ドキュメンタリーとしての問題提起も含めオススメです
2016年のサンダンス映画祭のワールドシネマ ドキュメンタリー部門でグランプリを受賞しているドキュメンタリーです。
アフガニスタンからイランに逃れた女性(女の子)ソニータを追っています。映画は15,6歳から18歳くらいまでを撮っていますが、ソニータ自身は11歳くらいからイランに渡ったと語っていました。
監督のロクサレ・ガエム・マガミさんはイランの映画監督で、この映画の他に短編を含めて2本撮っているようです。
監督:ロクサレ・ガエム・マガミ
わたしの値段は9,000ドル。家族のために結婚を強いられる魂のラッパー、ソニータは歌い、自らの運命を変えていく(公式サイト)
始まってしばらくは、10人くらいの、おそらく同じ環境の少女たちだと思いますが、その前でラップを披露して喝采を浴びたり、姉の家にいる時に家主のような人物が来ていついつまでに出ていくようにと告げたり(誰にか分からない)、難民センターのような支援施設に相談に行ったり、その施設でしょうか、ソニータが清掃しているシーンがあったりと、ソニータ15歳の生活状況、どこで生活をし、生活費をどうしているのかといったことはあまりはっきりしません。
それでも何とか理解したところによれば、ソニータが10歳か11歳くらいの時に家族ともども(多分)戦火のアフガニスタンからイランに逃れようとしたのですが、途中タリバンに拘束され、父親が殺害されたらしく、その後なんとかテヘランに逃れたのでしょう、ソニータはテヘランの姉のもとに残り、政情が落ち着いてからなのか、母親や兄たちは故郷のヘラートへ戻ったようです。
そのことが分かったのは、支援施設でのワンシーン、おそらくそれは、PTSDの治療のために行われているのだと思いますが、指導員がソニータに、過去経験したこととその経験が本当はこうあって欲しかったと思うことの両方を再現するように言います。
ソニータは、施設の仲間たちを使って、ある子供を父親役にして地面に横たわるように言い、そして別の子どもを傍らに立たせ、その指を拳銃型にさせ、横たわる父親に向けさせるのです。
指導員が本当はこうあって欲しかったことをやってごらんと言います。
経験の再現では、車の中で悲鳴を上げ泣き叫ぶような表情をさせていた母親と自分役の子どもに、今度は、優しく穏やかな表情をさせハグさせるのです。
ソニータは、それを悲しみの表情を浮かべることもなく淡々とやっていきます。
あるいは幾度もやることで乗り越えてきているからなのかも知れません。あるいはまた、撮影用に再現させていることなのかも知れません。それでも、そうした事実があり、それを10歳の子どもが目の当たりにし、おそらく一生消えないだろうことを考えれば涙がこぼれてきます。
ソニータは音楽の道に進みたいと思っており、リアーナとマイケル・ジャクソンが両親であれば、自分の名前をソニータ・ジャクソンにしたいなどと夢を語ります。実際、ラッパーとしてのプロモーション活動もしているようで、おそらくこれもこの記事を読む限り監督の紹介だとは思いますが、イランの音楽家(プロデューサー?)に自作のラップを聞いてもらったりするシーンがあります。
そんな時、母親からヘラートに戻りある男と結婚するようにとの話が舞い込みます。
結婚とはいっても、いわゆる児童婚というやつで、幼い子供を、時には年老いた男性や妻や子どもがいる男性と結婚させるというもので、ソニータの場合は、相手から9,000ドルの持参金をもらい、そのお金で兄を結婚させるためだと、母親自身の口から聞かされるわけです。
どう見ても人身売買なんですが、それを口にする母親には一瞬たりとも迷いの表情が浮かぶことはありません。母親自身もそのようにして結婚しており、社会自体がそれを人身売買であり人権を蔑ろにしていると認識できる価値観を持っていないわけですから、母親個人を責めることでどうこうなるわけでもありません。
ただ、実はこの兄の結婚のための 9,000ドルという話は眉唾もので、生活のためではないかとも思えます。と言いますのは、母親はとりあえず 2,000ドルを手にして半年延期すると言ってヘラートに帰っていきます。その真偽は映画からは分かりませんが、生活のために娘を売ることも想像できてしまう社会ということです。
で、映画に話を戻しますと、実はこの 2,000ドルの出どころが問題で、このドキュメンタリーを撮っているロクサレ・ガエム・マガミ監督が用立てているのです。
つまり、映画の制作者が被写体の行動に関与して物語を作っているということになります。そのことがいいか悪いかは後回しにして、いずれにしても、監督自身もそのことの持つ意味は分かっているわけですから、あえて自ら被写体として映画に登場し、ドキュメンタリーにおけるつくり手と被写体の関係についての問題提起をしているのだろうと思います。
そして後半、おそらく監督としても吹っ切ったのでしょう。ソニータの成功物語のような作りになっています。
ソニータが PVを作ります。
この映像です。プロの技ですね。監督も協力しているのでしょう。
で、この PVがアメリカの音楽学校の関係者の目に止まり、あるいは逆に持ち込んだんのかも知れませんが、奨学金を出すから来ないかとの話が入ります。もちろんソニータは大喜びですがパスポートがありません。パスポートを取るための出生証明書(だったと思う)もありません。
ただ、上にも書いたようにすでに映画の方針は変更されていると思われ、障害となるようなことは何も入れずに、お土産を持ってヘラートに戻ったソニータは家族からも祝福され、カブールへ移動しパスポートも取れ、無事米国へ渡り音楽学校で学び始めるところで映画は終わります。
さて、果たしてこれはドキュメンタリーなのかということですが、どう呼ぶかということは別にして、少なくともこの映画の制作者たちは、ソニータの人生に関与することを選択し、そのことをはっきり提示しているわけで、おそらくそれは、ソニータ自身に自らの力で歩んでいける力があることを考えれば、その選択が映画としてより多くの人に訴える力を持つだろうことや、そして何より映画の完成度を上げることになるだろうと考えたんだろうと想像します。
この映画は、そうしたドキュメンタリーはどうあるべきかの問題提起も含め、ソニータと同じような環境に置かれている女性(女の子)たちがたくさんいて、誰も手を差し伸べなければ、母親を見れば分かるように、永遠に続くのだということを教えてくれます。
おそらく、こうした悲劇的な場面にカメラを向ける人たちは、常にカメラを向けるよりも助けるべきではないかとの葛藤を抱えて撮っているのだろうと思います。
ところで、テヘランからヘラートへ向かうシーンだったと思いますが、ソニータが結構高速の列車に乗っていましたね。イランはともかくアフガニスタンの交通事情はよく分かりませんが、テヘランとヘラートって直線距離でも1,000kmあります。母親も往復していましたが、その費用も援助しているのかも知れませんね。