裸足になって

やろうとしていることはわかるが、なにか勘違いがあるようだ…

ムニア・メドゥール監督の「パピチャ 未来へのランウェイ」に続く長編二作目です。主演も同じくリナ・クードリさんです。

裸足になって / 監督:ムニア・メドゥール

物語の説明に終始していないか…

やろうとしていることはわかりますし、うまく出来ていれば感動もする物語だとは思いますが、映画が説明的で物語を追うだけになっています。

フーリア(リナ・クードリ)はバレエダンサーです。ある日、賭け事のいざこざから暴行を受け、階段から転落して足首を骨折します。バレエの道を諦めざるを得なくなり、さらに言葉が発せられなくなります。

退院後、リハビリセンターに通うことになり、同じようにリハビリに来ているろう者や精神障害者のグループと出会います。いくどか会ううちに親しくなり、求められてダンスを教えることになります。フーリア自身も手話を覚え、グループで手話ダンスを発表することになります。しかし、ダンススタジオが閉鎖され思うように練習が進みません。また同じ頃、スペインへ行くと出ていった(密航…)友人が死体で発見されます。

しかし、そうした障害を乗り越え、グループの手話ダンスは完成します。

欠けているものはことの背景…

という物語なんですが、一番の問題は、起きていることの背景が一切描かれないことです。ですので物語を説明しているだけになっています。

フーリアが襲われるのは、闘羊(羊同士が角をぶつけあう…)の賭け事のいざこざからですが、なぜフーリアが襲われなくちゃいけないのかが全くわかりません。レフリーのような人物と親しげでしたのでなにか不正をしたということなんでしょうか。仮にそうだとしてもフーリアだけが賭けているわけじゃないでしょう。

そもそもなぜフーリアがそんな危険な賭け事に手を出しているのか説得力がありません。母親に車を買ってあげたいからと言っていましたが、どういうことなんでしょう。母親は夫が内戦(1991年~2002年)時に殺害されてから車を運転していないと言っていましたが、関係があるのでしょうか。

フーリアも母親も見た目ではわからない貧しさがあるのかもしれませんが、映画からは伝わってきません。仮に危険な賭け事にしか方法がないとするのなら、その背景を描かなければリアリティは生まれません。

襲った男がテロリストであるとか、内戦を持ち出したりすることも、もしそれが映画として重要な要素であるのなら、もう少していねいに描かないと単に利用しているだけにしか見えなくなります。

フーリアの失意のほどがわからない…

ムニア・メドゥール監督は劇映画二作の前はドキュメンタリーを撮っていたようですが、そうであるなら、フーリアが病院で目覚めた以降こそがその持ち味を生かせるところだと思います。

映画の冒頭はフーリアが建物の屋上でバレエの稽古をするシーンで始まります。フーリアのカットは上半身だけでポアントの足元は別撮りではありますが、それなりにバレエにかける思いは伝わってきます。

演じているリナ・クードリさん、上半身だけにしても、もしバレエの経験がないとすればかなり稽古したんだろうと思います。

というフーリアであれば、バレエができなくなる失意のほどは相当なものかと思います。なのに病院で目覚めて以降、その描写が全くありません。言葉が発せられなくなることもそうです。それまで意識することなくできていた言葉での意思相通がある日突然できなくなるわけです。その衝撃を描くだけでも一本の映画ができるんじゃないかと思うくらいですが、そうした描写も全くありません。

手や腕に文字を書いたりして過ごし、そのうちになんとなく手話ができるようになっていました。

友人の密航にリアリティーはあるのか…

一緒にバレエをやっている友人がアルジェリアを出ていくと言い、密航の仲介者を頼って夜中にボートで出国していきます。結局、その友人は死体で発見されます。

この映画がいつの時代なのかもはっきりせず、またアルジェリアの国情をよく知りませんのでなんとも言えませんが、強い違和感を感じます。友人の生活環境や背景が全く描かれていないからです。その友人に危険な密航を選択しなくてはいけない切迫感が感じられないということです。

ググりますと、在アルジェリア日本大使館の2020年7月の月例報告に

●27日付報道によると、夏季に入り海も穏やかになっていることから海路密出国者(ハラガ)が増加している。ボートによる海路密出国幇助グループ(渡し屋)の活動が活発化しており、特にブーメルデス県海岸が出発地として好まれて、26日に若者60人が出航した。また、スペインのメディアも、アルジェリア人のスペインへの海路密出国者(ハラガ)が激増していると報道しており、24日、25日にスペインに到着したアルジェリア人海路密出国(ハラガ)の数はスペイン筋によれば、少なくとも539人。800人との数字もある。

アルジェリア政治・経済月例報告 (2020年7月)

とはあります。

もしその友人が、あるいはフーリア自身もそうした考えを持っているとするのなら、その背景を描かなければ、これまたリアリティが感じられない上っ面だけの物語になってしまいます。

ドラマパターンに頼りすぎているのでは…

ムニア・メドゥール監督がやりたかったことは、おそらく外的要因によって将来を打ち砕かれた人物(女性…)が再起し、成長していく過程じゃないかと思います。

もしそうであるのなら、ましてやドキュメンタリー作家と自認しているのであれば、撮るべき、追うべき対象はフーリアの心情、内面以外にはないでしょう。

ハンディカメラのブレ映像を積み重ねるだけでは人物を追っていることにはなりませんし、ましてやその人物の動的な心の動きを捉えていることにはなりません。

挫折、再起、成長を描くことはひとつのドラマパターンですので、それをその人物の外面的な行動を撮っていくだけではパターン以上のものは生み出せません。その人物の個的なところへ入っていかない限り、新しい物語は生み出せません。