世界は僕らに気づかない

ネタバレレビュー・あらすじ・感想・評価

フタリノセカイ」の飯塚花笑監督、その映画を見たのはちょうど1年前です。正確な製作年がわかりませんのでなんとも言えませんが、1年でこの「世界は僕らに気づかない」ですか! すごいですね。

世界は僕らに気づかない / 監督:飯塚花笑

ガウと堀家一希に驚く

フィリピン人の母と、父親を知らない高校生の息子の話なんですが、母レイナを演じているガウさん、息子純悟の堀家一希さん、この二人がすごいんです!

演技に見えないんです。ドキュメンタリーみたいということではないんです。完全にレイナであり、純悟なんです。特にガウさん、レイナは20年近くフィリピンパブで働きフィリピンに仕送りをしているという設定の人物で、純悟との会話ではかなり乱暴な日本語を機関銃のように発します。その間合いがすごいんです。まったく演技臭さがありません。完全にレイナなんです。

それを受ける、いや受けだけではなく、純悟もかなり激しく母親にぶつかっていきます。堀家さんという俳優を始めて見ましたので本当の親子かと思っていました(それはないけど…)。

二人のシーンはもうそれだけで映画です。

マイノリティをマイノリティとして描かないこと

というように、映画としてはガウさんと堀家さんで十分持っていますが、さらに、飯塚花笑監督の映画は特徴的です。

フタリノセカイ」でもそうでしたが、飯塚監督は一般的には性的マイノリティとされる人物を差別環境の中に置かずに描いていきます。「フタリノセカイ」ではトランスジェンダー、この「世界は僕らに気づかない」ではゲイということですが、それが特別なことであるとは描きません。

この映画では、フラッシュバックとして、子どもの頃にフィリピン人であることとともにその性的指向を揶揄されていじめられるシーンが入りますが、映画の現在軸では、同級生と付き合っていることもオープンになっており、からかわれるシーンがあるにしても思春期にある異性愛へのからかいと同等なものです。

その同級生、優助(篠原雅史)との恋愛が映画のひとつの軸になっています。

優助の家族は二人の関係を認めています。父親には迷いがあるようですが、それも男であれ女であれ18歳の子どもから結婚を考えていると言われたときの迷いと違いはないように感じられます。父親に俳優経験のない方をキャスティングしているのも計算の上でしょう。

純悟が優助の家族と食事をするシーン、優助が将来純悟とパートナーシップを結びたいと話します。やややり過ぎ感のあるシーンではありますが、とにかく、母親に抵抗感はないようですし、二人の妹たちは素直に喜んでいます。

ただ、純悟には迷いがあるようです。その迷いは直接的な二人の関係のことではなく、映画のもう一つの主要な軸である純悟の親子関係なんですが、それが二人の関係に波及し、ついには危機となり、果たして終盤どうなるかという展開になります。

フィリピンパブ嬢の息子

純悟の迷いは、自分がフィリピンパブ嬢の子どもであること、そして父親が誰かも知らないという自らの出自からのものです。ただ、映画としてそうは語っているものの、二人のパワーに圧倒される(笑)ことや純悟がよくできた子過ぎることもあり、むしろ迷いはもっとトータルなものに感じられます。高校3年生ですので担任から進路を尋ねられるシーンもあります。当然優助とのことにも迷いはあるでしょう。そうした人生最初の岐路の迷いと理解したほうがいいのかも知れません。

純悟は、父親から毎月お金が振り込まれていることを知っています。これは自分のお金だと言っていますので、レイナはそのお金に手を付けたこともないということですし、仮に養育費の名目だとしてもレイナが純悟の口座に振り込んでもらうよう手筈したのかもしれません。

純悟は父親を探し始めます。両親と幼い自分が写った写真を手がかりにレイナが働いていた高崎のフィリピンパブを訪ね、そこからレイナの元夫のタクシードライバー哲司(岩谷健司)を探し出します。哲司は結婚はしていたが自分は父親ではないと言い、なぜかそれ以上のことには口を濁してしまいます。

この映画は、父親探しの過程を見せていくことが主題ではありませんので、この哲司のパートで引っ張っているのは、もちろんドラマづくりということもあるのでしょうが、ここでフィリピンパブ、あるいはフィリピン人がどんな環境に置かれているのかといったことを見せていこうとしているのではないかと思います。哲司とのシーンは後に誘われて飲みに行ったりと2、3シーンあります。

そして、それと並行して、レイナがこの人と結婚すると言って男をつれてきたり、純悟がどうせ金目当てだろうと言えば、この人は無職だよと切り替えして笑いを取ったりの口論になったり、不況でパブを一時解雇され、ボーリング場で働くことになり、盗難騒ぎで疑われたり(この一連のシーンはかなりいい…)、役所に家賃補助を申請するものの差別的対応をされたりするシーンとなります。

全体としてもですが、このあたりのシナリオがとてもよく出来ていますので、よくよく考えればそんなにうまくはいかないことばかりですが、そんな気も起きず集中して見られます。

結局、哲司が口を濁していたのは偽装結婚だったからであり、父親のことは酔っ払った哲司がぽろりと漏らし、和菓子屋の男(店主なのか雇われているのかよくわからなかった…)であることがわかり、訪ねますと、男はすでに亡くなっており、その妻が夫の遺言に従って毎月振り込んでいるとのことであり、純悟も認知されていることがわかります。

ハッピーエンドすぎる結末

この映画、すべてがうまくいきます。見ていて、よかったねとは思いますが、「フタリノセカイ」でも書いている通りファンタジー過ぎるきらいはあります。これだけうまく映画を撮る飯塚監督ですから、差別環境を描かないこととも合わせて、あえてやっているのだとは思いますが、やはり価値観に新鮮さは感じても、映画に現実感が乏しいと見終えた後に残るものにはならないのではないかと思います。

純悟は映画の中盤で優助から別れを告げられます。そして終盤、父親のことで気持ちの整理もつき、自らの進路も就職することに決めた純悟は優助にもう一度やり直したいと懇願します。優助も受け入れます。そして、レイナともども優助の両親を訪ね、卒業したら二人で一緒に暮らしたいと申し出、また二十歳になったらパートナーシップ制度に申請するつもりであると宣言します。

そして、二十歳になった二人は教会で結婚式をあげ、役所にパートナーシップ申請をします。担当者がお似合いのカップルですねと声をかけています。

忘れていました、レイナもすでに件の男と同じ教会で結婚式をあげ、再びフィリピンパブで働き始めています。

もうひとつ、純悟と優助の間がまずくなっている時、優助が合コンに誘われ、そのうちのひとりの女子生徒から自分はアセクシュアルであり、恋愛やセックスはするつもりはないけれど子どもは欲しいと言われるシーンがあります。そして、ラストでは3人で幸せになろうと約束しています。つまり、具体的に言えば、二人のどちらかの精子で子どもを産むという選択です。

なお、同性カップルが子どもを持つことに関しては、「フタリノセカイ」では女性とFtMトランスジェンダーのカップルのパターンが描かれています。