私は死にますと言われた周りの人間は大変だという話?
最近では、邦題にいかにもベタな「しあわせ」とか「人生」とかが入っているのに、原題はまったくニュアンスが違う映画はきっといい映画に違いないと分かるようになってきました(笑)。
この映画の原題は「Truman」犬の名前です。
当たりと言えば当たりの、何とも微妙ではあるのですが、まず日本では撮れないだろうと思える大人の味わいがする映画でした。
監督:セスク・ゲイ
フリアンはスペインで俳優として活躍し愛犬トルーマンと暮らしている。ある日突然、カナダから友人のトマスがやってくる。フリアンがガンのため余命わずかと知ったからだ。フリアンはすでに治療をやめ身辺整理を始めている。トマスの滞在は4日間、残り少ない時間を愛犬トルーマンの里親探しやアムステルダムに留学中の息子に会いに行くことに費やす。それは2人が一緒に過ごせる最後の日々であった。(公式サイト)
最近は、人の最期について「尊厳死」という一面だけではなく、死を目前にした時、人はどうすべきか?(するか?)といったテーマの映画が多くなってきているような気がします。
と書いて、このサイトで検索してみれば、過去同じようなことを書いていました(笑)。
そうした映画で、とにかく延命なんてものは見たことがありません。延命を否定する気はありませんが、やはり「最期の時も自分自身でありたい」と思うのは多くの人の願いでしょうし、それに「迷惑をかけたくない」という意識も強くなるのだと思います。
で、この映画の当人であるフリアン(リカルド・ダリン)の最期は「老い」ではなく末期がんです。「一年くらい化学療法を続けてきたがやめる決心をした」といった台詞がありました。
ですので、外見は余命わずかといった言葉が当てはまるようには見えません。実際、俳優として毎日舞台にも立っています。
このリカルド・ダリンさんは「瞳の奥の秘密」の主役の方ですし、「人生スイッチ」では爆破職人をやっていました。いい感じのおじさんです(笑)。
フリアンが治療をあきらめたと知った古くからの友人トマス(ハビエル・カマラ)がカナダから4日間の休暇を取ってやってきます。映画の中で語られていたかどうか見落としていますが、フリアンのいとこパウラ(ドロレス・フォンシ)が治療を続けるよう説得して欲しいと連絡したんだと思います。
トマスをやっているハビエル・カマラさんは、アルモドバル監督の「トーク・トゥ・ハー」の看護師役だったようですが全く分かりませんでした。髪のせい?
ということで、この二人の友情物語がこの映画の主題なのかなとも思いますが、それとてはっきりしておらず、結構愛犬トルーマンがフィーチャーされていますし、ラストはトルーマンの里親が見つからずトマスに預けることで終えていますので犬映画?と冗談ではなくそんな気もしてきますし、結局のところ、大人の会話映画ではないかと思います。
このあたりのはっきりしなさを何とも微妙と書いたわけで、かといってつまらないわけではなく結構見られますし、大人の会話劇であるがゆえに日本では無理でしょう、今では撮れる監督がいないでしょうという意味です。
やはり人が死を覚悟して余命わずかともなれば、むしろその周りの人間のほうが緊張を強いられ、言葉に気をつけようとします。この映画でも喋りまくるのはフリアンであり、トマスは受けにまわり、何を言われてもフリアンの言葉を受け入れ反論したりはしません。
いとこのパウラにしても、説得しようにも自らは出来ず、トマスに期待したもののトマスにその気はなく、三人の食事の場面、ただ怒るしかありません。
わざわざ日帰りで会いに行った息子もすでに母親(離婚している)から聞いて知っており、そのことを知らないフリアンが、話そうとして話せないことにただうつむくしかありませんし、やはり別れはきつくハグし合うことしか出来ないわけです。
ただそうした中でも何の躊躇なく好き勝手に話すことができる人たちがいます。トルーマンの里親探しでである赤の他人たちです。
本当に人の死とはまわりの人間には面倒なものです。と、話がとんでもない方へきてしまいました。
最後に、この映画、グローバルな映画ですね。スペイン、オランダ、フランス、イタリア、カナダ、アルゼンチン。イタリアはパオラがイタリアどうこうと言っていたと思います。