FEAST -狂宴-

何かが起きる、何かが起きる…そう思うあなたはドラマ病…

フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督です。過去に「ローサは密告された」とイザベル・ユペールさんが出演している「囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件」を見ている監督です。2009年の「キナタイ マニラ・アンダーグラウンド」ではカンヌ国際映画祭で監督賞を、そして「ローサは密告された」では主演女優賞を受賞しています。

FEAST -狂宴- / 監督:ブリランテ・メンドーサ

え? ハッピーエンド?

多少なりともブリランテ・メンドーサ監督の映画を見ていますと、かなり違和感を感じる映画です。

リアリズムや社会派といった言葉の似合う監督です。実際「ローサは密告された」はマニラのスラム街の麻薬密売や警察の汚職をドキュメンタリーぽいタッチで描いていましたし、「囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件」は実際に起きた誘拐事件を描いたものでした。

ところが、この「FEAST 狂宴」にそうした傾向を期待して見ていますとずっこけます(笑)。肩透かしを食らったような後味なんです。

レストランを経営する裕福な夫婦と息子がいます。息子が、父親も同乗した車で交通事故を起こします。父親は息子に運転を代われと言いそのまま逃げます。被害者の男が亡くなります。父親は運転していたのは自分だと申し出て罪に服します。息子は父親の意思に従い、また自らの償いとして、被害者の妻子にレストランの使用人として雇うことを申し出ます。妻子はそこが加害者の経営するレストランであり、また、その男がその息子であることを知った上で受け入れます。後日、息子は被害者の妻に実は運転していたのは自分だったと告白し赦しを乞います。

そして、2年数ヶ月後、父親が出所してきます。すでに被害者の妻は加害者の家族のように溶け込んでいます。被害者の妻は、出所祝いとして加害者の家族をカパンパンガン料理でもてなします。

という映画です。

え? ハッピーエンド? 毒を盛って加害者家族皆殺し…とかじゃないの?

映画を作るにはお金も必要…

どうやら私はかなり作られたドラマに毒されているようです(笑)。

この映画、わりと頻繁に信仰であるとか、赦しであるとか、カトリックの宗教的な言葉やシーンが登場します。ふーん、ブリランテ・メンドーサ監督はクリスチャンだったのかあ、だから善き人の映画を撮りたくなったんだね、と納得しようとしたのですが…違っていました(笑)。

この映画がらしくないと思えるのにはそれなりのわけがあるようです。スペイン語のウィキペディア、そしてそのソース記事 MANILA BULLETIN にありました。

Brillante says Apag is a departure from his usual films that are known for showing sex, violence, or politics.
この FEAST(原題 Apag)はセックス、暴力、政治を描いてきたこれまでの映画とは一線を画しているとブリランテ監督は語っています。

That is because Apag is partly financed by Hong Kong International Film Festival Society, which clearly stated early on that the film must not possess those characteristic elements in his previous films.
その理由は、この映画が香港国際映画祭協会から一部資金援助を受けており、協会は早くからこの映画にはブリランテ監督のこれまでの特徴的な要素があってはいけないと明確に述べているからです。

(MANILA BULLETIN)

この記事には他にこんなことも書かれています。

Awards are good, he says, but the industry also needs cash.

「賞をもらうことは嬉しいけれど、映画を作るにはお金も必要なんだ」とブリランテ監督は言っています。

ということのようです。もちろんメディア向けの言葉ですので本心かどうかはわかりません。

この映画は2022年の釜山映画祭でプレミア上映され、その後、ポーランド、タイ、フランス、スイス、イタリアの映画祭で上映され、昨年2023年の4月にメトロ・マニラ・サマー映画祭(MMFF)で国内上映されています。

MANILA BULLETIN の記事によりますと、ブリランテ監督の映画はフィリピン国内では興行的にあまり成功しておらず、この MMFF では「Please help me pray that Apag shall make money」と、早い話この映画で稼がせてくださいとメディアにアピールしているらしいです。

で、この MMFF では日本公開版とは違うエンディングのものが上映されたそうです。ブリランテ監督はその内容について「the not-so-kind one(そんなに優しくないやつ)」と笑いながら語ったそうです。多分、毒殺版(想像です…)じゃないかと思います。主演のココ・マルティン(息子…)の提案によるものだとも語っています。

これ、結構深い話ですね。つまり、フィリピンでも毒殺版(仮にの話…)が期待されるということですし、きっと多くの人がこの映画からリアルさを感じることはないだろうと思います。なのにブリランテ監督はあえて善き人たちしか登場しない映画を国際版として多くの映画祭に出品しているということになります。

漂う不穏さはどこから来るのだろう…

香港映画祭協会の要望を逆手に取ったということかもしれません。あらためて思い返してみますと、やはりこの映画、リアリズムですし、何事もなく進むホームドラマのようなつくりの裏には常にどことなく不穏な空気を感じさせるものが漂っています。

この裏にあることを見てねと言っているかのようです。

まあこれもかなりうがった見方で、とにかく、やはり映画の基本はブリランテ監督のルーツであるカパンパンガンへのリスペクトやノスタルジーにあるんでしょう。

フィリピンは民族や言語が多種多様な国で、公用語はタガログ語をベースにしたフィリピノと英語ではありますが、地域によって100におよぶ言語があると言われています。そのうちパンパンガ語は7番目(間違っているかも…)に話者が多い言語で、ルソン島中部のパンパンガ州およびタルラック州を中心に話されており、話者は230万人ほどとのことです。

カパンパンガンはブリランテ監督のルーツであり、映画の中でたくさん出てくる料理はカパンパンガン料理です。このカパンパンガン、パンパンガの言葉、どう使い分けていいのかわかりません。

そしてこの映画で強く描かれているのが宗教観です。いや、宗教観なんていう客観的なものではなく、もっと生き方そのものとも言うべきアイデンティティに近いものかもしれません。そう考えなければ、あの加害者と被害者の関係性や階層間の親和性はなかなか理解できません。

レストランには他にも2家族が使用人として働いていますが、みな不満もなく家族の一員のように楽しく働いています。もちろんこれは映画ですので、現実がどうであるかはわかりません。

ある意味、いいことかどうかの問題を除いて考えれば、ある種東洋的な社会の原型のようなものがあるのかもしれません。あるいは日本の江戸時代あたりの価値観もあんなものだったのかもしれません。

ただ、それがキリスト教と結びついていることには不思議な感じがします。宗教というのは原理的には排他的なものです。信仰そのものに排他性はないにしても、宗教が社会性を持ち始め組織化されれば他者を認めなくなります。宗教だけじゃないですね。なんでも組織化されれば排他的になります。集団というものの宿命ということであり、問題は宗教ということではなく、キリスト教、そしてそこから派生してきた二元論的な思想というものが原理的に排他性を持っているということでしょう。

話が広がりすぎてしまいましたが、この映画から感じられる不穏さはそんなところから生まれているのかもしれません。