人生相談の母親の台詞が本音なら傑作、でもおおむね駄作
マルコ・ベロッキオ監督、77歳、一体どうしてしまったの!?というくらいの駄作です。
ここリード部分に結論を書くことはあまりないのですが、この映画、語ることがほとんどありません。
と、公式サイトを見てみましたら、原作があるんですね。それも大ベストセラーとあります。それが本当なら、マルコ・ベロッキオ監督が原作を理解しきれていないか、イタリア人がどうかしているかです。
監督:マルコ・ベロッキオ
原作は、イタリア人ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニによる大ベストセラー自伝小説「Fai bei sogni(よい夢を)」。原作に深い衝撃を受けたベロッキオは、大切なものを失った過去にとらわれ、まるで抜け殻のように人生を過ごしてきた男が、運命の出会いによって長い夢から目覚め、未来に向かって歩み出す姿を、巧みな語り口と演出によって描き出す。(公式サイト)
って、勢い余ってむちゃくちゃ書いてしまいましたが、この映画、誰がどう見てもマザコン男の自分語りみたいなもんですよ。
ただ、1ヶ所だけ、その自己中的自己陶酔男を客観的に見せるシーンがありましたので、あるいはそこがポイント?とは思いましたが、それにしても130分間、30男(40男?)の「甘え人生」を見せられた日にゃたまったものではありません。
気を取り直して少し語っておきますか(笑)。
物語は、マッシモ9歳の時に母親が突然亡くなり、それを大人になっても、ってマッシモはいくつの話だ? 1969年に9歳で、1999年のシーンがあったと思いますので39歳?ですか!? 40歳にもなっても母親の死を引きずっているという男の話です。
まあ、映画なんですから、母親が(主人公ににとっては)不可解な亡くなり方をしていれば、そのことを描いていくしかないのでしょうから、39歳になっても母親のことばかり考えている人物像になるのはある意味仕方ないことかも知れませんが、それにしても他に何の脇ネタも、伏線も、他の人物のエピソードもなく、ただマッシモの自己陶酔だけですよ、と、また戻ってしまいました(笑)。
とにかく、現在のマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は La Stampa(イタリアの大手新聞社らしい)のジャーナリストしてサラエボや何処か(記憶していません)を駆け回っているらしく、その取材シーンも出てきます。
でも、それほとんど意味がありません。たとえば、サラエボでの取材中にカメラマンが意図的に配置した(いわゆるヤラセ)写真を撮っているのを後ろから自分のカメラで撮影しているシーンがあり、新たな展開か?と期待したものの、ただそれだけでした。
また、引用した公式サイトの文章には、「運命の出会いによって長い夢から目覚め」とか「精神科医のエリーザと運命の出会いを果たす」などとありますが、映画的にはエリーザ(ベレニス・ベジョ)は特別な存在ではありません。
最後には、母親は自殺であったと知るわけですが、その展開にもエリーザは関わってきませんし、それを知るのもマッシモ自身がはたと思い当たるからですし、その確証を得るのも夜中におばさんを呼び出して聞き出すからです。
原作がどうであるかは分かりませんが、この映画は、9歳の時の喪失感から抜け出すのに30年かかったという話です。
いやいや、まだ抜け出していないのかもしれません。ラストは、母親との隠れんぼの思い出のシーンで終わっていました。
後半、新聞の人生相談、母親との関係がうまくいっていない男からの投書へのベタな回答、およそ「母親がいる幸せを感じなさい。なにも考えず抱きしめれば解決する」みたいな内容でしたが、その相談者が新聞の回答を読むシーンがせめてもの救いの映画です。
その男の母親は、抱きしめようとする男(息子)に「試しに抱きしめてみる?」と挑戦的に(と見えた)答えていたのが印象的で、もしそれがマルコ・ベロッキオ監督の本音だとすれが、駄作の評価を取り下げ傑作とさせていただきたいと思います。