(DVD)叙情的すぎる内容を山崎まさよしが救っている映画かも。
山崎まさよしさんは俳優もやるんですね。
自然体で特に演技しないところがよかったです。まあ、この映画で濃いー演技をされたらクサくなって見ていられなかったでしょう。
その山崎まさよしさんも初めて、篠原哲雄監督も初めてという映画です。
そもそも内容もまったく知らずに見始めたのですが、冒頭の長ゼリフの下手くそさにびっくり、これが山崎さんだったらこりゃ見られないぞと思った矢先にその台詞の人物のワンカット、ん? 違うな、これは誰だ? と公式サイトのあらすじを読むことにしました(笑)。
世間のルールを外れ、プロの窃盗犯として生きてきた真壁修一(山崎まさよし)。深夜に人のいる住宅に忍び込み、現金を持ち去る凄腕の「ノビ師」だ。証拠も残さず、取り調べにも決して口を割らない。高く強固な壁を思わせるそのしたたかさで、地元警察からは「ノビカベ」の異名で呼ばれていた。ある夜、真壁は偶然侵入した寝室で、就寝中の夫に火を放とうとする妻の姿を目にする。そして彼女を止めた直後に、幼なじみの刑事・吉川聡介(竹原ピストル)に逮捕されてしまう。2年後…
竹原ピストルさん? 「永い言い訳」の人でした。
映画に引き込まなくちゃいけない冒頭がこれというまずさも問題ですが、それ以前にむちゃくちゃ説明ゼリフで生きた台詞になっていません。さらに台詞の一部は新聞記事か何かを読んでいる設定になっているのですが、何を読んでいるのでしょう? その後に出てくる図書館のシーンの新聞記事とも違います。ほぼそのまま公式サイトのストーリーになっている内容です。
ということで、なんとなく映画の発端のようなものはわかったのですが、それにしてもその後も説明ゼリフやら説明シーンの多いことといったらないです。
その点では、この映画は脚本がまずいです。
ところが、実は映画の主題は、一件軸とみえる説明的なそこではないのです。
映画の前半は、修一が逮捕される契機となった事件、押し入った先の家で妻が夫を殺そうとしていたことの真相を修一が追っていくことが軸になっているのですが、中盤に入りますとなんか変だなという感じがし始め、後半に入りますと何だそういうことか、そっちが主題かと、前半は種を明かさないためのカモフラージュみたいなつくりになっているのです。
ことの真相は修一の行動とともにとんとんとんと明らかになっていきます。修一が逮捕されたのは聡介にマイクロ発振器をつけられていたからであり、その逮捕の場で夫を殺そうとしていた女、葉子はヤクザ絡みのあれこれがあった後聡介に脅されてか愛人になっており、その後、刑事の聡介は死にますが、殺人かどうかははっきりしないまま、それに絡んで地裁の執行官や裁判官の悪事があるらしいこと、そして修一がその執行官の家に忍び込んであっけなくその証拠をつかんでしまいます。
こりゃなんか変だなという気がしてきます。
その後、執行官が何者かに襲われたことが明らかにされ裁判官自身も登場しますが、それ以上この件が深まるようでもなく、また聡介の死因をはっきりさせようとするわけでもありません。
ちょうどその頃、ん? 何? というシーンが唐突に入ります。
修一が出所した時に弟分の啓二(北村匠海)が出迎えに来ており、その後ずっと修一のそばについています。そのふたりの、修一が借りている安宿での会話がすべてを明かしてくれます。
修一の過去については映画の最初から少しずつあきらかにされています。修一には双子の弟がいて、その弟が窃盗で捕まり、それが原因で母親が錯乱して、家に火をつけ、弟ともども焼け死んでいます。
啓二がその弟だったということです。映画の最初から視覚的に登場している啓二は修一にしか見えない在りし日の啓二だったということです。ですので啓二は高校生のままの年齢です。
そしてもうひとつ映画の最初から同時進行している話があります。修一を待ち続ける女、久子(尾野真千子)がいます。久子は修一と啓二兄弟の幼馴染であり、当時修一と久子がつきあっていたことが啓二を窃盗へと走らせる原因になっていたらしく、修一はそのことを悔やんでいるわけです。
今、その久子に交際を求める男がいます。その男も双子であり、弟は真っ当のようですが兄は借金まみれの与太者で久子に乱暴をはたらいたりします。
ああ、ややこしい(笑)。
いろんなことを入れ込みすぎですね。出てくる人出てくる人、みな重要人物のような扱いです。登場人物に重要度のメリハリがないのがこの映画のダメなところです。無茶苦茶いろんなことが入れ込まれているのに物語が平板になってしまい、起きていることは大変なことなのに盛り上がらない結果になっています。
もうひとつ、時間経過に奥行きがないこともよくありません。20年前と2年前が同じような時間感覚で語られています。たとえば久子、彼女にとっての20年と2年の違いがまったく見えません。
それにそもそもの人物がみな叙情的すぎます。
いや、いや、そういう映画でした。そういう映画を見てそれをどうこう言っても始まりません。
まあ、いずれにしても、双子の悲哀とその過去を吹っ切る物語ということです。もちろん、一般化すれば、その関係は双子に限らず、親子、兄弟、男女などなどどんな関係でも同じで、人は相手のことを考えていると他人にも自分にも思わせようとしますが、結局自分のことしか考えられない生き物ということでしょう。
啓二のことを思い、久子と距離をとってきた修一は久子とともに生きる決心をして映画は終わります。修一が、啓二のことを盾に自分から逃げていたと気づいたかどうかはわかりません。