マーラー 君に捧げるアダージョ/パーシー・アドロン

バグダッド・カフェがなつかしい。

そういえばこの映画、何か気になっていたのですが何だっけ?と、チェックしてみたら、ああ、パーシー・アドロン監督でした。

危うく見逃すところでした。バグダッド・カフェは1989年の公開だったんですね。もっと前の印象があるんですが、バブル真っ盛りの頃になりますね…。映画も相当良かったんですが、あの「i’m calling you〜」が今でも耳から離れません。

その後「ロザリー・ゴーズ・ショッピング」を発表して後、ほとんど名前を聞きませんでしたが、久々の本格的劇映画のようです。

さてこの映画、タイトルにつられて、良くある音楽家の愛憎ものと見てしまえば、それで終わってしまいそうですが、どうもそうではないようです。そもそも原題の「Mahler auf der Couch」をネットで翻訳してみれば「ソファーのマーラー」です。多分フロイトの催眠療法を受けるマーラーを指していると思われますが、配給がそれじゃ日本では売れないと踏んだんでしょうね。

確かに、妻アルマとの出会いから破綻までが映画の軸にはなっていますが、それが語られるのがフロイトの会話や治療の中ということもあり、フロイトとマーラーのシーンが結構多くなっています。さらに、クリムト、ブルーノ・ワルターなどといったマーラーを取り巻く人物たちが登場し、世紀末ウィーンのやや退廃的な空気がゴシップ風に描かれます。それもわざわざカメラ目線でワイドショー的に語るという手法をとっています。

そこらあたりにどんな意図があるのかよく分かりませんが、そのせいもあって、映画はややつかみ所のない感じに終始しています。

私の見方が浅いかもということでやや微妙ですが、アルマとマーラーの関係にもあまり深く切り込んでいるようには見えず、妻の自分への従属を求めてきたマーラーがフロイトの療法によってその過ちに気づくといった解釈もどうですかね…、この時代ならありかも知れませんが、現代に通じるものではないような気がします。

映像的には大人の感覚でかなり凝っていますし、音楽的にもいろいろ工夫がされている感じはするのですが、如何せん、それらに何だろう何だろうと興味を持たせるほどの力が映画そのものにない感じがします。