アキ・カウリスマキ監督「枯れ葉」風のメロドラマ…
フォーチュンクッキーってなんだったっけ? と、知っているのに思い出せないような気がしたのは多分 AKB48 の「恋するフォーチュンクッキー」が浮かんだんだと思います(笑)。当然ながら映画の内容にはまるで関係ありませんし、実際にこれがフォーチュンクッキーなんだとあらためて知った映画です。

字幕の重要さを再考してほしい…
日本の公式サイトには「ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキの作品を彷彿とさせる」とある映画で、内容はアフガニスタン難民の女性ドニヤの孤独感と罪悪感と、そしてフォーチュンクッキーを介してちょっとだけしあわせの予感を感じさせる出会いのある映画です。
確かに、上のキービジュアルもそうですがカットの構図やシーン構成にはアキ・カウリスマキ監督っぽさがあります。ただ、ジム・ジャームッシュ監督に関しては初期の頃のモノクロ映像のインディーズっぽさという点では共通項がありますが、ジム・ジャームッシュ監督の映画はもっと動きがありますので印象は違います。それにこの映画はオフビートではなく、あえて言えばオンビートです。自動車修理工場でのシーンも台詞がないだけでドラマはオンビートです。
基本的には会話劇であり、また台詞のないシーンを多用している点でも逆の意味で会話劇です。
そうしたことからも重要な字幕なんですが、多言語映画の表記をちゃんとしてほしいですね。この映画には英語とアフガニスタンの公用語ダリー語と広東語の3言語が使われているのにすべて同じ表記になっています。ドニヤが母国語であるダリー語で話すところと英語で話すところには大きな違いがあるんですけどね。
この映画だけじゃありませんのでもう字幕表記の約束事もなくなっちゃったんでしょうか。
序盤から中盤にかけては画に動きがなく会話シーンをフィックスの切り返しで描いたシーンが続きますので台詞、つまりは字幕がすんなり入ってこないと映画に集中できなくなってしまいます。
サバイバー・ギルドを抱くドニヤ…
ドニヤ(アナイタ・ワリ・ザダ)は中国系アメリカ人が経営するフォーチュンクッキー工場で働いています。工場といってもすべて手作業の家内工業で、ドニヤは同僚のジョアンナとともにクッキーにおみくじを入れて袋詰めする作業をしています。
ドニヤはアフガニスタン人でアフガニスタンのアメリカ軍で通訳として働いていたのですが、タリバン政権になり、8ヶ月前に難民としてアメリカにやってきたばかりです。住まいはアフガンが多く暮らす住宅のようです。夜、ドニヤが眠れなくて外に出ますと同じく眠れないらしいサリムもそこにいてつかの間の交流を交わす程度の毎日です。
ドニヤが眠れないわけは、自分だけ逃げ出してきているという罪悪感を感じるサバイバー症候群と思われます。ドニヤはセラピーを受けたいと思っていますが順番待ち状態です。サリムが自分の受診順を譲ってくれます。
アンソニー医師(グレッグ・ターキントン)とのやり取りでドニヤのアフガニスタン時代が明らかにされます。基地には3人の通訳がいたが脱出できたのは自分だけであるとか、自分が脱出したことで家族が裏切り者扱いされていることがセラピーシーンでわかってきます。
このセラピーシーンは結構長くあり、また、ドニヤを演じているアナイタ・ワリ・ザダさんに表情の変化がなく(演出意図でしょう…)、伝わってくるものはかなり弱いです。それが演出意図かもしれないとはいえ、見ていてちょっとつらい一連のシークエンスではあります。
それだけに字幕が重要なんですけどね。
フォーチュンクッキーは幸運をもたらすか…
同僚のジョアンナがデートをしてみなさいとアドバイスしてくれます。しかしドニヤは、故郷では同胞が苦しんでいるのに自分だけいい思いをするのは不公平だとなかなか思いきれません。
一方、フォーチュンクッキー工場ではクッキーに入れるおみくじを書いていた従業員が突然亡くなり、その役割がドニヤにまわってきます。
といった流れから、ドニヤはフォーチュンクッキーに入れるおみくじに自分の電話番号を入れてしまいます。
ドニヤにメッセージが入ります。陶器店で働いているので来てほしい、その際「鹿 deer」を訪ねて欲しいと言ってきます。ドニヤは迷いますがジョアンナに後押しされ車で出かけます。そしてその途中ダイナー併設の自動車修理工場に立ち寄ります。
この後の流れはもうほぼアキ・カウリスマキ風です。
修理工場にはダニエル(ジェレミー・アレン・ホワイト)がいます。本当に必要であるかどうかわからないようなオイル補充、長い間のかみ合っているようないないような会話、見つめ合う二人、ダイナーでのランチタイム、コーヒータイムに誘うダニエル、断ったもののその後誘いを受けるドニヤ、やはり間のながーい会話、また寄ってほしいと伝えるダニエルです。
ドニヤは鹿との約束地へ向かいます。陶器店に到着したドニヤは「鹿」に会いたいと店員に伝えます。店員は鹿の陶器置物を持ってきます。フォーチュンクッキー工場のオーナーの妻がいたずら半分悪意半分(だと思う…)で、注文してあった鹿の置物を取りに行かせたのです。
ドニヤは鹿を持っての帰り道、再び自動車修理工場に寄り、コーヒーを飲みたいと言い、そして鹿をダニエルに贈り、車が行き交う道路越しに陽が沈みゆく空を見つめるのです。
ラストシーンが美しい…
という映画で、率直なところ、序盤、中盤はかなり単調で眠気を誘うところがあるのですが、終盤、ドニヤが車で鹿を求めて走るあたりから、そしてダニエルとのシーンにいたりますと俄然映画が生き生きとしてきます。

そして、ラストシーン、ドニヤが遠くを見つめる後ろ姿はとても美しく、このラストシーンで思うことは、実はババク・ジャラリ監督の持ち味は決してアキ・カウリスマキ風ではなく、ましてやジム・ジャームッシュ的なものではなく、もっと思いを直接的に表現するスタイルにあるのではないかと思います。
ババク・ジャラリ監督はイラン系のイギリス人で1978年生まれの46歳です。生まれはイランですがロンドンで育ったとありますので拠点はヨーロッパのようです。
いくつかインタビュー記事を読んでみますと、影響を受けた監督としてすでに上げたふたり以外にハル・トーリー監督の名を挙げています。
原題になっている「Fremont」はカリフォルニア州の都市で、アメリカではもっともアフガニスタン系の住民が多い街だそうです。ババク・ジャラリ監督はこの映画に取り掛かるまでそのことは知らなかったそうで、言語や文化的なものも共有していることから興味を持ち、実際にフリーモントに滞在してリサーチをしたものの男性の話ばかりであることに違和感を感じ、女性に焦点を当てたと語っています。
ドニヤを演じているアナイタ・ワリ・ザダさんはまったく演技経験のない方で、SNS やアフガンコミュニティを介して探している時に、自分は22歳で5ヶ月前にタリバンから逃れてアメリカにやってきたとメールで連絡してきたということです。また映画のドニヤと同じようにアフガニスタンには母親と6人の兄弟姉妹が残っているそうです。
2023年10月のインタビューですのでその後どうなっているかわかりませんが、インタビュー時点で数週間後に大学に入学し、俳優の道に進みたいと言っているということです。滞在状態がわかりませんし、その後トランプ政権になっていますのでどうなっているんでしょう。