あちらにいる鬼

どこにも鬼がいない昭和愛憎ものの表層

よく知られた話ですが、瀬戸内寂聴(当時は瀬戸内晴美)さんは、1966年くらいから7年間ほど井上光晴さんと恋愛関係にあり、その関係を精算するために出家して寂聴を名乗るようになっています。井上光晴さんは既婚者ですので不倫ということになり、その間の二人と井上さんの妻郁子さんを描いた映画です。

あちらにいる鬼 / 監督:廣木隆一

原作は井上荒野著『あちらにいる鬼』

実名で書いてしまいましたが、映画の原作は井上光晴さんの娘である井上荒野さんの小説ですので、それぞれ白木篤郎(豊川悦司)、長内みはる(寺島しのぶ)、白木笙子(広末涼子)となっています。

2年半ほど前に原作を読んでいます。

https://tokotokotekuteku.com/2020-04-21-205536/

映画は篤郎の死で終わっていましたが、原作は笙子が亡くなる2014年までの話です。細かいところは記憶していませんが、残っている印象としては上のブログのタイトルにもしている井上荒野さんの父親讃歌ぶりで、それを妻と愛人という二人の女性を通して描いていたように思います。

その点では映画も同じ路線上にあり、どうしようもない男だけれども皆に愛される男を描いています。

時系列が事実とあっていますのでどうしても事実のように見えてしまいますが、当然ながら夫婦間や男女間のことなど当人たちにしかわからないことですので小説も映画もすべて創作です。

いずれにしても、原作の3人は皆いい人たちばかりで、修羅場などというものはもちろんのこと、愛憎という言葉も似合わないくらいにさらりとしていたと記憶しています。

そりゃ、自分の両親と当時(小説の執筆時)まだ存命で、なおかつ自分と交流のある人のことを悪くは書けないですよね。

笙子が見えない…

映画の印象もほぼそんな感じで、その意味では原作をそこなっていないということでしょう。その分、映画としてはつまらないです。

脚本の荒井晴彦さん75歳、監督の廣木隆一さん68歳、年齢でどうこう言うのもなんですが、この世代の人たちには、篤郎もみはるもどちらもよくわかる人物だと思います。

みはるも篤郎も作家です。徳島への講演旅行で知り合い、その後男女の関係になります。篤郎は自分に気がある女性を察知する能力に長けており、察知するや即口説きにかかる人物です。みはるも相手を好きになれば既婚者であることが障害になるような人物ではありません。実際、篤郎と知り合ったころには元夫の教え子と駆け落ちをして一緒に暮らしている状態です。篤郎の方も、みはると知り合ったころに愛人(こういう言葉がよく似合う話…)が自殺騒ぎを起こしています。

こういう大人の話です(笑)。昭和ですね。

で、その篤郎の愛人の自殺騒ぎですが、篤郎は入院する女性のお見舞いに妻の笙子を行かせています。これはさすがに昭和と言っても戦前の行いと言うべきですが、この笙子がどういう人物なのか最後までよくわかりません。

おぼろげな記憶ですが、原作の笙子はもう少しはっきりした人物だったように思います。みはると笙子が交互に一人称で篤郎を語っていたはずですので、必然的に存在感としては対等になります。それが映画にはありません。俳優の力量としても豊川悦司さんと寺島しのぶさんに押されていることもありますが、広末涼子さんがどう演じていいのか迷っているのではないかと思います。脚本や監督に笙子像ができていないからでしょう。

この映画が面白くなるとしたら、笙子とみはるを対等の立場に立たせて、それぞれの心の葛藤を描くことだと思いますが、ありきたりの昭和の恋愛もので終わっています。あるいは、現代的感覚で言えば、篤郎やみはるこそがわからない人物とも言え、笙子の表にあらわさない苦しさこそが現代的テーマなんだろうと思います。

女性の脚本でもっと若い人が撮れば面白いのにということです。

みはるの出家

当然のことのように篤郎の気持ちがみはるから離れていきます。みはるが篤郎の約束の来訪を待ちわびていますと、篤郎が女性を連れてきたりします。そして、みはるは出家を決意します。

多分、自らの未練を断ち切るためなんだろうとは思いますが、えらくあっさりしていました。こういうところは荒井さんにしても廣木監督にしても得意なところじゃないかと思いますが、昭和ものにしては物足りない描写でした。

寺島しのぶさんは実際に髪を剃っています。すごいですね。正面からのアップで手動のバリカンを走らせていく様子をかなり長く撮っていました。寺島さんはえらく明るい笑顔でした。あの時はみはるではなく寺島しのぶだったんじゃないかと思います。

昭和の男たちには笙子は描けない

井上光晴さんが亡くなったのは1992年ですから、篤郎の死も同じと考えれば、みはるの出家から19年後です。映画では、出家後、一度みはる(寂光となっている)が篤郎の家に食事に呼ばれるというシーンがあり、その後篤郎の入院シーン、そして死となっています。

篤郎が息を引き取る前、篤郎の頭側からベッドの両側のみはると笙子を撮ったシーン、広末さんがやりにくそうでした。まあ映画的にはみはるを撮るのが主なんでしょうが、みはるがほぼ意識のない篤郎の手をとり、篤郎さん、わたしだよ、みはるだよと力を込めて声を掛けているときの笙子である広末さんのつらそうな顔が印象的でした。わたし、どうしたらいいのという意味です。

さらに、篤郎がみはるの手を握り返してきたらしく、みはるが、笙子さん、握り返してきたよと笙子にふり、笙子がゆっくり篤郎に近づいてその手を握ります。

昭和の男たちには笙子は描けないということかも知れません。