脚本の基本線はいいと思いますが、映画的には「考え落ち」で、ややつらいです竹馬靖具監督の名前は知らなかったのですが、「真利子哲也と共に映画『NINIFUNI』の脚本を執筆(ウィキペディア)」と真利子哲也監督の名前があったことと田中泯さんが出演していることで見に行きました。
んー、観念的ですね。
こういう映画は嫌いじゃないですが、ちょっと中心がない感じで残念です。
男は囲い屋で働いていた。ある日、それまでモノのように扱ってきたホームレスのひとりに自らの父を発見する。導かれるように父を連れて囲い屋を出た男は、現実と異世界を揺れ動くドライブの中で父と訪れた廃墟には、母親の幻影がさまよっていた。そして、並行して描かれる、現実と幻想の狭間を航海する一艘の舟が向かう先には…(公式サイト)
テーマ的には、渇望と絶望は隣り合わせってことなのかなあとは思いますが、映画的には、見る者を引き込んでいく何か、あるいは引っ張っていく何かが足りないという感じです。
男(小水たいが)が見る、幻影なのか妄想なのか、あるいは記憶なのか、モノクロで撮られた映像が、結構早い段階から小刻みに挿入されるのですが、その意味付けが曖昧でよく分からないです。
男が父(田中泯)を街で見かけるシーンとか、その後、囲い屋へ連れてこられるシーンとか、二人で砂丘へ行くシーンとか、何だかもったいないですね。
田中泯さんのダンス的シーン、もう少し工夫をして撮って欲しい感じもしました。
単調さを否定しない映画で好感は持ちますが、きつい言い方をすれば、それで持つほど映画的な力がなく、結局のところ、「考え落ち」なのではないかと思います。