構成、編集(モンタージュ)、撮影、音楽が一体となった新しい感覚の映画
プレスリリースのストーリーには「家出をした女性の物語、のようだ」の一行しか書かれておらず、また、マチュー・アマルリック監督自身が「彼女に実際には何が起きたのか、この映画見る前の方々には明らかにはなさらないでください」と語っていると宣伝されている映画です。
何が起きたのか知って見た方がいい
あっと驚くようなことが起きたわけでもありませんし、何が起きたかは映画の中ほどでわかります。わかるようにつくられています。
ミステリーのように何が起きたかを想像させる映画ではなく、何が起きているのかと考えさせられる映画です。現実と妄想、そして過去と未来と現在が入り混じるように編集されています。混乱させるためでも混乱しているわけでもありません。スクリーンに映し出される映像はクラリス(ヴィッキー・クリープス)の今現在の思いであり、クラリス本人がいま頭(心)の中に描いている映像です。
日常的にも人は、実際に目で見ているものだけではなく、同時に過去のことや未来の想像を思い描いたりして生きています。それを映像にすればこうなるということであり、クラリスの場合、起きたことのあまりの大きさにそれが激しく交錯しているのです。
構成、編集(モンタージュ)、撮影、音楽が一体となった新しい感覚の映画です。
以下、ネタバレしています
クラリス(ヴィッキー・クリープス)には夫マルク(アリエ・ワルトアルテ)と二人の子どもリュシーとポールがいます。映画は、クラリスが夜も明けぬ早朝にピレネー山脈の麓の古めかしい住まいから車で出かけるところから始まります。夫と子供たちはまだ眠っています。この後映画は、クラリスのいなくなったマルクと子どもたちのシーンとクラリスの奇妙な行動が交錯して描かれていきます。
ですので、一見クラリスが家出をしたように見えます。実際、映画もそう思わせるようなシーンをいくつか入れています。クラリスがいなくなりマルクが日常生活に戸惑ったり、子どもたちとちょっとしたいさかいのようなことが起きたりするシーンです。
これはもちろん映画的テクニックであり、冒頭のクラリスが旅立つシーンにマルクや子どもたちがいる映像も過去のものか、あるいはクラリスの脳内映像だと思います。
あっているかどうかはわかりませんが、こういうことでしょう。
映画の軸となっている現在軸は、クラリスが家族と暮らした住まいを手放すことを決め、自分自身の思いを断ち切るために仕事を休み、1週間(だったか?)の旅に出るシークエンスです。家を出てガソリンスタンドに立ち寄り友人と話すシーンであるとか、車で海辺を走るシーンとか、ホテルのラウンジで男のシャツをはだけて胸を触るシーンもその一連です。市場の氷に顔を突っ込むシーンもそうだと思います。
その一連のシークエンスが細かく切り刻まれ、その間にマルクとの出会いからの過去の映像と本来ならばあったであろうクラリスが見る(思う)脳内映像が挿入されていきます。
クラブでマルクと出会うちょっと異質なシーンは20年くらい前の時代を感じさせるためではないかと思います。クラリスは観光ガイドの仕事をしているようです。ドイツ人の父親の子どもへの対し方に突然キレていたのは家族を失ったクラリスの不安定さがあらわれたシーンです。家族との映像がたくさん使われています。実際にあった過去の映像かもしれませんし、クラリスが妄想する未来の映像かもしれません。
そうした現在、過去、未来、そして脳内映像がひとつの映画的リズムに編集されています。ここまでやるかというくらいに最後まで徹底しています。単に映像だけではなく音楽や音が重要な役割を果たしています。特にピアノ曲、娘のリュシーがピアニスト(を目指している)であり、シェーンベルク、ラヴェル、ベートーベン、ラモー、ショパンなどのピアノ曲が効果的に使われています。
ホテルのラウンジでテレビに流れていたのはマルタ・アルゲリッチでしたので何の映像かと調べてみましたら「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」という娘のステファニー・アルゲリッチが撮ったドキュメンタリーでした。
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このシーンの後だったと思いますが、娘のリュシーがマルタ・アルゲリッチと同じようなヘアで登場しています。こうなるはずだったとのクラリスの脳内映像でしょう。
ピレネー山脈、冬と春
中ほどで突然雪山のシーンになります。マルクと子ども二人が遭難します。捜索は難航し雪が溶ける春までは捜索は無理ということになります。
そして春、クラリスは同じホテル(ロッジ)を訪れます。ホテルのオーナーが一番いい部屋よと鍵を渡しますが、クラリスは大きな部屋がいいと言います。その部屋は家族そろって泊まった二段ベッドが2つ入った部屋です。しかし、今はクラリスひとりです。冬の映像が挿入されます。子どもたちが寝静まり、クラリスとマルク、愛し合う二人です。
翌朝、朝食は?と聞かれ、カフェオレ2つとミルク(だったか?)2つ、ボウルでと言います。ボウルを準備しようとしたオーナーが緊張で食器を落とし割っています。テーブルに置かれた4つのカフェオレボウル、しかし座っているのはクラリスひとりです。
窓から救助隊の姿が見えます。飛び出すクラリス、泣き叫びながら遺体にすがりつきます。
マチュー・アマルリック監督
マチュー・アマルリックさんは俳優としてかなり名のある方ですが、監督としても2010年の「さすらいの女神たち」がカンヌ映画祭で監督賞と国際映画批評家連盟賞を受賞していますし、2017年には「バルバラ セーヌの黒いバラ」が同じくカンヌのある視点部門のオープニング作品として上映されています。
そのどちらの映画にも本人が出演しているのですが、この「彼女のいない部屋」は監督に徹しています。たしかにマルクという感じではありませんので出番はなかったということでしょう。
邦題は相変わらずどうしようないのですが(笑)、原題の「Serre moi fort」はエティエンヌ・ダオの「La nage indienne」という曲から取られており、本来は「Serre-moi fort」とハイフンが入り、英題の「Hold Me Tight」の意味のようです。曲を聞いてみましたらエンドロールに流れていたのはこの曲だったかもしれません。
また、この映画にはもととなる舞台劇の戯曲があるそうです。Claudine Galea さんの「Je reviens de loin」という戯曲です。
という映画なんですが、やはり何が起きたかを知った上で、映画のつくりをじっくり楽しむべき映画だと思います。