コリーニ事件

不都合な過去、負の記憶に目をつむってはいけない

ドイツ映画の法廷ドラマで「ドイツ史上最大の司法スキャンダル」とか「ドイツ国民誰もが知りたくなかった真実」という言葉で語られるとすれば、その真実が何かはおおよそ見当がつきます。

コリーニ事件

コリーニ事件 / 監督:マルコ・クロイツパイントナー

やはり予想通り、殺人事件の背後にはナチスによる戦争犯罪があったわけですが、ただ映画の核心はそこではなく、さらにその真実が明らかになった後に、実はその真実を覆い隠してきたのは現実に施行されている法律であったという、(ドイツにとっては)かなりショッキングな話という映画です。

ナチスの戦争犯罪が裁かれる映画には、「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」を描いた「顔のないヒトラーたち」がありますが、この映画はそうした実話ベースではなく『コリーニ事件』という小説を原作とした法廷ドラマです。作者はフェルディナント・フォン・シーラッハさんという現役の弁護士さんです。

ウィキペディアには「祖父はナチ党全国青少年指導者バルドゥール・フォン・シーラッハ」とあり、ニュルンベルク裁判で禁錮20年が言い渡されています。祖父が出所した1966年には著者は2歳くらい、亡くなった1974年には著者は10歳くらいです。

映画の時代がいつなのかはっきりしませんでしたが、2001年の設定のようです。

イタリア人ファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)が著名な実業家ハンス・マイヤーを殺害するシーンから始まります。

その国選弁護人となったカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)がまったく何も話そうとしないコリーニの動機を解き明かしていくというのが映画の軸です。そこにドラマをふくらませるための仕掛けとして、殺されたマイヤーが実はライネンの恩人であり、また、その娘ヨハナ・マイヤー(アレクサンドラ・マリア・ララ)と過去に愛し合っていたという設定となっています。

そうした人間関係はドラマの彩りとして必要不可欠なものではありますが、書き始めますと長くなりますので省略して(笑)、いきなりネタバレしますと、コリーニの犯行の動機は復讐ということです。

時は第二次世界大戦のイタリアにさかのぼります。10歳くらいのコリーニが家族とともに暮らすイタリア北部の町モンテカティーニはナチスドイツ軍の制圧化にあります。その将校がハンス・マイヤーだったのです。

ある時、パルチザンの襲撃によりドイツ兵2名が殺害されます。マイヤーはその報復として10倍のイタリア人を殺害するよう命じます。その20名の中にコリーニの父親が入っていたのです。その銃殺の時、マイヤーは泣き叫ぶ幼いコリーニを抱きかかえるように拘束して、その目でしっかり見ておけなどとかなりの残虐性をみせていました。

という、コリーニの動機が明らかになるまでが映画の7割程度まで続きます。映画のつくりはオーソドックスです。ライネンの記憶がフラッシュバックされ、子どもの頃にマイヤーに目をかけられ、援助されて弁護士の今があることやヨハナと愛し合うようになった過去が語られます。

恩人であるマイヤーを殺害した容疑者の弁護をすることの葛藤はあまり強調されていません。ヨハナに責められても弁護士の職責のようなことを盾に割とあっさりしていました。そうしたくどさのないことがこの映画が見やすく好ましい点かと思います。

ただ、国選とはいえ引き受けたあとになって被害者の名前を聞いて驚くのはどうよとか、裁判の途中で、凶器の拳銃が幼い頃にマイヤーの家で見たものと同じとか気づくってどうよとか、法廷ものとしては穴がいっぱいありますが、さらっと流しているせいでしょう、ほとんど気になりません(笑)。

とにかく、ライネンはコリーニの故郷モンテカティーニを訪ね、当時を知る者を探し出し、証人として出廷させ、マイヤーによる住民虐殺を明らかにします。

これで情状酌量が得られるかと思いきや、原告側の代理人マッティンガーから新たな事実が提示されます。マッティンガーによれば、コリーニはすでに1968年に姉とともにマイヤーをモンテカティーニ住民虐殺の罪で告発したものの不起訴になっているというのです。

ちょっとわかりにくいんですが、ドイツの司法制度では、被害者遺族が裁判に参加できる公訴参加人という制度があり、映画でも原告側の席にヨハンが座り、その代理人としてマッティンガー弁護士が原告側にいるということです。

そのマッティンガーですが、かなり早い段階でライネンに対して、裁判を早く終わらせるためにコリーニに罪を認めさせろと指示していたわけですが、要するに何もかもわかっていたということです。

じゃあなぜもっと早くにそれを明らかにしなかったか、それがこの映画の核心です。

ライネルは、コリーニの告発が不起訴になった理由を調べます。そして通称「ドレーアー法」という1968年に制定された法律によって不起訴となり、その法律の制定過程にマッティンガー自身も関わっていたことを発見します。制定過程ではなく、コリーニの告発を不起訴にした過程だったかも知れません。

この「ドレーアー法」、あまり日本語の情報がありませんが、こちらの方の記事でその概要がわかります。

ヨハンナ比較文化研究所 : ドイツ映画『コリーニ事件』イタリア人容疑者の謎にせまるダイナミックな法廷劇

その記事で紹介されている『刑法によるナチの過去の克服に関する3つの論考』によれば、1968年に刑法50条2項が改正され、大量殺人の実行者は謀殺の幇助罪でしかなく時効は15年とされたということで、それを主導したエドゥアルト・ドレーアーの名前からドレーアー法と呼ばれているとのことです。ドレーアーはナチ党員であり、戦後も司法機関に属したまま生き延びたということです。

この法律のために、コリーニ姉弟がマイヤーを告訴するも時効のために不起訴になったわけです。

公式サイトによれば、この小説が出版された「数ヶ月後の2012年1月には、ドイツ連邦法務省が省内に調査委員会を設置した」そうです。

その後この法律がどうなったかは調べられませんでした。それにこの法律でどれくらいの戦争犯罪が見逃されてしまったのかも日本語検索ではよくわかりません。

いずれにしても、こうした「不都合な過去」に対して、70年経っても問題として取り上げる姿勢を忘れないということは重要で、それは今の我々に一番欠けていることでもあります。

映画は、判決のその日、コリーニが自殺したと伝えられ終わっています。なぜ殺害が不起訴となった30年後の今なのかは、姉が亡くなったからだということです。ドラマとはいえ、不起訴になった後の30年間、憎悪と屈辱とともに生きてきた人生は想像を絶するつらさでしょう。

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