独裁者よりも反政府軍の不埒な振る舞いや暴力が目立つってのは復讐の連鎖とはちょっと違うんじゃないの
モフセン・マフマルバフ監督、何か見ているのではと思って作品一覧を見てみても思い出せません。
思い出せるのは、娘のハナ・マフマルバフ監督が撮った「子供の情景」の原題「ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた」が、モフセン監督の書簡集から取られていたことです。その本のタイトルが「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」で、2001年、タリバンによってバーミアンの石像が破壊されたことを指しています。
祖国イランを離れヨーロッパで亡命生活を続けているモフセン・マフマルバフ監督が最新作『独裁者と小さな孫』に込めたのは、平和への想い。クーデターにより権力を奪われた独裁者と孫の逃避行を通して、自らの圧政により貧困と暴力に苦しんでいる人々の現状を浮き彫りに、独裁政権への批判をしながらも、本意でなくとも同じように暴力行為によって引き起こされる新たな悲劇についても訴えかけている。(公式サイト)
予告編を見て、見てみようと思った映画ですが、随分予想とは違っていました。
なにせ架空の国の独裁者が革命によって一夜にしてその座を追われ、孫とともに荒野をさすらうといった、どう考えても寓話的映画としか思えなかったのですが、見てみれば、結構まじめに撮られていることにびっくりしました。
人物は、独裁者だけではなく、反政府軍の兵士たちも、群衆も、娼婦も、ある意味では子供も、すべての登場人物が単純化されており、その意味では寓話と言えなくもないのですが、あまりにも真面目過ぎて、直接過ぎて、ひねりも何もなく、独裁者は追われる身になって初めて自ら行ってきた悪行の重さを知り、反政府軍の兵士たちは(なぜかわかりませんが)住民たちを乱暴に扱い、時に撃ち殺し、隊長と思わしき人物は女性をレイプし、他の兵士も群衆もそれを見て見ぬふりをし、やはり群衆は簡単に扇動され、娼婦はあくまでも娼婦らしく振る舞い、そして独裁者が囚われの身となれば、「殺せば復讐の連鎖となるだけだ」と突然正論を持ってかばおうとする人物が現れるのです。
まじめに撮るのであれば、もっと現実の複雑さを反映させるべきですし、単純化して寓話とするのであれば、もっとシニカルに覚めた目で人間の裏表を描いてほしいものだと思います。
当然モフセン・マフマルバフ監督にしても、復讐の連鎖を断つには赦ししかない、などということが相当観念的であることは分かっているはずで、この映画に意味があるとすれば、あえて正論を声高に叫ぶことしか道はないことをあらためて知らされることでしょう。
それにしても製作費の問題でしょうか、ロケシーンがややお粗末で拡がりがありません。
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
- 作者: モフセンマフマルバフ,Mohsen Makhmalbaf,武井みゆき,渡部良子
- 出版社/メーカー: 現代企画室
- 発売日: 2001/11
- メディア: 単行本
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