ライク・サムワン・イン・ラブ/アッバス・キアロスタミ監督

あれ?「起」がなく、いきなり「承」から始まり、「転」になったかと思った矢先に終わってしまった

ちょいと前には、キアロスタミ監督が宮崎あおいを主役で撮るみたいな話があったような「ライク・サムワン・イン・ラブ」ですが、結局「高梨臨」になったようです。「起」がなく、いきなり「承」から始まり、「転」になったかと思った矢先に終わってしまう映画でした(笑)。

それにしてもことばの壁が大きいだろう日本で、これだけの映画が撮れるというのもすごいことです。日本在住30年のショーレ・ゴルパリアンさんが監督補&通訳としてサポートしているにしても、相当大変だったのではないかと思います。

車の中のシーン、半分くらいはフロントガラス越しの運転中の画だったと思いますが、そういった動きのないシーンでも飽きないんですね。何なんでしょうね、これ? フロントガラスに映る景色をうまく使って、リアリティのあるようなないようなとてもいい感じを出していました。多分車のシーンはスタジオ撮りだと思いますが、ガラスに映る画は実写なんでしょうか、どうなんでしょう?

奥野匡さんが「撮影に入るときになっても台本はないと言われ、毎日翌日撮影する分だけしかもらえませんでした。」と語っていますが、それが功を奏しているのか、自然体の、とはいっても時にクサクなるようなアドリブ的なものではなく、とても自然でリアルな感じがよく出ていました。特に「加瀬亮」のヒリヒリ感はよかったです。

ただねえ、さすがに映画としては中途半端だと思います。終わり方がどうこうということもありますが、元大学教授のタカシ(奥野匡)を撮ろうと始めたものの、ノリアキ(加瀬亮)の存在感が勝ちすぎて、ノリアキと明子(高梨臨)の話になってしまったのではないかといった感じが強く、そのためにタカシが明子を呼んだ理由がさっぱり分からなくなっています。亡き妻に似ていた?それはこの映画の中では説得力がありません。デート嬢(デリヘル?)呼んでおきながら、最初からおじいさんと孫の関係を持ちたいのなら昼間に食事にでも呼べばいいような…。

それにしても、前作「トスカーナの贋作」では、イタリアでの大人のラブストーリーを撮ったキアロスタミ監督ですが、一転本作では、独居老人、風俗、危うい若者の恋愛といった極めて日本的な内容の作品を撮るなんてのは、さすがよく見えているという感じがします。