マザーコンプレックス下にあったギョームさんの自立の物語?というよりやっぱりママになりたいのだと思う
- 発売日: 2016/10/28
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ギョーム・ガリエンヌ監督の自伝的なひとり芝居の映画化とのことです。映画では自分自身とママの二役を演じていますが、ママの方がむちゃくちゃおさまりがよく、本人役の方ががんばって演じている感じがします。
結局、ギョーム・ガリエンヌさんの演技しか印象に残らない映画ですが、深く考えれば深い(?)テーマで、自身のセクシャリティやジェンダー・アイデンティティを探し求める、探すというのも変ですね、セクシャリティの同一化を図る? んー、結構言葉は難しいですね。
舞台俳優の監督さんらしく、舞台から客席に語りかけるように、カメラに向かって自分自身の過去をお話しするような作りになっています。結構笑える、くすりとですが笑いの取り方はさすが舞台俳優さんという感じです。
「開演5分前」の声に、ステージへ向かうギヨーム・ガリエンヌ。俳優として成功を手にした彼の、波乱に満ちた人生の物語が今始まる――。エレガントなママに憧れ、女の子っぽく育ったギヨーム。100%ゲイだと家族は思っていたが、男らしくさせたいパパに無理やり入れられた男子校ではイジメられ、転校先のイギリスでは男子生徒に大失恋!うまくいかない人生に疑問を感じた彼は、“本当の自分”を探す旅に出るが・・・(公式サイト)
ただ、オチのつけ方なのか、本当に本人の体験なのか、あるいはギョームさんのセクシャリティに対する考え方なのか、ちょっと気になる終わり方です。
名門の裕福な家庭だからなのでしょうか、ギョームさんの父親は「男らしさ」にこだわる人物であり、母親はエレガントで美しい「女らしい」女性です。ギョームさんはママのまねをして育ち、自分を「女の子」と思っていますし、その振る舞いも「女らしい」、日本のテレビ風に言えば「オネエ」が入っている感じを演じています。
ですから、まわりはギョームさんを「ゲイ」だと認識しますが、本人はそれを意識的に演じようとしたのか、あるいは実際に同姓に性的指向があったのか、男子校で「イケメン」の男子に憧れたり、ゲイバーへ行ったりします。
しかし、ある「女子会」で運命の女性に出会い、「女の子」と思っていた自分も、「ゲイ」かもしれないと思う自分も捨て去り、「普通の」と言っていたかどうか記憶にありませんが、取りようによってはそう取れる「普通の男の子」である自分を発見します。
ある個人の自分語りの映画ですので、「ゲイ」ではなかったんだと喜ぼうがどうしようがそれは自由ですので構いませんが、ちょっとばかり気になる終り方でした。
「女の子」と思っていたギョームさんが自分の身体に違和感を持っていれば「性同一性障害(性別違和)」ですし、それとは別に同性に性的指向を持つのであれば「ゲイ」ということになりますし、ギョームさんにそこらあたりの認識があったのかどうなのか、結局この映画はマザーコンプレックス下にあったギョームさんの自立の物語とみるべきなのかも知れません。
そんなことを考えながら見ていたせいか、「そして旅の最後には、ママへの衝撃の告白が!? そのラストシーンは、胸を熱くせずにはいられない。」とあるラストが何だったか思い出せません(笑)。