ウクライナ国境近くで起きた60年前の虐殺事件
東西冷戦下の1962年、ロシア(ソ連邦)南部のノボチェルカッスクという町で起きた虐殺事件を描いた映画です。この事件はソ連邦崩壊後の1990年代まで約30年間隠蔽されていたとのことです。
監督はアンドレイ・コンチャロフスキー監督、現在84歳のロシアの監督です。名前を聞いて映画を思い出せる監督ではありませんが、ニキータ・ミハルコフ監督のお兄さんです。それに、黒澤明監督のハリウッド進出なるかという「暴走機関車」という企画が頓挫し、後にその脚本を原案にしてハリウッドで撮った監督です。黒澤監督の企画が1966年ごろ、そしてコンチャロフスキー監督の「暴走機関車」が1985年のことです。
ノヴォチェルカッスク虐殺事件
フルシチョフ政権下の1962年6月1日、ノヴォチェルカッスク機関車工場の労働者たちが「肉、バター、賃上げ!」をスローガンに抗議活動を開始し、当初は穏やかな抗議活動であったのが、工場長や共産党市政委員会の高圧的な対応により、抗議活動はストライキに発展して工場封鎖となります。これに対してフルシチョフ政権の共産党は、軍を派遣し徹底的に抑え込む手段をとります。そして、翌日の2日、非武装の労働者に対する発砲事件となり、26人が死亡、87人が負傷(ウィキペディアから)という大惨事になっています。
事件後、200人以上が逮捕され、7人が有罪判決を受けて死刑、数百人が投獄されたということです。この事件は隠蔽されて、26人の死者は秘密裏に埋葬されていたということです(数字は同じくウィキペディアから)。
ロシア・ビヨンドに詳しい記事があります。ロシア・ビヨンドは政府系のネットメディアで、文化、旅行、教育、言語、ビジネスなどを通じてロシアへの理解を促すことが目的だそうです。
自己中心的な人間たち
この映画が描いているのは事件そのものではなく、ましてや労働者側の視点ではなく、共産党市政委員会や中央委員会、そしてKGBという弾圧する権力側の人間たちの動向です。
その意図はないとは思いますが、結果として前半と後半に分かれてしまったようなつくりになっています。前半は、特権階級の自己中心的な行動や権力側の人間の無能さ、その裏返しの強権的な振る舞いが、共産党ノヴォチェルカッスク市政委員会の一員リューダ(ユリア・ビソツカヤ)の行動を通して描かれていきます。後半はそのリューダが、労働者側として行動した娘スヴェッカの安否を気遣って奔走する姿に焦点が合わされています。
発砲事件の前日、リューダは不倫中(男が結婚しているが妻が留守)の男の家で目覚めます。不倫は映画の本筋とは関係がないのですが、この二人の会話で当時の物価高騰、食糧不足、フルシチョフ政権への不満、リューダがスターリン信奉者であることなどが説明的に語られます。
リューダは、食料品店に向かいます。店の前には人だかりができています。群がる人々を押しのけて中に入り、特権を活かしてあれこれ食料やらタバコやらウィスキー(だったか、とにかく酒)を手に入れます。
コサック、スターリン、民主主義
この映画からは虐殺事件を批判的に描こうという視点はあまり感じられません。というよりも、事件自体を映画にすること自体がすでに批判的ということではありますが、それをことさら強調することなく、一歩引いたところからいろんな人物、ほとんど権力側ではありますが、そうした人物をあまり思い入れなく描いている感じがします。どことなく冷めた感じがするということです。
そのひとつです。リューダは手に入れた物を持って家に戻ります。リューダは父親と娘スヴェッカと暮らしています。父親は元コサック兵だったようで、軍服(なのか日常服なのか?)を出してきたり、聖母マリアとキリスト(だった思う)のイコンを手にしたりします。
コサックは、ロシア革命から内戦にいたる時期には、ボリシェヴィキ(後のソ連邦共産党)の赤軍に対して白軍の一翼として戦った軍事組織です。この事件の1962年時点から言いますと40年ほど過去の話です。リューダの父親は、年齢から見ますと20代にコサック兵として赤軍と戦っていたということです。
リューダはスターリンの時代はよかったとの思いを持つスターリン信奉者の共産党員です。第二次世界大戦時は看護師(当時の日本の言葉では看護婦)として従軍した経験を持ち、ズヴェッカはその時に愛し合った男との子供だと言っていました。スターリン政権は1953年まで続いています。この事件からは9年前です。
スターリンの後を継いだフルシチョフは1956年にスターリン批判をし始め、国内の民主化やアメリカなど西側との平和共存を進める政策を実行し、経済政策に力を入れています。ただ、その経済政策が失敗して物価高騰、食糧不足という事態を招いていますし、平和共存といいながらも、この事件の年の10月にはキューバ危機が起きています。
事件当時18歳のズヴェッカはそうした時代、一時的ではあっても冷戦の雪解け時期に生きているということですので、アメリカに象徴されるある種の自由というものへのあこがれがある世代ということです。スヴェッカがリューダに対して「民主主義」の言葉を使って反抗的になるシーンがあります。それに対してリューダは平手打ちで返していました。
リューダの家族によって、帝政ロシア時代、スターリン時代、冷戦下の平和共存時代が、そのどれにも特に思いを寄せることなく並列的に示されているということです。
無能さとその裏返しの強権
1962年6月1日、リューダたち共産党市政委員たちが会議をしています。労働者たちが抗議の声を上げ集まってきます。工場長(委員長だったかも)がバルコニーに出て職場に戻れと指示しますがおさまりません。そのうち石が投げ込まれます。市政委員たちは成すすべなくおろおろ逃げ惑うばかりです。
中央なのか、その地域なのか、共産党の委員がやってきて対策会議が開かれます。
この画像では党の地方組織の第一書記(多分)が「発砲せよ」と命じていますが、このシーンの前は軍の責任者が「労働者に銃を向けることはできない」ときっぱり拒否するシーンです。
この映画では、この後の虐殺シーンでも発砲したのは軍ではなくKGBの狙撃手としていますし、リューダに軍は悪くないとの台詞を言わせていますので、どういう意図なんだろうとは思います。実際のところ誰が発砲したのかわからないとなっているらしく、それに対するコンチャロフスキー監督の主張なのかもしれません。
とにかく、この翌日の6月2日には軍隊によって抗議活動の鎮圧が始まり、それに対して抗議活動も激しくなり、労働者たちは委員たちの集まる建物を包囲し乱入を図ります。委員たちは軍によって確保された狭っ苦しい通路を通って逃げていきます。
その際にリューダは建物の階上に上がっていくKGBの狙撃手を目撃します。そして、銃声が鳴り響きます。
この虐殺シーンもカメラが労働者側に入ることはありません。人々が逃げ惑ったり、撃たれて倒れるシーンもリューダの見た目のようなガラス越しのカットだったと思います。やはりここでも冷めた目を感じます。
労働者側視点で描かれている映画ではありませんが、権力者側の無能さや、それの裏返しの強権さはよくわかる映画ではあります。
事件の隠蔽工作
映画の後半は、抗議活動に加わっていたと思われるスヴェッカが見つからなくリューダが必死に探し回ることで、KGBが複数人の死体を密かに郊外に運び埋葬したことがあきらかにされていきます。
その過程でヴィクトル(アンドレイ・グセフ)というKGBの職員が登場するのですが、当初はリューダの家の家宅捜索にきて事情聴取する立場なのに、ある時点からリューダに便宜を図り、スヴェッカを探し出すことに協力し、ついには自分の立場上の危険も顧みず、封鎖された市内から郊外へ出る手助けまでするというよくわからない展開になっています。何かがカットされているのかもしれません。
とにかく、封鎖されたノヴォチェルカッスクを出て、埋葬を実行した警察署長を突き止め、その場に案内させ、スヴェッカの写真を見せます。警察署長は確かにその娘を埋葬したと証言します。リューダは泣き崩れてその場を手で掘り返し始めます。ヴィクトルが、何と言っていたのか(もう戻ってこないだったか?)、それを止めます。
掘り返して遺体を確認しなかったのはなぜなんだろうと不思議なんですが、おそらく深い意味はなく、単に映画的な処理なんでしょう。これを冷めた感じというのはちょっと語弊がありますが、とにかく全体として、こうした過去の隠された事件を暴くといった映画にしては熱さはありません。当然ながら強く抗議する意志は感じられない映画ではあります。
そして、ラストです。リューダが家に戻りますと、スヴェッカが戻っており、屋根の上(なぜ?)で震えています。抱き合うリューダとスヴェッカです。
客観なのか、冷めた目なのか
ということで、全体として中途半端な映画です。虐殺事件の真実に迫るというには表面的な描写に終始していますし、虐殺を糾弾する意志も感じられませんし、虐殺の悲劇を描こうとしているようにもみえず、それを客観というのか、冷めた目というのか、伝わてくるものがあまり多くない映画です。
リューダにしても、自らが虐殺するわけではないにしても強権的で理不尽な権力側にいながら最後まで自らの責任を感じることなく、単に自分の娘を心配して、それでさえ権力側の特権を使って行動する姿は哀れとしか言いようがありません。残念ながら、そのリューダにだけは冷めた目が感じられない映画ではあります。