ふたつの部屋、ふたりの暮らし

サスペンスタッチで描かれる高齢レズビアンの恋愛

2021年のセザール賞で新人監督賞受賞の映画です。監督のフィリッポ・メネゲッティさんは1980年生まれですので40歳くらいでの作品になります。公式サイトのプロフィールによりますと、主にイタリアで活動していたようですが2018年からフランスに拠点を移し、この「ふたつの部屋、ふたりの暮らし(DEUX)」が長編ビュー作となっています。

出演は「ハンナ・アーレント」のバルバル・スコヴァさんとマルティーネ・シュヴァリエさん、シュヴァリエさんは映画よりも舞台での出演が多いようです。

ふたつの部屋、ふたりの暮らし / 監督:フィリッポ・メネゲッティ

映画のつくりはサスペンスタッチ

高齢者の恋愛、それもレズビアンのふたりというところに目がいきますが、むしろ特徴的なのはサスペンスフルに人間関係を描いていることでしょう。

ニナ(バルバラ・スコヴァ)とマドレーヌ(マルティーヌ・シュヴァリエ)は南仏モンペリエのアパートメントの向い合わせの部屋に住んでいます。ワンフロア2部屋で間にエレベーターがあり、ドアが向い合わせにありますのでドアスコープで出入りが見えるというつくりです。

二人ともに60歳代から70歳くらいの年齢に見えます。ふたりは愛し合っており、ふたりの最初のシーンは、夜、ふたりがキスをし愛し合う場面です。互いに部屋を行き来しあって暮らしており、鍵も持っているということです。ふたりはマドレーヌのアパートメントを売り、それを資金にローマで暮らそうと話し合っています。不動産屋の下見も済まして、後はマドレーヌが娘と息子に話すだけです。

しかし、ある日マドレーヌが脳卒中で倒れます。発見したのはニナですが、マドレーヌがふたりのことを秘密にしていたためにニナは愛するマドレーヌに会うことができません。必死に会おうとするニナの行動がサスペンスフルに描かれていく、そういう映画です。

暗さの強調と顔のどアップ

シーンの暗さと顔のどアップ映像でサスペンスっぽさが強調されています。

とにかく暗いシーンが多いです。陰影で見せようとしているシーンもあるにはありますが、それよりも暗いなあと感じるシーンがほとんどです。自然光で撮っているのかと思わせる暗さです。

顔のどアップ映像も多いです。印象としては映画の半分くらいがそうだったように感じます。ふたりの会話ではその切り返しも多くなりますので見ていても気持ちがざわざわしてきますし、ニナがマドレーヌに会おうと必死に行動するその顔のアップ、それも目だけを撮ったりしていますので、その緊迫感が伝わってきます。

それによく応えているニナ役のバルバラ・スコヴァさんでした。マドレーヌのマルティーヌ・シュヴァリエさんの方は、倒れた後の障害を表現することが非常に難しい役ですので大変だったと思います。

レズビアン、高齢者の恋愛

マドレーヌの誕生日、娘母子と息子がお祝いに来ています。マドレーヌはニナとのことを話し、ローマで暮らすと話そうとしますがどうしても言えません。

恋愛大国(?)のフランスの話とは思えないような映画です。後日、マドレーヌはニナに子どもたちはわかってくれたと嘘をいい、その後それが嘘だとばれたときに、ニナが、高齢者のレズビアンの何がダメなの!とキレていましたが、おそらくレズビアンがどうこうとか高齢者だからとかは(フランスでは)一般化できる話ではなく、この家族に限ってと理解したほうがいいように思います。

マドレーヌの夫はすでに亡くなっていますが、生前マドレーヌに暴力を振るっていたと語られており、マドレーヌはそれを我慢していきてきたという設定です。つまり、マドレーヌは自ら行動を起こすことが苦手なタイプであるということで、子どもたちに話せないということもそこからだということです。

ですので、この映画は、レズビアンであることや高齢者の恋愛が社会で認知されないことを描いているわけではなく、ある特殊な環境で突然愛する者に会えなくなった側の行動をサスペンスフルに描くことが主題なんだと思います。

映画などを見ていて思う程度のおそらくですが、現実のフランスの多くの場合なら、子どもたちも抵抗なく認めるでしょうし、そもそも了解を取ることなく一緒に暮らしていると話せば済むと思います。

ニナの行動にヒヤヒヤ

ということで、この映画の見せ場はニナの行動です。常識的にはかなりハチャメチャな行動ですので具体的に書かないと想像できないことです。おそらく多くの人はこんな行動をするよりも説明して自分が介護すると申し出るでしょう。

とにかくニナの行動はこうです。

病院でも娘のアンヌからはお礼を言われるだけで会うこともできません。その夜、ニナはいつものようにだと思いますが、マドレーヌの部屋に行きベッドに横になり思い悩んでいます。アンヌが着替えなどを取りに入ってきます。慌ててバスルームに隠れます。アンヌがバスルームに入ってきます。ニナはバスタブに入りシャワーカーテンを閉じます。

見ていてドキドキします。そんなシーンが続きます。

マドレーヌが失語状態で歩行も困難になって24時間介護の介護士とともに戻ってきます。ドアスコープで様子を見る毎日です。深夜、部屋に忍び込みます。介護士が水を飲みたいのか起きてきます。身動きせず身を潜めるニナです。

ニナは介護士に買い物に出るときなどは自分が預かるなどとあれこれ交渉しますが、次第にその執拗さに疑いを持たれることになります。何かの折に(忘れた)介護士が車を使う必要があり、車を持っていることを条件に雇われたのに実は持っていないとなり、マドレーヌの車を使うことになります。アンヌが介護士にぶつけないでよと釘を差します。その夜、ニナは車を金属棒で叩きつけます。翌日、アンヌが介護士を叱りつけます。介護士はニナの仕業と目星をつけてニナのもとにやってきます。ニナはお金で介護士を買収します。

ある日、マドレーヌがいなくなります。後に発見はされますが、介護士は解雇されます。その夜、アンヌが泊まり込むことになります。ニナが何をどう考えたのかはわかりませんが、深夜部屋に忍び込み、ベッドに横たわるマドレーヌの隣に潜り込みます。夜が明け、アンヌがベッドの上のふたりを発見します。アンヌは、出ていって!と叫びます。

ここも多くの場合は話し合いとなり、ことは良い方に進んでいくとは思いますが、これは映画ですので、アンヌはアパートメントには置いておけないとして自分の住まいにマドレーヌを連れていきます。ニナがその住まいを訪ねます。冷たくあしらわれます。ニナは石を投げつけガラスを割ってしまいます。

マドレーヌは施設に入れられ、薬が多用され、状態が悪くなっていきます。マドレーヌが施設からニナに電話をします。言葉は発しませんがニナにはそれとわかります。これまでもマドレーヌはニナを見るたびに反応していますし、ニナには次第に自分を認識し始めてきていることがわかるようなマドレーヌのどアップのカットが挿入されています。

ニナは施設を訪れ、マドレーヌを密かに連れ出します。その時アンヌも施設を訪れており、その様子を窓越しに見ているのですが黙認します。

ニナはマドレーヌを一旦アパートメントに連れ戻し、荷物をまとめてローマに逃げようとします。自室に戻りますと鍵が壊されお金が盗まれています。介護士が一度息子を連れて約束の金をくれとやってきていますので犯人は介護士でしょう。仕方なく、ニナはマドレーヌの部屋に戻り、中から鍵をかけてしまいます。駆けつけたアンヌがドアを叩きますが、ふたりはベッドに横たわったまま動こうとはしません。

少女ふたりのシーンは?

ということで映画は終わっていますが、実は、映画の冒頭、ふたりの少女が公園のような木立でかくれんぼをしているシーンから始まります。ひとりが木の陰に隠れます。もうひとりがあちこち探し、そして、その木の裏に回り込みますが出てきたの探している少女だけで、隠れた少女はいなくなっています。その後、ニナとマドレーヌの最初のシーンに入っていきます。

また、マドレーヌが倒れる前、ふたりで同じその場所を訪れるシーンがあり、マドレーヌがなにかの折に池の畔に行きますと水の中に白いものが漂っているのを見ます。

そして、これはマドレーヌが施設に入った後のニナの見た夢だったと思いますが、ニナが池の畔でその白いものを引き上げますと溺れ死んだ少女だったというシーンがあります。

これは、ふたりの関係を表現するシンボリックなシーンだったということなんでしょうか。

また、テーマソングのように「Chariot(Sul mio carro)」が何度か流れていました。エンドロールでも使われており、歌詞は「あなたが私と一緒に来るなら…」と始まっています。

※スマートフォンの場合は2度押しが必要です

それにしても、日本ならともかく、フランスではありえそうもない話でした。