さよなら、僕のマンハッタン

男の過ぎ去った青春妄想映画だが、あえてお勧めする

あまりのメロドラマに、涙と笑いが同時に起きてしまいビックリ!

はたしてこの映画はお勧めすべき映画なのかと迷うような(?)よくできた映画でした。とりあえずは素直におすすめ映画にピックアップしておきます(笑)。 

ただし、内容は女性の人格を無視した男の妄想映画ですのでご注意。

監督は、半年くらい前に「ギフテッド gifted」を初鑑賞のマーク・ウェブ監督、正直なところ、同じ監督とは思えないですね。なかなか共通点が見いだせない感じですので、器用な監督ということなのかもしれません。

監督:マーク・ウェブ

公式サイト

この映画のいいところは、まずはキャスティング、そしてむちゃくちゃベタな話をむちゃくちゃベタにやりきっているところです。その徹底さに感動します。

まずは物語からですが、ただ、この映画をその間合いや音楽を伝えづらい言葉だけで語ろうとしますと、語れば語るほど陳腐になることは間違いないでしょう(笑)。

自分の進路にも、そして恋にも悩み多き青年トーマス(カラム・ターナー)は、大学卒業を契機に両親の元を離れひとり暮らしを始めます。トーマスにはミミ(カーシー・クレモンズ)という女ともだちがいますが、ミミには現在のところ恋人がいます。二人は一度だけ、その場が盛り上がったのでしょう、男女関係を持ったことがあり、トーマスはそれが愛だと思い、しかしミミは私には恋人がいるし、あれはただ一度だけのこととやんわりと断ります。

そうした悶々とした気持ちを抱えたトーマスですが、新しい住まいで隣人の W.F.ジェラルド(ジェフ・ブリッジス)という初老の男性と出会い、いつしか悩みや迷いを打ち明けるようになります。ミミとの関係についても話しますが、そのアドバイスがちょっとした伏線になっています。はっきりした台詞は記憶していませんが、追う追われるの関係性、つまり、今トーマスはミミを追っているが、トーマスが飛び出せば、ミミは追ってくるみたいな、そんなことを暗示しているようなことを言っていました。

実は、この映画、冒頭から渋い男性の声でナレーションが入り、この W.F の登場で、ナレーションが W.F によるものであり、映画が W.F の回想(のようなもの)である二重構造なのだとわかります。なぜ、そうなっているか後半に明かされます。

この W.F をやっているジェフ・ブリッジスさん、遡れば相当見ているのですが、画としてはっきり記憶しているのは「ドア・イン・ザ・フロア」、ああ、役回りとしてはこの映画とよく似ていますね。こういうどことなく崩れた、でもちょっと知的な作家のような役がよく似合うんですね。この映画でも作家です、って明かしてしまえば、もう話がわかっちゃいますね。

一方のトーマスをやっているカラム・ターナーさん、素直な好青年って感じがとてもいいです。彼だからこその映画になっている感じがします。

トーマスの父親イーサン(ピアース・ブロスナン)は出版関係の会社を経営しており、社会的にはまあまあの成功者で、生活状態もミドルクラスというところでしょうか、ただ、夫婦にはなにか問題があるらしく、母親ジュディス(シンシア・ニクソン)はなにか神経症的な病を抱えています。これも後半ラストで明かされます。

そしてもうひとりの人物、ジョハンナ(ケイト・ベッキンセール)。ある日トーマスは、ナイトクラブで父親が見知らぬ女性と親密に寄り添う姿を目にします。ジョハンナです。そのふるまいは明らかに男女関係があることを思わせます。

といった感じで、この後、この6人で、どういう結末になるかは別にしておよそ何が起きるかは想像のつく物語が進んでいくのですが、もうひとつ、その物語の裏(というわけでもないが)にあるのがニューヨークという街の変遷とそこに住む(あるいは思い入れのある)人々の郷愁のようなものです。

そうしたことはナレーションでかなり矢継ぎ早に語られていきますので、実際の NYを知らない私などにはわかりにくかったのですが、まずトーマスと両親の暮らす地域の違いと変化が象徴的に語られています。

公式サイトのロケーションマップにありますが、両親が暮らしているのがアッパーウェストサイド、いわゆる高級住宅街なんですね。一方のトーマスはロウアーイーストサイド、公式サイトからそのまま引用しておきますと、

トーマスの住むダウンタウンで最も安い地域。元々ミュージシャンなど若いアーティストが集まる地域でおしゃれなバーやライブハウスが多い。最近では地価の高騰もあり、ブティックホテル、レストランが並ぶ最新のトレンディスポットに変貌している。

とのことで、おそらくトーマスは、アッパーウェストサイドで暮らすことに象徴される、社会的に成功することと引き替えに何かを失い物分りのいい大人になってしまうことを拒否する意思表示として、このロウアーイーストサイドで暮らすことにしたのでしょう。

これ自体かなりベタな設定なんですが映画としては非常に分かりやすいです。映画の中頃には、父親が、(家賃の)差額は出すからこっちに引っ越してこいというシーンも入れていました。

また、母ジュディスの精神的な安らぎのために父イーサンが定期的に夕食会をやっているらしく、同年代、同階層の数家族(夫婦)が集まり昔話に花を咲かせるわけですが、トーマス自身は望んでいなくとも母のために参加せざるを得ず、ミミを誘ったりします。ミミは断るのですが、その会話の中で(確か)「あの人たち」といった言葉を使い、「大人たち」あるいは「社会的成功」への(かすかな)拒否感をもつ若者という、これまた青春物語には必須のベタな人物配置をしています。当然、その夕食会でもトーマスはひとり浮いた感じになります。

この夕食会のシーン、W.F のナレーションを入れつつ、話の内容に深入りせず、画自体はそれぞれの顔の切り返しがほとんどでテンポよく進めており、嫌味なく、わかりやすく、うまいです。

で、人間模様に話を戻しますと、トーマスは幾度かジョハンナの後をつけ、どういった人物であり、どこで暮らしているかを探ります。

この過程も、W.F に打ち明けたりアドバイスを受けたりするシーンを使いながら実にテンポよく進めており、W.F はトーマスの気持ちを、表向きは母親のためと言いながらジョハンナに惹かれているのだろうと、なかば煽るように答えるのです。実際、ジョハンナの美しさと(トーマスからみた)大人の女性のミステリアスさにはやられちゃいそうです(笑)。

ついに思い切って声をかけたトーマスにジョハンナは「あなた、トーマスでしょう」と逆に驚かせ、そのわけをイーサン(父親)の机にあった写真で見たと答えます。このあたりも細かい伏線になっており、先に言ってしまいますと、ラストで明かされるイーサンのトーマスへの思いをジョハンナは知っているということです。

  

そうした思わぬ展開や W.F から煽られていることもあり、二人の関係はあっという間に進展し、ミミとともに出かけた(何だったかな?)パーティーで、ミミを置き去りにして、ジョハンナのアパートで関係を持ちます。

このあたり、映画的にはある種見どころでもあり、感傷的な音楽を使い、四の五の言わせぬテンポで、つくりもうまいなあとは思うのですが、ジョハンナにトーマスを誘うような振る舞いをさせており、ジョハンナの人格に深く立ち入ることなく、本来ならジョハンナの中では矛盾する行為をいとも簡単にさせているわけで、どう考えても、これ完全に「男の妄想」です。

その後も、ジョハンナにはイーサンとの関係も続けながらトーマスとも寝るという役回りをさせ、ジョハンナの内面的人格に触れることなく、何を考えているかということさえ無視しているわけですから、考えようによってはかなり罪深いかも知れません。

これ、おすすめ映画に入れていいのかなあ?

まあ、とにもかくにも、二人は逢瀬(というほど暗くはない)を重ね、ベッドの中で話をするシーンでは、トーマスがジョハンナの過去を聞きますと、そこは大人の女、ジョハンナは嘘とも本当ともつかぬ話をしてはぐらかし、かわりにあなたのことはよく知っていると、テニスがうまかったことや作家志望であることはイーサンから聞いていると話し、なにか書いたものをイーサンに見せたの?と尋ねますと、トーマスは、見せたら「無難だな」(serviceable?)との言葉が返ってきて、作家の道は諦めたと語ります。

これも伏線ですし、考えてみれば伏線だらけなんですが、重要なのがひとつ、ジョハンナとのことを W.F に話すシーンで、トーマスの顔から充実感(男ってこんなもの?)が感じられたのでしょう、W.F が「愛か?」などと振ったことの返しに「誰かを愛したことはあるの?」と尋ねますと、W.F は、一度だけある、愛していた女性を親友に取られたと語ります。おやおや先がちらっと見てきました。

そしてもうひとつ、たまたま留守の時に W.F のもとを訪れたトーマスは、「The only living boy in new york」と題された原稿を見つけ、W.F が実はジュリアン・ステラーズという作家であること、そして今、自分のことを W.F が書いていることを知ります。

W.F の心情からいけば、意図的に置いておいたということなんでしょうが、物語の展開上もあざとさと紙一重ではありますが、うまいと思います。

重要なのがまだありました。友人の結婚式のシーンで、トーマスは友人からだったか(適当でペコリ)、母ジュディスが公園かどこかでよく本を読んでいるところを見かけ、さらにそれがジュリアン・ステラーズであることを知らされます。

この文章、まとまりのない流れになっていて申し訳ないのですが、こうやって書いていますと、あああれもあった、これもあったと思い出し、今思えば、かなり緻密に構成されて物語だということに気づきます。

そして、いよいよクライマックスに近づいていきます。

父親イーサンが出版パーティーを開きます。トーマスは W.F を誘い、W.F も来るには来ますが、いざ母親に紹介しようとしますと姿を消してしまい、ああそういうことねという伏線を入れながら、W.F はジョハンナに「トーマスを傷つけたら許さないぞ」と、映画の流れ的にはちょっとばかり唐突なシーンを入れ、それもあってか、ジョハンナはそのパーティーの場でトーマスに別れを切り出します。

当然誰かに見られてはいけないという緊張感があるわけですから、そうしたどきどき感を生かしながら、むちゃくちゃメロスで、メローで、メロメロな音楽を流しながらのメロドラマシーンとなります(笑)。

トーマスが外に飛び出しますとそこは雨(何だこれ?と笑いと涙)、今度はミミとのシーンです。ミミは恋人とは別れたとトーマスに求愛します。ああ、恋って残酷ですね(笑)、トーマスは「ジョハンナと寝た」と告白し、ショックをうけたミミは、「あなたはもうあっち(つまり大人の世界)へ行ってしまったのね」と泣きながら去っていきます。

盛り上がりに水を差すようですが、まったくもって男に都合のいい話です(笑)。ミミが可愛そうとかいうことではなく、最初からこういう役回りでミミという人物を置いているわけですから。

翌日、父イーサンに呼び出されたトーマスは父の会社に向かい、その場にジョハンナがいることもあり、てっきりジョハンナとの関係を咎められると思い身構えますが、話は些細なことで、おそらくそれが逆に引き金になったのでしょう、ついに、ジョハンナが止めるのも聞かず、「ジョハンナと寝た」と告げてしまいます。

イーサンはトーマスの襟元を掴み、今にも殴りそうに怒りますが、そこは父であり大人です(じつは違う)、ぐっとこらえ、「ずっとお前のことを思ってきたのに…」と悲哀に満ちた面持ちでその場を去ります。

ジョハンナがあとを受け(って、冷静になって考えれば、ジョハンナ、落ちすぎですね)、「イーサンの言ったことは本当よ」と、写真の入った新聞記事の切り抜きをトーマスに渡します。

その記事はトーマスのテニスの試合の写真であり、よく見れば、トーマスの背後の観客席には W.F の姿が写っているのです。

普通のメロドラマであれば修羅場間違いなしのこの場面を、え?どういうこと?と、見事に見るものの意識を転換させ、どろどろの父子三角関係を忘れさせてしまうのです。

行きつけらしいブルックリンのバーで、トーマスが切り抜きをみせますと、W.F は語ります。

あの時代、自分もイーサンもジュディスも皆仲間だった。(おそらく皆作家を目指していたということだ思いますが)ひとりは早々と才能に見切りをつけ、結婚する道を選んだ。しかし、男は不妊症だった。男も女も、もうひとりの男との子どもを望んだ。そして男の子が生まれた。

涙ぐむ W.F の肩をそっと抱くトーマスでした。

やっぱり、これお勧めできません(笑)。

それに、まだ終わりではありません。

母親とトーマスの会話。トーマスが W.F のことを話しますと、「何を知ったの?」、トーマス「母さんの罪悪感の元だよ」。

そして一年後。トーマスは書店で(多分)働きながら、作家の道を目指しているようです。イーサンがやってきます。平積みされた「The only living boy in new york」を手に取ります。

セントラルパーク(だと思う)を歩く二人、イーサン「感想は?」、トーマス「父親の過去に驚いた」、イーサン「どっちの?」、トーマス「逃げなかった方の」。

互いに、ジョハンナとミミのことを尋ねていましたが、確か、ミミは留学先(クロアチア)から帰ってこないだろう、そしてジョハンナとはどうでしたっけ? 一緒に暮らしているとは言っていませんでしたが、否定はしていないような、そんな感じでした。

まだワンシーンあります。書店で開かれている W.F の読書会、朗読を聞く客の中にジュディスの姿があります。そして、その様子を外から眺めるトーマスの姿。

それにしても、よくこの話を嫌味なく(多少ラストは?)うまくまとめたものです。言っちゃなんですが、普通なら迷うことを、ここまで迷うことなく、迷いがあるとすればそれを見せることなくやりきるというのはそれはそれすごいことです。

やっぱり、おすすめ映画にピックアップするのやめます(笑)。

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