キリエのうた

音楽映画なのに、物語に音楽が絡んでこないもどかしさ…

岩井俊二監督の映画を見るのは、初期の「Love Letter」「PiCNiC」「スワロウテイル」以降、2020年の「ラストレター」までその間がすっぽり抜けています。そのせいもあるのか「ラストレター」では「Love Letter」とつながってしまい「構成力はさすがです。が、今だにこんなに叙情的、かつ感傷的でいいのか?」とのレビューになってしまいました。

それから3年、どうなっているのでしょう?

キリエのうた / 監督:岩井俊二

アイナ・ジ・エンドの魅力とコメディエンヌ広瀬すず…

アイナ・ジ・エンドさんを見ていて「スワロウテイル」の Chara さんを思い出してしまいました。もちろん時代が違いますので音楽性も映画の内容もそれなりに違いはしますが、音楽を使った物語性の強い映画という点では共通点を感じます。それに感傷的というのは相変わらずです。人間、そうは変わらないということでしょう。

この映画をひとことで言いますとアイナ・ジ・エンドさんの歌の魅力でもっているような映画です。そして、それを助けているのが広瀬すずさんのコメディエンヌ的演技というところかと思います。構成力という点では前半はかなりうまくいっていますが、後半になりますと途端に冗長になり、映画がどこに向かっているのか分からなくなってきます。

物語の背景としては東日本大震災があり、その後は4つの土地と3つの時代を経て進むわけですが、背景となっているその物語がかなり雑です(ゴメン)。それが後半ダレてくることにつながっているわけで、そうしたことを考えますと、この映画のそもそものスタートは路上ミュージシャンの物語だったのじゃないかと思います。それをふくらませようとしているうちに岩井監督の抒情的感傷性が前面にでてしまった映画のような気がします。

ラスト、得体のしれない音楽プロデューサー(北村有起哉)を登場させつつも、キリエ(アイナ・ジ・エンド)には商業主義的成功を選択させず、無許可の路上フェスで熱唱させていることもその意図があるように感じます。

ただ、これも中途半端で、とにかく後半があまりにもまずいです。すずさん、戻ってきて! って感じです(笑)。

ネタバレあらすじ、少しだけツッコミ…

時代や場所を交錯させて描き、編集でもそれをうまく活かす手法は岩井監督の得意とするところだと思います。とにかく前半はとてもスムーズで映画の進む先を期待させます。この編集と構成のうまさからとても深い物語を予想させますが、それを時系列に並べてみますと、意外にもかなりツッコミどころの多い物語がみえてきます。

冒頭は雪原でたわむれる二人の少女の空撮で始まり、続いて町中の森のような地域(津堂城山古墳らしい…)の空撮になります。この入りはとてもよかったです。そして、その町中の森で少年たちが何も喋らない少女を見つけるところから映画は始まります。

この町中の森のシーンが2011年の大阪で少女の名は路花(るかと読む…)で後にキリエを名乗ります。雪原のシーンが2018年(ごろ?…)の帯広、そして、その後現在(2023年?…)の東京で路上ライブをするキリエ(アイナ・ジ・エンド)とイッコ(広瀬すず)のシーンが入ります。この3つの時代と場所の物語がとてもうまく編集されています。

後半になりますと、2011年の大阪の前段として路花が大阪へ行く前の石巻での物語が明らかになります。これがあまりよろしくなくとても冗長なんです。

とにかく、これを時系列で並べますとこんな物語です。映画の流れで知りたい場合はウィキペディアにあります。

2011年3月11日の何ヶ月か前の石巻、高校生の希(きりえと読む、アイナ・ジ・エンドの二役)は3年生の夏彦(松村北斗)に自ら積極的に恋人になって欲しいと言い、その日希からキスもします。夏彦は戸惑いながらも、次第に好きにな(ったかどうかはわからないが…)り体の関係を持つようになります。

希が妊娠します。希は迷いなく生む選択をします。大学受験をひかえている夏彦は迷いますが受け入れたようです。希の家に招かれた夏彦はこの時希の妹路花(7、8歳…)と出会っています。

東日本大震災です。希と母親(父親はすでに亡くっている…)は津波で行方不明になり、路花はひとりで大阪に向かいます。夏彦が大阪の大学に合格したことを知っていたからです。

設定も時間経過も無茶苦茶な話なんですがそういうことです。

2011年大阪です。何も喋らない森の少女は路花です。震災のショックで話せなくなっています。その路花を学校の教師(黒木華)が知ることとなり、家に連れて帰り、ランドセルなど持ち物の断片的な情報からネットで検索したところ、ある青年が路花と同じ姓の希を探していることを知り連絡を取ります。

その青年は夏彦です。夏彦が教師に石巻での話を語ります。これが主に映画の後半でかなり長く描かれています。

映画の流れとしては、事情を知った教師が児相に話を持ち込みます。路花は保護施設に送られ、教師や夏彦には何も知らされません。当たり前ですし、そもそも教師が迷いなく家に連れ帰ったことも教員としてどうかということですし、児相でなぜ?!って反論していましたがそんなことも知らないようでは教員はできません。夏彦も路花のことは自分が面倒をみると言っていたにもかかわらずそれ以後なにか行動を起こしたようには描かれていません。

2018年帯広です。高校生の真緖里(広瀬すず)の家に夏彦が家庭教師としてやってきます。その経緯にも真緖里の母親がバー(いわゆるスナック…)をやっていたりと多少あれこれあるのですが省略です。夏彦は大学卒業後、帯広で働いており、頼まれて家庭教師にきたということです。親しくなるうちに、夏彦は妹と暮していると言います。

妹は高校生になった路花(アイナ・ジ・エンドの二役)です。路花は大阪の件以後、児童養護施設を経て帯広の里親のもとに引き取られ高校に通っているということです。なぜ夏彦が帯広にいることがわかったかはわかりませんが、家出して夏彦のもとにきているということらしいです。後に、里親の両親と市の職員がやってきて路花を連れ戻していくシーンがありますが、このあたりも無茶苦茶な設定で、仮にふたりが一緒に暮らす設定が現実に可能だとしても、この状況ですと一般的には両親はまずは警察へ捜索願を出すでしょう。

で、話戻って、まだ夏彦が路花と暮している頃、夏彦が真緒里に友だちになってやってほしいと言い、路花と真緒里は親しくなり、そのワンシーンが冒頭の雪原のシーンです。

その後、真緒里は東京の大学へ行ったものの学費を援助していた義理の父親が逃げたために大学をやめて男に頼って生きるようになります(そういうことだと思う…)。路花はすでに書いたように夏彦のもとから里親のもとに戻されています。後に2023年のシーンで夏彦はその後の路花のことは何も知らないといっています。自分が面倒をみるとか、妹として一緒に暮していたのに夏彦の人物像が一貫していませんね(笑っちゃいけない内容ですが…(笑))。

2023年東京、路花はキリエを名乗って路上ライブをしています。たまたま通りがかった女性が目を留め、歌ってごらんと言い、食事もおごってくれ、路上生活だというキリエを家に泊めてくれます。翌朝、目を覚ましたキリエはその女性が真緒里であることを知ります。真緒里は今はイッコと呼ばれていると言い、マネージャーをやったげると言い、その日からふたりは一緒に行動するようになり、キリエの歌の力により次第に客も増えていきます。

書きもらしていますが、キリエが路上ライブをやる経緯はもともと音楽的才能があったことと、帯広時代に夏彦がギターを教えたり、真緒里が父親の形見のようなギターを当時の路花に譲ったことがあったとなっています。

ということで、2023年の東京ではキリエの才能に様々な人が絡んできて、最後には無断開催の路上フェスで熱唱して終わります。

物語に音楽が絡まない音楽映画…

こうして物語をながめてみますと、タイトルにもなっている「キリエのうた」が歌われるのは2023年の東京だけです。なのにそこには物語がありません。シーンとしてはかなりのものがあるにしても、路上ライブに客が増えてきたり、それを聴いたミュージシャンが一緒にやろうと加わったり、得体の知れない音楽プロデューサーのオーディションのようなものがあったり、そして最後には無断路上フェスがあるもののキリエはそこに積極的に関わるわけでもなくなんとなく巻き込まれていくだけです。

このパートにあるのは、物語といっていいのかどうかもあやしい、イッコが結婚詐欺の常習犯だというなんともしょうもない話であり、それをもって路上フェルに向かうイッコが手玉に取った(らしい…)男に刺されるということまでやっています。

そういう映画です。音楽映画と謳っているわりには音楽が映画の軸となっているわけではなく、結局、軸となっているのは感傷的な過去の物語だということになります。さらに言えば、その物語がかなり場当たり的で映画の軸とするには強固さに欠けているということです。

それにちょっと信じられないシーンがあります。

イッコはキリエを連れて男たちの家を渡り歩くわけですが、ある時、イッコは温泉へ行くとかいってひとりで出ていってしまいます。その後、イッコが結婚詐欺常習犯とわかるやその男は怒りに任せてキリエをレイプしようとします。そのシーンが実におぞましいです。男に押し倒されたキリエはこれでイッコさんを許してもらえるのならと、男にお願いしますと言うのです。

岩井俊二監督、美意識の鎧がほころび始めてきたんでしょうか…。

「Love Letter」以降「ラストレター」まで見ていないと書きましたが、「ヴァンパイア」という海外で撮った映画を見たことを忘れていました。