの街を一人とぼとぼと歩いている。時はまもなく夜明けを迎えようとしているのに、未だイツォを取り巻く空気は重く、ライブハウスに流れていたけだるい音楽の雰囲気を引きずったままだ。ひとりの老人が、荷物を運ぶのを手伝ってくれと声をかける。その後、イツォは不思議な体験をすることになる。
その体験を、言葉で説明しても無意味なのでしないが、あれは、特別神秘的な体験を画いているわけではなく、監督を含めた制作者のセンスだと思うし、一義的には編集の勝利だと思う。はっきりとしたことは誰にも分からないのだが、何となく納得でき、様々な想像を働かせることができる絶妙なバランスの上に成り立っている編集の妙だと思う。
見てください。