ジュディ・ガーランドの最後のロンドン公演を描く
名前はよく耳にするのに、具体的にはどんな人かも、顔さえも知らない有名人というのが結構います。ジュディ・ガーランドさんもそうで、「オズの魔法使い」のドロシーの人ということとライザ・ミネリのお母さんということくらいしか思い浮かびません。
そのジュディ・ガーランドさんの亡くなる直前の半年くらいを描いた映画です。演じたレニー・ゼルウィガーさんが今年2020年のアカデミー主演女優賞を受賞しています。
歌は吹き替えではなく、すべてレニー・ゼルウィガーさんが歌っているそうです。さすがに声の艶や伸びはもうひとつですが、ジュディの年齢(47歳)やかなり荒んだ生活を考えればその演技とともにリアリティがあるということなんでしょう。
ただ、私は、細かな仕草や表情に演技臭さを感じますし、つくっているなあという印象を強く受けます。過去の映像などを見て研究したんじゃないかと思いますが、そうした成り切り系のアプローチではなく、むしろ俳優本人が役柄と同じような環境に置かれた場合にどうなるかという人物造形のほうがより感動は増すのではないかと思います。この映画だけではなくハリウッドの伝記ものを見ますと同じようなことをよく感じます。
描かれるのは、基本、亡くなる半年前の1968年のロンドンのキャバレーでの公演だけですが、一部デビュー当時17歳ごろの抑圧された生活環境がシンボリックに挿入されます。いわゆる、純な少女がハリウッドという強大な商業主義の世界で人間性を抑圧されて利用されていく様が映画のワンシーンのように何シーンか1968年のシーンに挿入されます。
ただ、シリアスシーンではなく、あくまでもドラマのワンシーンのような寓話的なつくりです。プロデューサーのおじちゃんに言いくるめられたり、ダイエットのために食べたいものを食べられなかったり、薬を与えられたりということです。 実際、「覚醒剤(アンフェタミン)を常用(ウィキペディア)」させられていたようで、1968年のシーンでも頻繁に薬を飲んでいましたし、ラストにはケーキをひとくち食べて思わずこんなに美味しいものなのともらすシーンがあります。
同じくウィキペディアによれば、「オズの魔法使い」で一躍脚光を浴びスター街道に乗ったものの順調だったのは数年くらいで、その後は「神経症と薬物中毒の影響」から遅刻やドタキャンを繰り返していたようです。
映画が描く1968年の頃はすでに「1963年を最後に表舞台から姿を消」していたらしく、冒頭は幼い子ども二人とともにキャバレーのショーに出演して安いギャラ(150ドル?)を受け取り、ホテルへ戻るも宿泊費未払いで締め出され、前夫のシド(ウィキペディアのシドニー・ラフト)のもとに身を寄せるも親権のことで争いになり、ひとり飛び出して娘のライザ・ミネリ(当時22歳)のもとに向かうという流れでした。
描き方としては、その晩のうちに前夫、娘の住まいへと向かわせ、娘の家では業界人たちのパーティーの最中という賑やかさですので、いわゆる落ちぶれたという印象はあまりなく、「神経症や薬物中毒」という言葉からイメージするような荒み方は感じられません。
ですので、映画としてはあまり焦点が定まっているとはいい難く、レニー・ゼルウィガーさんの演技と音楽で持っている映画です。
ロンドンでは、公演初日、そのプレッシャーからか歌えないと言ってまわりを困らせるもステージに立てばしゃきっとしてショーをこなして客をわかせたり、ゲイカップルの客と親しく語り合ったり、5度目の結婚をしたりと、それぞれの内容を別にすれば、ほぼこうした映画のパターン通りのつくりになっています。
見るものをヒヤヒヤさせながらも最後は良くも悪くもうまく収まるのだろうということで、こうした映画はそれがわかっていても楽しめるものだということです。
やはり、音楽の力でしょう。初日に歌われるのは「By Myself」、本当にステージに立てるのかとヒヤヒヤしますので結構感動します。
Judy Garland – By Myself (Live 1966)
1966年のライブとありますので映画とかなり近い年齢ですね。
ロンドン公演はおおむね好評に進み、テレビのトークショーにも出演したりするのですが、映画にはどことなく不安を感じさせる空気が全編を通して流れています。これは意図したことかどうかははっきりしません。おそらく、映画のつくりがスカッともしないし、ドヨーンともしないという中途半端さからくるものではないかと思います。
とにかく、最後は予想通り、前夫のもとに置いてきた二人の幼い子どもたちが今のままがいいとジュディへの決別を告げたことや夫との喧嘩から酔っ払ってステージに立ち、客からは物を投げられるという散々なことになり、興行主から契約解除を言い渡されます。
そして、ロンドンを去る日、もう一度だけ歌わせてとその日の出演歌手に懇願し、ステージに出て「Come Rain or Come Shine」を歌い切り、続いて「Over The Rainbow」を歌い始めます。しかし、感極まったのか途中で歌えなくなり、どう終えるのかと思いましたら、例のゲイカップルが立ち上がって歌い始め、次第に輪が広がり、最後は客席全員の合唱となって終わります。
全員合唱はともかく(笑)、ジュディが私にはここしかないと言って歌い始める「Come Rain or Come Shine」には感動します。
レニー・ゼルウィガーさんの歌です。
ゲイカップルを意図して登場させている理由は、「ジュディは60年代のアメリカで同性愛者に対して理解を示していた数少ない著名人の一人だった(ウィキペディア)」ということのようで、LGBTQの社会運動を象徴するレインボーフラッグも「虹の彼方に」からきているという一説もあるらしいです。
という映画なんですが、ロンドン公演のシーンでずーと気になっていたことがあります。
ロザリン(ジェシー・バックリー)というジュディの身の回りをみる人物で、何が気になったかといいますと、ジュディの感情の揺れ動きのシーンには必ずロザリンがいて、必ず顔のアップで、同情したり、いらっとしたり、ホッとしたりというカットが入るのです。あれだけ意味ありげに入れるのであれば、きっとどこかで重要な役回りになるのだろうと予想していたんですが、ほとんど何もなかったです(笑)。
映画的には何かなければおかしいんですが、ジュディがステージを台無しにし契約解除された後にサプライズと言って食事に誘い、ジュディが美味しそうにケーキを食べるというだけでした。あれだけではすまないような扱いでしたので、きっと何かがカットされています(笑)。
なお、これ、ハリウッドかと思っていましたがイギリス映画でした。監督のルパート・グールドさんもイギリスの方ですね。ハリウッドらしくないという感じがするのはそのせいかもしれません。