パリ13区

セックスというコミュニケーション

ジャック・オディアール監督は割と硬派な映画を撮る監督との印象を持っていましたので、結末にはちょっと驚きました。終わってみれば、え?今どきの日本映画じゃないの?!と思ったということです。

パリ13区 / 監督:ジャック・オディアール

日本映画で言えば恋バナ映画

4人の男女の恋愛話です。オディアール監督だから何かあるだろう、何かあるだろうと中盤あたりまでは先の展開を期待していたんですが、ノラ(ノエミ・メルラン)とアンバー・スウィート(ジェニー・ベス)が素でチャットを始めたあたりからは、ああ、このふたりは愛し合うことになるなと予想がつき、フランス版恋バナ映画なんだなと理解した映画です。

それにしても、この映画からセックスを取り除けば、いま日本映画の主流(?)になっている恋愛ものとほとんど変わらないのじゃないかと思います。

ネタバレあらすじ

エミリー(ルーシー・チャン)とカミーユ(マキタ・サンバ)はルームシェアすることになり、その日のうちにセックスします。次第にエミリーはカミーユに愛情を感じ始めます。しかし、カミーユにその気はありません。カミーユが他の女性とつきあい始め(というかセックスのみ)、それが原因となりルームシェア自体を解消します。

ここでいったんふたりのパートは終わり、ノラ(ノエミ・メルラン)のパートになります。ノラは32歳(だったと思う)、ボルドーからパリにやってきてソルボンヌ大学に復学します。他の学生との年齢差を感じているのか、気持ちの上で頑張っている状態です。あるパーティーに金髪のウィッグにマイクロミニで参加します。その姿がネットでセックスワーカーをしているアンバー・スウィートにそっくりであったことからSNSで拡散され大学に居づらくなりやめてしまいます。

ノラは働くことにし、経験のある不動産業の募集に応募します。雇い主はカミーユです。カミーユは、おそらくこれまでつきあってきた女性と違う感じを受けたのでしょう、ノラに恋をします。カミーユはかなり本気ですが、ノラは何かが引っかかっているようで、しばらくして付き合い始めてもなかなかうまくいきません。セックスもうまく噛み合いません。

その頃、エミリーは、喪失感からか出会い系サイト(と言うより即セックス目的)でパートナーを見つけてはセックスだけの関係を繰り返しています。カミーユとはそっけないながらもメールや電話のやり取りは続いており、ノラのことも紹介されて会っています。

ノラはカミーユとの関係にしっくりしないものを感じているようで、ある日、自分が間違えられて揶揄されたアンバー・スウィートにチャットしてみます。アンバー・スウィートは何が望み?(性的な行為のという意味)と尋ねますが、ノラは何もしなくていい、話がしたいと言い、そんな状態がしばらく続きます。もちろん有料です。そして、ある時、ノラが追加料金を支払おうとした時、アンバー・スウィートは個人用スカイプに連絡してと言います。そして、アンバー・スウィートとのスカイプでのやり取りは、たとえば、夜眠る時、目覚めた時寂しいから切らないでと言い合う関係になります。ノラは個人的にも仕事でもカミーユとの関係を絶ちます。

エミリーの祖母が亡くなります。エミリーの住まいは祖母の持ち物であり、かなり広いがためにルームシェアを求めていたということであり、この機にアパートメントを処分することになります。

そしてラストです。ノラが公園のベンチに座っています。待ち合わせをしているようです。ふっと振り返りますと、アンバー・スウィートがゆっくり歩いてきます。見つめ合うふたり、そして、これからどうする?しばらく歩く、と言葉をかわし歩き始めた瞬間、ノラが崩れ落ちます。大丈夫?!と支えようとするアンバー・スウィート、ふたりの顔がアップになり、ノラが「キスして」と言い、アンバー・スウィートが唇を重ねます。

アパートメントを退去しようとするエミリー、その時部屋のインターフォンが鳴ります。カミーユです。下にいると言います。祖母の葬式に一緒にいってくれるということのようです。再び、インターフォンが鳴ります。カミーユです。「愛している」と言います。

セックスというコミュニケーション

こうやってあらすじを書いてみますと、やはりセックスを除けば今どきの日本映画とほとんど変わりません。一昔前のトレンディードラマにもなりそうです。

でも、何かが日本の恋愛映画とは違います。やはり、わざわざ除けばと書いたセックスでしょう。

今では日本でもセックスシーンのある映画が特別話題になることもないとは思いますが、この映画のような描き方の映画はさすがに見たことはありませんし、描こうとしてもまず無理でしょう。

この映画のセックスは終着点ではなくスタートであり、会話することと同次元に描かれています。日本の恋愛映画の場合はセックスできる関係をゴールにしていることが多いのでないかと感じます。もちろんそれを目的に描かれているということではなく、セックスできるほど親しくなることが愛情であるかのようだという意味です。

セリーヌ・シアマ、レア・ミシウス

これまでのオディアール監督とは何かが違うと感じるのは、シナリオに「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマ監督やレア・ミシウスさんという方が加わっているからかもしれません。

4人のうち、カミーユが見た目の人物像になっていることからもそんな気がします。エミリーとノラは内面を感じさせるしっかりした人物造型ができているのですが、カミーユは何を考えているのかよくわかりません。教師をやっていて友人に任されたからといって未経験の不動産業に転身するというのも、よくよく考えれば、たとえ上級試験を受けるためとはいえ、別に教師をやりながらでも勉強はできると思われますのでおかしなことです(笑)。エミリーとノラを会わせるために考えられた設定でしょう。

ノラがカミーユに、誘うような目つきや性的な視線を投げつけないでと怒っていたのも、確かにそういう描写のシーンではありましたが、女性が常日頃からそうした視線を浴びているということだと思います。

ラストシーン、カミーユはエミリーに「愛している」と言っていましたが、あれは男性に対する皮肉のエンディングでしょう。それまでのカミーユの描写から考えれば、突然「愛している」はあり得ません。あの台詞をマジで言わせているのであれば、カミーユの人物描写ができていないということです。

エミリーとノラという人物

ルーシー・チャン

エミリーという人物はとても魅力的です。無茶苦茶タフで反抗心も旺盛な性格なのにカミーユにふられればかなり落ち込みます。映画の始まりではネット通販のオペレーターをしていますが、働き方は企業や客に従順とはいえません。解雇され、レストランのホール担当に転職しますが、ここでも30分抜け出してセックスで気分転換(踊っていた)したりします。

とても自由なエミリーです。これまでの映画では男性の人物像として多く描かれてきたタイプの人物です。それをルーシー・チャンさんが見事に生きた人物として演じきっています。2000年生まれですので撮影時は20歳くらいだったということです。

ノエミ・メルラン

ノラにはシナリオとして加わっているセリーヌ・シアマさんの考えが多く反映されているように思います。ノラとアンバー・スウィートとの出会いからラストまではそんな感じがします。もちろん誰のアイデアかはわかりませんが、ラスト、ノラがいきなり崩れ落ちるところなんて無茶苦茶うまいです。

演じているのは「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルランさんですが、ウィキペディアを見てみましたら、1988年生まれですので撮影当時32歳くらいですし、両親が不動産業者とあります。ボルドー生まれではありませんが、シナリオのレア・ミシウスさんが同年代のボルドー生まれです。

映画のキャラクター設定にシナリオライターや俳優の実像を使っているようです。

ジャック・オディアール監督

映画の作りに成熟さを感じます。偉そうな言葉をつかっていますが、過不足なくとてもうまくできているということです。多くの才能の調整役のような役回りで作られた映画かもしれません。

音楽の使い方もうまいです。モノクロの映像も生きています。モノクロにしている一番の理由は生々しさを避けたいためでしょう。