アメリカから来た少女

ネタバレレビュー・あらすじ・感想・評価

2003年、東アジアを中心にSARSが流行していた頃、母親の乳がんの治療のためにアメリカから台湾に戻った13歳の少女が抱く疎外感や母親との軋轢を描いた映画です。この映画が長編デビュー作となるロアン・フォンイー監督の自伝的な映画とのことです。

アメリカから来た少女 / 監督:ロアン・フォンイー(阮鳳儀)

ロアン・フォンイー監督の自伝的な映画

映画のエンドロールには2018年のクレジットがあったように思いますが(見間違いかも…)、IMDbや映画.comの製作年は2021年になっています。製作年が撮影時期ではないにしても2021年製作というのはちょっと違和感があります。2021年と言えば、2019年末に発見された新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を振るっていたときですから、いくら自伝的とはいえ、その影響が感じられないこの映画は撮れないでしょう。

何をこだわっているかといいますと、監督の自伝的な映画であることを知りませんでしたので、なぜ今、2003年という時代設定の映画を撮るのかなあと思ったということです。SARSは映画的に大した意味合いがあるようには思えませんので、自伝的であることを知った今でも、今の同時代の話として撮ればよかったんじゃないかと思います。

細部にも気持ちが行き届いた丁寧な映画ではありますが、内容が特別映画的なものではありませんので、すーと見終えてそれで終わってしまいます。

母と娘の軋轢を描く家族劇

13歳のファンイー(ケイトリン・ファン)が母リリー(カリーナ・ラム)と妹ファンアンとともにアメリカ(ロサンゼルスらしい…)から台北に戻ってきます。空港には父フェイ(カイザー・チュアン)が迎えに来ています。

この映画、説明台詞がありません。それでも一定程度のことはわかりますし、現実感も損なわれていませんので、シナリオも映画自体もとてもうまくできているということだと思います。

どういう生活環境? などと疑問はわいていきますが、それが徐々にわかってくるようになっています。たとえば、わかりやすいシーンではありますが、迎えの車の中で、ファンイーが夏になればアメリカへ帰れるとつぶやくカットに続いて父と母が顔を見合わせるカットを入れています。当然そうはならないわけがあるんだなあとわかります。

そんなわけで徐々にわかってくることは、母が何らかの理由でアメリカで暮らしたい、あるいはそれは教育のことかもしれませんが、父は母のその願いを受け入れて自分は台北に残り仕送りをしていたということでしょう。また、台北に帰ることになったわけは、母の乳がんの治療が理由ということです。

ファンイーはアメリカでの生活がとてもなじんでいたようですし、親しい友達もいます。また、アメリカでの生活環境に馬がいたのか、馬(名前はスプラッシュだったか?)に強い愛着を示しています。

当然そうした気持ちは台北での生活を否定的に感じさせることになりますし、またそれが台北に戻る原因となった母親への反感を生むことになります。母親は母親で病の不安感から情緒不安定になっていきます。その軋轢が描かれていく映画です。

学校でのファンイーの成績が悪くなっていきます。生徒たちからはアメリカ帰りであることをからかわれたりします。幼なじみだった友達とは親しく話すようになりますが、その母親から成績が落ちるから付き合わないでほしいと言われます。学校でも孤立感を感じることになります。

といったことが、それぞれはさほど激しいものではなく、ほぼ我々の生活環境でも日常的と感じられる程度で進行していきます。

特別大きな事件やトラブルが起きるわけではありません。終盤にはSARSの流行が話に上ってきますが、家族全員に危機感はありません。妹のファンアンが熱を出し、母が検査に連れて行きますと肺炎と言われ妹は隔離、家族は外出禁止になります。ファンイーと父は、母に病院へ行くなと言ったのにと怒っていました。

そしてラスト、妹はSARSではなかったと家に帰ってくるところで終わります。ファンイーが窓(ちょっと違うけど…)から笑顔でのぞくカットで終わっていました。

乳がん、疎外感、馬、SARS

という、まさしくファンイー家族の日常を見ているような映画なんですが、映画に心に響くものを求めますとちょっとさみしい映画ではあります。

それは、実はそれぞれが大変な問題なのに、13歳の視点からみればどこか世の中のことがよそよそしく感じられたり、肉親という身近なものであるがゆえに余計に遠ざけたくなるような感覚で描かれているからなんだろうと思います。

母親の乳がんについては手術、そして化学療法と語られており、脱毛のシーンもありますので母親のつらさはかなりのものでしょう。映画ではかなり簡単な扱いになっています。母の情緒不安定さも抑えめになっています。ファンイーにはそう見えているということなんでしょう。

最初に書きましたように、ファンイーは母親が乳がんであることは知っていたにしてもすぐにアメリカに戻れると思っていたと思われます。そうはならないことを知るシーンもなかったですね。

ほぼすべてが家庭と学校のシーンで構成されています。母娘の関係を軸とした家族劇ではありますが、学校のシーンが半分くらいをしめている割には全体的に表面的な描写にとどまっています。幼なじみの母親から付き合わないでと言われたあともそれらしきシーンはありますがなんとなく尻切れトンボ的な印象です。まあ実際はあんな感じなんでしょう。

批判をしているわけではなく、13歳の視点はこの映画のようなものなんだろうという前提の話です。

馬のシーンも割と唐突に感じられますし、SARSもあんな印象だったのでしょう。あるいは、SARSの扱いは、父親が頻繁に中国(大陸)へ出張に行くことと同じでひとつの時代背景的なものでしかないものを、日本の配給が新型コロナウイルス絡みで前面に出してきたものかもしれません。

ただ、弁論大会の件はもう少し何かしておくべきだったとは思います。

この映画、書籍化されているんでしょうか。