シュトルム・ウント・ドランクッ/山田勇男監督

描いている対象の熱さとは裏腹に、極めて静かで、映像的にもダイナミックさ皆無の静的なもの

シュトルム・ウント・ドランクッ [DVD]

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「シュトルム・ウント・ドランクッ」は「疾風怒濤」と訳されているようですが、ウィキによると「ドイツ語から直訳するならば「嵐と衝動」が正しい」ともあり、大杉栄、ギロチン社など大正末期のアナキストたちの生きざまは、衝動的な嵐のようであったということなのでしょうか。


シュトルム・ウント・ドランクッ

が、しかし、映画は描いている対象の熱さとは裏腹に、極めて静かで、映像的にもダイナミックさ皆無の静的なものでした。

大正11年、冬。放浪の旅を終えた中浜哲(寺十吾)は、旧友、古田大次郎(廣川穀)と「ギロチン社」を結成。大企業への恐喝で資金を得ながらテロルを企てていた。
しかし、酒と色に溺れながら革命を目指す彼らを関東大震災が襲い、さらに大杉栄(川瀬陽太)が、戒厳令に乗じて虐殺される。復讐を誓う「ギロチン社」だが— —
最後に嗤うのはピストルと爆弾か、それとも国家か。そしてすべてを見はるかす謎の女性・松浦エミル(中村榮美子)は何を想って涙するのか。
時を越え、カフェー南天堂では盛大に音楽が鳴り響く— — !(公式サイト

関東大震災の混乱に乗じて惨殺されたアナキスト大杉栄と伊藤野枝、橘宗一、いわゆる甘粕事件前後のギロチン社面々の行動をおおよそ歴史的事実にそって描いています。

しかし、その描かれ方は極めて劇画的、かつ漫画的で、イギリス皇太子の暗殺場面も、福田戒厳令司令官の狙撃場面も、甘粕大尉の弟の襲撃場面も、まるで売れないお笑い芸人のコントのように、それが一体ジョークなのか、何らかの手法なのか分からないまま、ほぼ同じパターンで続きます。

そうした大正末期の衝動的な嵐のような時代の熱が、松浦エミル(中村榮美子)という、その時代と現代を自由に行き来(していないが…)する女性によって現代に蘇るか!?というと、一体つくり手は何を恐れているのかというくらいに、郷愁の彼方に逃げ込んでしまっています。

さらに言えば、その郷愁も、郷愁とはこういうものといったパターンの上に乗っかっているのではないかとも思え、すーと落ちていくような感覚はまるでなく、そこから何も立ち上がってこないのです。

ギロチン社の様々な事象は郷愁というオブラートでくるむにしても、現代へのパイプとして登場させているエミルや宗一じっちゃん、この二人を共に亡霊のような存在に置いていることが、全体を曖昧なものにしているように思います。多分「宗一じっちゃん」は橘宗一の生まれ変わりのような存在なのでしょうが、とにかくこの人物がなぜ必要なのかよく分かりません。ラスト近くに二人が逆立ちして交わすせりふがあり、多分何らかのオチ的なことを語ったと思うのですが、あいにく、2時間を越えたその頃にはすでに集中力は切れており、亡霊が吐いた悟りのようなせりふを心に刻むことは出来ませんでした。

なぜ今この題材で映画を撮ったのでしょう? とても関心がある題材なだけに、映画からその答が見いだせなかったのはとても残念なことです。