何を見ようかと映画.comの上映欄を見ていましたら、音楽映画なのに(音楽映画にハズレはないという意味)あまり良い評価もなく、期待せず見に行ったのですが、これ、面白いです。
全編音楽がふんだんに使われていますが、音楽映画というよりも、脚本、監督、主演のヴァレリー・ルメルシエさんの何がしたいかがとても強く伝わってくるいい映画でした。多分、どうしても自分ひとりでセリーヌ・ディオンを演じたかったのでしょう(笑)。
幼少期の違和感を越えれば(笑)
主演のヴァレリー・ルメルシエさんが12歳から50歳までのセリーヌ・ディオン(映画ではアリーヌ・デュー)を演じています。いろいろ映像処理はされているのでしょうが、実際にルメルシエさんが12歳のアリーヌを演じています。
見た目は確かに違和感があります。体のサイズは12歳ですが顔はルメルシエさんそのものです。なぜ子役を使わない? という考えも浮かびますが、最後まで見てみればそんな違和感は消えてしまいます(とも言えないけど…)。それに、映画と舞台を一緒には出来ませんが、森光子さんなんて80代で10代を演じていますので、50代なんてまだまだでしょう(笑)。
つまり、この映画はルメルシエさんのセリーヌ・ディオンを演じたいという意欲を楽しむべき映画ということです。それに、実際、楽しめます。圧倒的に音楽を聴かせる映画ではなく、ややつまみ食い的に「メモリー」などのミュージカルナンバーも入れたりしています。それでも全般的に音楽の使い方はうまいですし、あまり細かいところに深入りせず、テンポもよく、コメディタッチの音楽映画といった感じで、最後はうまくシリアス調でまとめて余韻を感じさせています。
こういう映画をつくるのは難しいと思います。ヴァレリー・ルメルシエ監督が撮影秘話を語っている動画があります。
歌は、いくらルメルシエさんが歌手でもあるといっても、さすがにセリーヌ・ディオンの歌唱力を考えれば自分が歌うというわけにもいかなかったのでしょう、ヴィクトリア・シオ(Victoria Sio)さんという方がオーディションで選ばれたそうです。この方ですね。
ステージパフォーマンスのシーンが結構多く、やや細切れには感じましたが、ルメルシエさん、頑張っていましたしライブ感もよく出ていました。現在57歳、公式サイトには「フランスが誇る国民的スター」とあります。何かの映画で見ている可能性はありますが何も思い浮かびません。
ネタバレあらすじ
音楽映画の物語はわりとベタなものが多く、売れない時期があり、なにかのきっかけで売れ始めて絶頂にいたれば、本人の過信であったり、仲間との確執があったりして一度失意の時期を過ごし、それでも最後はカンバックするみたいな感じを思い浮かべます。
この映画はそうした手法を取っていません。アリーヌ個人の精神的な浮き沈みは描かれますが、物語としてのアップダウンはありません。とにかくルメルシエさんのパフォーマンスで見せる映画です。
冒頭のシーンは、アリーヌがベッドで横になり音楽を聞いています。その足元の両脇では小さな子どもがふたり眠っているところです。セリーヌ・ディオンのプライベートを知りませんでしたのでわかりませんでしたが、実際に双子の子どもがいるようです。夫も亡くなった後のラストシーンからのワンカットです。
アリーヌ誕生秘話
おじいさんの代からの家系(のようなもの)が漫画的にぽんぽんぽんと描かれます。漫画的と言いますかサイレント映画的と言ったほうがいいかもしれません。カナダ、ケベック州ですのでフランス語圏です。おじいさんには放蕩グセがあるのか、息子の小銭を奪って出掛けていきます。それでも息子(アリーヌの父)は一枚の金貨(に見えたけど、いくらだったんでしょう?)を握りしめています。この金貨はアリーヌの幸運の金貨になり最後までポイントポイントで登場します。
両親は音楽好き(なのか、音楽家なのか?)が縁で結婚し、次々に子どもが生まれ、14人目の子どもとしてアリーヌ・デューが生まれます。家族合唱団のようなシーンもあり、アリーヌが音楽に囲まれて育ったということが描かれます。
アリーヌ12歳、デビューへ
そして、アリーヌ12歳。アリーヌ(ヴァレリー・ルメルシエ)の歌の才能を信じる母親や兄弟たちは音楽プロデューサー、ギィ=クロード(シルヴァン・マルセル)にデモテープを送ります。一週間経っても返事がなく、兄ジャンが電話をします。
こういうところでなにかひとつ山をつくる映画もありますが、この映画はすんなりいきます。ギィが会うといってくれます。ああ、ひとつ山をつくっていました(笑)。ギィに、アリーヌを前にして「セリーヌ」と呼びかけさせ、母親に「アリーヌ・デュー」と訂正させるというシーンを入れています。冒頭からの漫画的なシーンもそうですが、この映画がコメディーだということを見せています。
ギィはアリーヌの才能を見抜きます。ここからはテンポのよいサクセスストーリーとなります。
このギィ=クロードは、現実では、セリーヌ・ディオンを見出した音楽プロデューサーのルネ・アンジェリルさんということで、現実と同じように後にアリーヌと結婚することになります。この一連のサクセスストーリーでは特に印象に残ったシーンはありませんが、とにかくテンポがよく飽きずに見られます。と言うよりも、ルメルシエさんに圧倒されるという感じですかね(笑)。
このギィの存在は映画的にもかなり大きく、アリーヌにインタビューへの対し方を教えたりするシーンもありましたし、アリーヌがそれなりに評価されるようになった段階でアメリカでの成功のためには英語は必須であるとして英語をマスターさせたり、八重歯を矯正させたりと、アリーヌの成長期に公私をともにしている感じです。
映画のギィはアリーヌひとりのマネージャーのように描かれていますが、現実のルネ・アンジェリルさんは多くのアーティストをプロデュースしている方のようです。それに、2016年に亡くなった時には「モントリオール・ノートルダム聖堂にてケベック州政府が取り仕切る形で国葬(ウィキペディア)」が執り行われたとあります。国葬ってカナダのということなのか、ケベック州のということなのか、どちらなんでしょう。
アリーヌ、結婚する
映画の中盤は、アリーヌがギィに愛情を感じるようになり、母親が反対する中で結婚するまでの顛末やアリーヌが声帯を痛めて休養したり、なかなか子どもに恵まれず治療を受けたりするシーンで構成されています。
母親が反対するといってもシリアスものではありませんので、実際に結婚となれば家族全員で祝福していましたし、喉を痛めて休養するといっても3ヶ月声を出しちゃいけないと言われてそれを楽しんでいるように描かれています。
そして、最初の息子が生まれ、忙しく働くアリーヌが描かれます。プロデューサーでありマネージャーは夫ギィですし、ステージディレクターは兄のジャンですし、身の回りの世話や食事などは姉夫婦が担当するというファミリープロジェクト状態で、映画がそう言っているわけではありませんが、別の言い方をすればアリーヌが家族を支えているという状態です。
ラスベガス公演、夫の死
後半も特に大きな山はなく、とにかく勢いとテンポで突っ走ります。夫ギィとの幸せな生活やショーでのパフォーマンスが続きます。3年間毎日云々という会話がありましたがセリーヌ・ディオンのウィキペディアを読みますとこういうことのようです。
2003年からはネバダ州パラダイス(ラスベガス都市圏の一部)のシーザーズ・パレスコロシアムにおいて専用の劇場ショーを契約し、New Day… Live in Las Vegasという定期公演を毎晩3年間(のちに2007年までに延長)にわたって継続した。
で、そのショー「New Day…」というのは、
シーザーズ・パレス・ホテルに新しく建設された4,000人収容の劇場「コロセウム」で2003年5月からスタート。セリーヌの公演が無い期間には、エルトン・ジョンのレッド・ピアノが開催されていた。 全1時間30分のステージで合計21曲を熱唱する。常にプラチナ・チケット化するほど人気が高いショーである。
この日々が描かれていたということです。そして、夫ギィが亡くなります。この夫の死も、思い返してもはっきりしたシーンが思い出せませんのでさほどインパクトを持って描かれていなかったということでしょう。
ラストはシリアスにまとめています。夫の死後もショーを続けるアリーヌが、ホテル(家かな?)へ帰ってもひとりだから眠れそうもないと言ってメイクアップアーティストに泊めて欲しいと言います。狭いところだから恥ずかしい(アリーヌは超豪邸)と言いながら快くいいよと言ってくれたアーティストにアリーヌは街に出たことがないから場所がわからないと言います。そして翌早朝、泊めてくれたアパートメントをひとり抜け出して街をさまよいます。すれ違うエルビスの扮装をした男たち(ラスベガスだからでしょう)が、アリーヌに、アリーヌにするにはもう少しメイクをあれこれとか言って去っていきます。
そして、その日の夜のステージ、兄のジャンがアリーヌが来ないとあわてています。一気にアリーヌのステージに切り替わります(だったと思う)。そしてロベール・シャルルボワの「Ordinaire」を歌い上げて終わります。
アンオフィシャルゆえか
映画としてのツッコミは浅いです。それを上回るルメルシエさんのパワフルなパフォーマンスがあるにしても、やはり人物描写としては表面的にも見えます。
この映画、公式にはセリーヌ・ディオンの許可を得ていないとのことです。ただ、本人が抗議しているようでもありませんし、音楽も使っていますので何らかの話はされているのでしょう。それに、まだ現役の人物ですのでなかなかリアルなものにすることも出来なかったのでしょう。
それでもこれだけの映画を作り上げた脚本、監督、主演のヴァレリー・ルメルシエさんということだと思います。