浅野忠信の役作りしない演技が功を奏して
随分古臭いタイトル付けだなあと目につき、公式サイトを見てみましら、原作が重松清さんの小説で、タイトルも原作通りとのこと、重松清さんは10年くらい前に結構ハマって何作が読みましたが、この作品は知りませんでした。
1996年、20年前の作品ですか、中途半端に古いですね(笑)。
重松清さんって、少年の話が多いですよね。いじめであったり、父子であったり、友情であったり、そんなテーマで、印象としては結構重い話であってもどこか前向きで気持ちよく読み終えられたように記憶しています。
さて、この映画はどうでしょう?
監督:三島由紀子
再婚し妻の連れ子と暮らす田中信。妻奈苗は専業主婦。元妻友佳との間の娘とは3カ月に1度会うことを楽しみにしている。信と奈苗の間には、新しい生命が生まれようとしている。血のつながらない長女は「やっぱりこのウチ、嫌だ。本当のパパに会わせてよ」。信は長女を実の父と会わせようとするが…。(公式サイト)
なるほどこういう話ですか。やっぱり、映画でも中途半端な古さを感じますね。
バブル崩壊後を色濃く感じさせるロケーションや信のリストラ話もそうですが、信と奈苗の家族観が現代的ではありません。
もちろん映画のような家族が今あるかないかという意味ではなく、映画であれ何であれ、フィクションで家族を描くのであれば、普遍性を感じさせるくらい古いか、今現在問題になっているテーマに切り込むかどちらかでしょう。
田中信(浅野忠信)は、奈苗(田中麗奈)と4年前に再婚し、奈苗と前夫の間に生まれた女の子二人、6年生の薫と幼稚園児の恵理子とともに暮らしています。また、信にも前妻との間に女の子、(6年生くらい?の)沙織がおり、年に4回会うことを認められ、信も娘も楽しみにしているようです。
映画は、奈苗が妊娠したことにより、それまでうまくいっていると思われた家族関係が崩れていくさまを描いています。ただ、結果的に悲劇的になることはなく、何とか成るんだろうと終わるところは重松清さんの原作らしく感じられるところではあります。
で、なにが中途半端に古いと感じさせるのかを考えてみますと、まず、信が実の親子、つまり血がつながっているかどうかということに異常にこだわっていることがあります。次女の恵理子には意識的に隠そうとしていますし、すべて知っている薫に対しても、しきりに自分がパパだと、実の父はいないかのように説き伏せようとします。
なぜこうした家族観を持った話を今映画にしようとしたのでしょう。
どうですかね…、今なら、薫には実の父親がいるが、今の父親は自分だといった関係を大切にしつつ新しく家族を築いていこうとするのが一般的感覚じゃないでしょうか。
薫にしても…、そうそう、映画では薫は中学生か高校生かと思って見ていましたので聞き分けのない子だなあと、何だか強い違和感を感じましたが、小学6年生の設定らしいです。違和感は、設定だけではなく、薫の心に変化が感じられず、映画の最初から最後まで拗ねたままというのもそう感じさせた一因なんですが、それは置いておいて、話を戻しますと、仮に6年生だとしても、今の感覚ですと、両親に子どもが出来ることくらいは理解して、葛藤はあるにしてもあんな状態にはならないだろうということです。
奈苗と元夫の件も現代的ではないですね。
くどいようですが、なぜこの本を今映画化しようとしたのかということが言いたいだけで、原作に文句を言っているわけではありませんのでツッコミなしでお願いします(笑)。
回想シーンに恵理子が生まれたばかりの頃の話があり、元夫が恵理子の泣き声をうるさいと怒り、首を絞めてしまえと言い放ち、奈苗や薫を殴り、薫の歯を折ってしまう場面があります。
ここには現在であれば捨てておけない問題があるでしょう。
児童虐待、シングルマザーの貧困、それをこの映画で描けとは言いませんが、その視点のない家族の物語はどう考えても中途半端に古いでしょう。
結果として書き始めましたらこうなってしまいましたが、映画として見られないわけではなく、実はちょっとした不思議な感じの映画になっています。
どういうことかといいますと、多少なりとも重松清さんの本を読んだ経験から想像しますと、おそらく原作は信の心の葛藤を追っていく内容ではないかと思います。
ところが映画では、信がそうした内省的な人物には見えません。むしろ浅野忠信演じるところの信は常に何かやりそうな不穏なものを持っています。薫とのやり取りにしても、顔色ひとつ変えずに話すその裏では何を考えているかわからないところがあり、いつ爆発するか分からないようなところがあります。
なぜそうなったかは浅野忠信さんがそういう俳優だからです。役作りをしない俳優、その存在だけで主張しうる俳優だからです。
仮に、役作りがうまく濃密に演じる俳優が信をやったとしたら、おそらくくどくなりすぎて見てはいられなかったでしょう。