どうした、ブライアン?これじゃ火サスにも無理でしょ!
南の島から戻ったまま、全く気合いが入らず、何もしない日々が続き、これじゃいけないとシャキッと出来そうな映画を見に行ったのですが…。
どうした、ブライアン? サスペンスとうたっているのにハラハラもドキドキもしない。ミステリーとうたっているのに謎もない緊迫感もない。これじゃ、火曜サスペンス劇場にもならんでしょう!という結果でした。(以下、ネタバレあり)
ひょっとして、自分の南の島ぼけのせい?とも思いましたが、多分そうでもないでしょう。
特に前半など、ただただ広告代理店の日常業務を描いているだけに見えるだらだら感、確かにベルリン支社長(多分)のクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)が部下であるイザベル(ノオミ・ラパス)のアイデアを自分のものにして出世(ロンドン本社勤務を望んでいる)を図るという、そもそもの発端を描いてはいるのですが、これが何とも、その後殺人にまで至る大元とも思えないあっさり感です。
そう感じた理由はいろいろあるのですが、一番は、クリスティーンに裏切られても従順さを装うイザベルに、後に殺人へと至る屈折した感情が感じられないことです。かなり意図的にイザベルの無表情さが演出されていると思いますが、その奥に沈殿していく復讐へのエネルギーのようなものが全く感じられません。これがホントにあのリスベットのノオミ・ラパスと逆にびっくりするくらいの素直さです。
クリスティーンのレイチェル・マクアダムスも役不足(正しくは力不足)じゃないでしょうか。部下の手柄を自分のものにしてまで出世しようとする、それも隠すことなく堂々とやるわけですから、過去相当あくどいこともしてベルリン支社長にまでなったのでしょう。その奥行きが感じられません。要は人物が魅力的じゃないということです。
後半は、なぜか突然手法が変わります。やたら手持ちカメラ風の映像が多くなり、イザベルの行動が夢なのか現実なのか分からない風な、つまり、何かとんでもないことが起きた瞬間にはっと目覚めるといったよくある手法が多用されます。なんだか、後半になって、こりゃいかん、何とかサスペンスにしなくっちゃと焦り始めたみたいに、前半のつくりとの違和感を感じます。
まあ、ブライアン・デ・パルマ監督、あまり力が入っていなかったと考えるべきでしょうか。
知らなかったのですが、この映画、「ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて/アラン・コルノー監督」というフランス映画のリメイクのようですね。レンタルがあれば見てみましょう。
ということで、これだけあれやこれやとけなすことが出来れば、きっと明日にはシャキッと立ち直っていることでしょう。