「燃ゆる女の肖像」で一躍その名が知られる(日本では)ようになったセリーヌ・シアマ監督の2021年の最新作です。その間にはジャック・オディアール監督の「パリ13区」の脚本を書いています。また、昨年劇場公開されている「トムボーイ」は2011年の映画です。
大人のおとぎ話、子どもの現実
「水の中のつぼみ」や「トムボーイ」を見てきていますので「燃ゆる女の肖像」にはかなり異質な感じを受けたのですが、やはりこちらの流れがセリーヌ・シアマ監督の本来のもののようです。「燃ゆる女の肖像」はシアマ監督にしては内容がドラマチックすぎます。映画のつくり自体はシンプルでシアマ監督そのものでしたが、アデル・エネルさんへの個人的な思いが影響したのかも知れません。
この「秘密の森の、その向こう」は8歳の少女ネリーと母親マリオンの物語です。邦題が気になりますので原題を書いておきますと「Petite maman」、英題は「Little Mom」、若いお母さんという意味ですのでそのままではちょっとと日本語訳に困ったのでしょう。
でも映画はタイトル通り、8歳のネリーが8歳の母親に出会う物語です。これを言葉通りに理解しようとしますと SFか? ファンタジーか? となってしまいますが、それは大人の見方であり、8歳のネリーにとってはそれは現実だという映画です。
この感覚がとてもうまく描かれている映画です。セリーヌ・シアマ監督じゃなければ描けないのじゃないかと思います。母親が突然いなくなるあたりの描き方もそうですが、父親や8歳のマリオンの母親の佇まいは大人にはおとぎ話に見えるように描かれています。なのに、ネリーは8歳のマリオンに自分はあなたの子どもだと言い、それに対して8歳のマリオンはネリーに未来から来たのと尋ね、そのことに何の違和感も感じることなく物語は進むのです。
周りの大人たちの現実感は薄いのに、このふたりは現にそこに存在しているという現実感があるということです。そのように描かれているということです。
8歳の娘ネリー、8歳の母マリオン
ネリーの祖母、つまり母マリオンの母が亡くなります。その住まいの後片付けのために森の中の祖母の家を訪れます。その家は母マリオンが子どものころに暮らした家でもあります。マリオンは母親の死のショックからかひとり家に戻ってしまいます。
このマリオンの行動を字幕ではどこへとも言わずに突然出ていったということになっていましたが、おそらく家に戻ったという程度の意味だと思います。その後の展開のための映画的な処理ということもありますが、ネリーも父親(マリオンの夫)も取り立てて問題にしていませんのでそういうことだと思います。
ネリーは森の中で同じ年頃の少女に出会います。その少女は森の木々を集めて小屋を作っています。名前を尋ねますとマリオンと名乗ります。ネリーは母親マリオンから子どものころに森の中に小屋を作ったという話を聞いています。
マリオンはネリーを自分の家に誘います。不思議なことにその家はネリーの祖母の家と同じです。一旦家に戻ったネリーはマリオンが自分の母親だと確信します(そう描かれているわけではないが…)。
そして、ネリーとマリオンの交流が始まり、ネリーはマリオンの母親、ネリーにとっては祖母にも会います。マリオンの母親は足に障害があるようで杖を使っています。マリオンは3日後に手術を受ける予定だと言い、受けなければ自分も母のようになると言います。
ふたりは森の小屋を一緒に作ったり、ゲームをしたりクレープ(あれはケーキを作ろうとしたのではないだろうか…)を作ったりと母娘が姉妹のようにも見えます。ネリーがマリオンを自分の家に誘い、自分はあなたの子どもだと言います。マリオンはごく自然に未来から来たの? と尋ね、かたわらの杖を見て、お母さん(自分の)の杖?とすべてを理解したようです。
ネリーの父親がやってきます。マリオンを見て微笑みます。そして、ネリーに片付けが終わったので家に戻ろう、お母さんの誕生日にも間に合うと言います。ネリーはもう一日待ってと言います。
その日、マリオンの家です。マリオンの前に9本のろうそくが立てられたケーキが運ばれ、ネリーとマリオンの母親がハッピーバースデーを歌いマリオンの誕生日を祝います。
翌日、ネリーは手術のために母親とともに旅立つマリオンを見送り、そして家に戻りますと、母親マリオンが戻ってきています。ネリーはマリオンの隣りに座ります。しっかりと抱きしめ合うネリーとマリオンです。
セリーヌ・シアマ監督の想像力
8歳の子どもが8歳の母親に会う、それをタイムトラベルでもなく、ファンタジーでもなく、こんな現実的な映画にできるのはセリーヌ・シアマ監督の想像力のすごさでしょう。
いろいろな仕掛けがされています。母親マリオンがやっていたボードゲームや子どものころに書いた日記のようなもの、互いに役割を決めて演じるロールプレイ、マリオンにとっては未来の音楽、それらがきわめて自然に感じられる映画です。
映画はとにかくシンプルです。各シーン、各カット、ほとんど粘ることなくさらりと次に進めています。少ない会話、音楽も未来の音楽の1曲だけだったと思います(気にならなかっただけかも…)。森、ミニマムな家の中、静寂の中の非現実的現実です。
ラスト近くふたりで湖に出るシーンのピラミッド状のオブジェは映画用のセットなんでしょうか、調べてみたんですがわかりませんでした。
(9.26)わかりました。ギヨーム・ブラック監督の「宝島」のロケ地でした。
Pline, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ネリーと8歳のマリオンを演じているのは双子のジョセフィーヌ&ガブリエル・サンス姉妹です。子役くささ(ペコリ)がなくてとてもいいです。このふたりに負うところも多い映画です。
73分というかなり短めの映画ではありますが「燃ゆる女の肖像」よりも映画的インパクトを感じます。