ハンナ・アーレント/マルガレーテ・フォン・トロッタ監督

思考する能力を放棄することによって生まれる「悪の凡庸さ」

3週目ですが、1日1回上映ということもあるのでしょうか、超満員でした。名古屋での上映はシネマテークで来週いっぱいです。公式サイトの劇場情報を見てみたら、3月末まで全国のミニシアターでの上映が決まっているようです。人気からするとまだまだ増えるかも知れませんね。

映画のつくりは、極めてオーソドックスで、あたりまえですが、奇をてらうことなく、たんたんと、ハンナ・アーレントの生き様そのもののように、極めて思索的に作られています。

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、「ローザ・ルクセンブルク」も見ていませんし、名前を知っているくらいなんですが、フィルモグラフィーを見てみますと、日本での劇場公開は少なく、最近作は、DVDスルーのようです。この秋、「ローザ・ルクセンブルク」が高野悦子さん追悼上映として岩波ホールで再上映されたんですね。

と言うことで、映画ですが、思索的である反面なのか、あるいは、であるがゆえか、やや単調と言えなくもなく、隣の客からはいびきがもれていました。

ただ、ラスト近く、ハンナが、アドルフ・アイヒマン裁判のレポートへの批判や中傷誹謗に対して、自ら反論する8分間のスピーチは圧巻です。この8分間のためだけにでも見る価値はあります。ハンナ・アーレント、スピーチで検索すればいろいろヒットすると思いますのでスピーチの内容は書きません(詳しく記憶していませんし…)が、学生を前にしたそのスピーチは、当然、映画的にも万雷の拍手(ちょっとオーバー、それほどではない)ということになり、同席していた批判者もその場を逃げ出すことになります。

このシーン、確かに感動もしますし、それまでの流れが批判のオンパレードでしたので、見ていて、すっと気持ちが解き放たれるのですが、一方、これで終わったら普通の伝記物だなあと不安を持って見ていたら、やはり重要な1シーンがありました。

スピーチを終えたハンナは、客席に中に、学生に混じって聞いていた、共にハイデッガーに師事した(と思う)友人ハンスをみつけ、「来てくれたのね」と声をかけます。レポート発表以来、友人関係にひびの入っていたハンスも誤解を解いてくれたと思ったのでしょう。でも、ハンスは「君は裁判も哲学にしてしまう」(だったように思う)と冷たく言い放ちその場を去っていきます。

台詞(字幕)としてはいいものとは思いませんでしたが、「そうは言っても、人の憎しみは消えはしない」といったニュアンスでしょう。

「悪」はどこから生まれるのか? ハンナのスピーチは、思考する能力を放棄することによって生まれる「悪の凡庸さ」を語っていますが、確かに、憎しみは共有できなくとも、思考停止はいついかなる時でも起きそうです。それも集団的に。