だれかの木琴/東陽一監督

常盤貴子と池松壮亮の存在感が映画をきめている、誰にでもストーカーになれそうな気がする映画?

よく分からないけど、この映画面白いです(笑)。

何が「よく分からない」かは後回しにして、東陽一監督の映画は「サード」以降何も見ていなくて、30年ぶりに見た「酔いがさめたら、うちに帰ろう」を見てがっかりした話はこちらなんですが、この「だれかの木琴」を見ると、映画にとって、いかに俳優が重要かがよく分かります。

映画はよく分からなくても、俳優の存在感で十分面白くなるという意味です。

小夜子は、夫の光太郎と中学生の娘かんなと3人暮らし。念願の一軒家に引っ越した小夜子は、近くで見つけた美容院で若い美容師山田海斗に髪を切ってもらう。その日のうちに海斗からのお礼のメールが届き、なにげなく返信するが、なにかが小夜子の中でざわめいたのだった。その返信にさらに返信を重ね、レスが途絶えると再び店を訪れて海斗を指名する小夜子。2人の関係がたどり着いた思わぬ結末とは──?(公式サイト

物語は、あらすじを読めば分かるように、主婦がたまたま担当してくれた美容師からの営業メールをきっかけにストーカー行為に及ぶ話ですが、何が面白かったかといいますと、常盤貴子さんが演っている小夜子がいわゆるストーカーらしくないのです。

らしくないと書きますと否定的にとられそうですが、そうではなく、いわゆるストーカーのイメージといいますと、執着、妄想、変質、自己中などが浮かびますが、常盤貴子さんの小夜子にはそうした資質が感じられないにも関わらず、紛れもなく立派なストーカーなんです。

らしくないと言うより、ああストーカーって、実はこういう感じかもしれないと思わせる、そんな感じでしょうか。ストーカーの入口があるとすれば、この小夜子はそのあたりにいるということなのかもしれません。

面白いと感じるのは、海斗を演っている池松壮亮さんとのバランスがいいということもあるでしょう。海斗は、自分のアパートを探り出され、ドアノブに果物でしたっけ?が入ったレジ袋を掛けておかれたり、いきなり訪ねられたりするわけですから、相当気持ち悪く思っているにも関わらず、ある種他人事のように振る舞う人物で、どこか違うところにいるような池松壮亮さんのあの存在感がぴったりなんです。

逆ですね、池松壮亮さんが演ったから、あの海斗になったんですね。

いきなり尋ねてきた小夜子を、恋人(佐津川愛美)と一緒にいるにも関わらず部屋に上げてしまうくだりも、よくよく考えれば、ありえんよと思いますが、池松壮亮さんは、それをやっても違和感を感じさせないんです。

その恋人役、公式サイトにも役名がないのですが、佐津川愛美さん、「ヒメアノ~ル」の女性役の俳優さんですね。この人もいいですね。

といったところが良かったわけですが、で、何が分からないかといいますと、結局、上に書いてきたことと同じになりますが、小夜子がストーカー行為におよぶ理由がわからないんです。日常への倦怠? 性的なもの? ちょっとした心の隙間? 

何だか堂々巡りになってしまいますが、考えてみれば、分からなくて当たり前で、結局、東陽一監督が、見事にストーカーの本質を描いたということなのかも知れません。

そう言えば、「だれかの木琴」の話って何か関係していました? 原作を読むしかないですね。

だれかの木琴 (幻冬舎文庫)

だれかの木琴 (幻冬舎文庫)