ナミビアの砂漠

あみこ、カナ、山中瑶子監督の分身かな…

前作「あみこ」のレビューに「こういう才能が継続的に映画が撮れるといいのですが…」と書いた山中瑶子監督の長編二作目です。今年2024年のカンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞したとのことです。

ナミビアの砂漠 / 監督:山中瑶子

ナミブ砂漠の人工水飲み場…

あみこ」は2017年製作となっていますので7年前ですね。その間、短編が2作クレジットされていますが、やはり日本では才能はあってもなかなか継続的に撮れる環境は整わないのでしょう。その怒りがこの映画で爆発したようです。

タイトルの「ナミビアの砂漠」って世界遺産の「ナミブ砂漠」のことですね。あらためてウィキペディアを見てみましたら「ナミブ」は主要民族であるサン人の言葉で「なにもない」という意味ウィキペディア)らしいです。それを知ってのタイトルかどうかはわかりませんが、「わたしも、あんたも、みんな、な~んもない!」って叫んでいるような映画でした。

率直に言って映画としては面白くないのですが(ゴメン…)、ただ、その叫びも怒りもどこにぶつけていいのかわからないと自分の中でグルグルしているのがいわゆるZ世代なんだと、山中瑶子監督が考えていることがよく分かる映画でした。

ところで、ラストのナミブ砂漠のシーンは野生動物が見られるというライブカメラですね。

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人工の水飲み場に吸い寄せられて世界中から見られている動物のような気分ということもあるのでしょうか。カナ(河合優実)もスマホでよく見ていました。

オトコたちの人物造形…

ドラマとしては何もありません(ゴメン…)。自分を持て余し、何となく毎日を生きているカナ(河合優実)を追い続けているだけの映画です。

カナをそう見てしまう世の中に怒っているのかも知れません。

冒頭のシーン、カナがイチカ(新谷ゆづみ)とカフェで会うシーン、二人の会話と周りの会話や雑音、特にノーパンしゃぶしゃぶがどうこうと話す男たちの会話を同じくらいの音量でごちゃごちゃに聞かせる処理がしてありました。

カナの耳に届いている音ということです。カナには世の中のことがそう聞こえている、そう見えているという演出なんでしょう。その意図だとすればあまりうまくはいっていなかったです。河合優実さんの演技とマッチしていないです。

カナは21歳、エステサロンで働いています。ホンダ(寛一郎)と同棲していますが、ハヤシ(金子大地)とも付き合っています。

今、公式サイトを見てみましたら、この4人だけがカタカナ表記であとの登場人物はフルネームかつ漢字かな表記です。それに4人のうち女は名前表記で男は名字表記です。意図的ですね。

で、男ふたりはよくカナに謝りますし、男目線で見ますとふたりともいい奴です(笑)。でも、女目線で見ますとそうじゃないんですね(多分…)。ホンダの方は男目線でもちょっとキモい(Z世代も使う?…)のですが、それでもカナを気遣ってくれますし料理もしてくれます。

カナはある日突然、そんなホンダを捨てて(笑)ハヤシと暮らし始めます。それもホンダの手作りハンバーグの入った冷蔵庫まで持っていってしまいます。あの冷蔵庫はカナのものだったんですね(笑)。ハヤシは脚本を書いていると言っていました。収入につながっている様子はなく、多分親のすねかじりという意味でキャンプシーンを入れているのだと思います。両親はハヤシをニューヨークで産んだととか言い、インター(ナショナルスクール)に入れようとしたのになんて言っていました(笑)。

この映画、ジョークが多すぎます(笑)。ノーパンしゃぶしゃぶ(よく知っていましたね…)もそうですし、ハヤシの同級生という官僚を出したりもしています。

とにかく、ハヤシはわりと一般的な男に造形されています。やさしいです。でも、カナがかまってちゃんになって行き過ぎますとキレます。キレても一歩手前で抑え、その場から逃げ出します。

山中瑶子監督はこういうオトコたちをどう見ているんでしょう。ホンダもハヤシも男性性を抑えて生きることを求められている人物です。可愛そうだねということなのか、本気でぶつかってきてくれないと思っているのか、カナとハヤシのぶつかり合いも終盤になりますと、じゃれ合うような取っ組み合いになっていきます。ああした関係に何かを見出しているのか、あれもなにかのジョークなのか、とにかく、この映画はっきりしたことは何もわかりません。そのようにつくられた映画です。

中絶のシーンもそうです。カナはホンダには自分が中絶したと嘘をついてキレ、ハヤシには過去に誰かに中絶させた(かどうかは不明…)ことを責めてキレまくります。オトコという存在全般への怒りなんでしょうか。

唐田えりかとの幻想シーン…

唐田えりかさんがかなり意味深な役回りで終盤に登場していました。カナとハヤシが暮らすアパートの隣の部屋に住んでいる女性遠山ひかりで、ある夜、カナがベランダに出たときに出会うのですが、暗闇の中の横顔という登場のさせ方をしていました。

山中瑶子監督が唐田エリカさんになにか魅力を感じている登場のさせ方です。

カナがハヤシに、あの人、私たちのことわかっていると言い、その後、前後のシーンを記憶していませんが森の中で火を焚く遠山ひかりを追いかけてきたような感じでカナが来てふたりで話をするシーンがあります。ちょっと次元が違ったシーンで、その後、その焚き火を飛び越えるような動きをふたりで繰り返します。

重要なシーンですし、こういうところに何かを託しているようにも見えます。

そして、河合優実さんという俳優、結構見ています。「由宇子の天秤」で名前とともに記憶したんですが、その前に「サマーフィルムにのって」のビート板が最初のようです。この映画ではハヤシの金子大地さんと共演しています。

今後伸びていく俳優さんだとは思いますが、この映画には合っていないんじゃないですかね。全編追い続けられる役というのは演じ過ぎちゃいけないんです。河合優実としてそこに存在していなくっちゃいけないんです。

多分、映画そのものもそうなんですが、現実的過ぎるんだと思います。「あみこ」も「カナ」も山中瑶子監督の分身だと思いますので、もう少し現実から遠ざけた存在として描かないと映画としての拡がりがなくなります。その点では「あみこ」のほうが映画としては優れています。

ということで、最近のわかりやすい日本映画の中にあってこういうストレートな映画を撮れる人が大切にされないとつまらなくなってしまいますので、やはり「こういう才能が継続的に映画が撮れるといいのですが…」ということになります。