「日記 子供たちへ」「日記 愛する人たちへ」「日記 父と母へ」
もう2年前になりますか、結構印象深く見たメーサーロシュ・マールタ監督の特集上映第2弾が行われています。

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ネタバレあらすじ
前回見たのは「アダプション/ある母と娘の記録」「ナイン・マンス」「ふたりの女、ひとつの宿命」の3本です。
3本とも女性の話であり、どの女性も力強い生き方をします。
それぞれ一言でいえば、「アダプション」は実子がかなわないとなれば養子を求める子どもが欲しい女、「ナイン・マンス」は子どもを愛してはいるけれども自分の人生を生きる女、そして「ふたりの女、ひとつの宿命(遺産)」は遺産を残すために子どもが必要と考え、たまたま知り合った女に夫と寝て子どもを生むことを求める女といった具合です。
映画のつくりとしては説明的なシーンや感情表現のシーンがほとんどありませんので、必然的に物語の展開が早くなり、とても小気味よいです。内容的にも、映画的に、もとても力強い映画を撮る監督です。
といった映画を撮るメーサーロシュ・マールタ監督の自伝的映画と言われる「日記」三部作です。
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日記 子供たちへ
この「日記 子供たちへ」は1984年のカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリ(現在のグランプリ)を受賞しています。
ただ、この映画を1本の映画として評価してもあまり意味がないように思います。映画の内容は断片的ですし、三部作と知って見ているせいもあるかも知れませんが、続きますっていう終わり方をしています。授賞には政治的配慮があるかも知れません(想像です…)。
1947年、ユリ(ツィンコーツィ・ジュジャ)がハンガリー ブダペストに戻ってくるところから始まります。年齢がわかるようなシーンはなかったと思います。メーサロシュ・マールタ監督の自伝的というところから推察しますと16歳くらいということになります。
この映画は、その背景や物語の経緯、それに人間関係など、見ていて理解するための情報がほとんど提供されません。説明的でないというのはこの映画だけではないのですが、少なくとも上にあげた3作は物語としての構成ができていますので特にわからないことはありません。でもこの映画は、とにかくシーンが断片的で、連続した思考を拒否しているかのように進みます。特にユリの心情がまったく読めません。表情は変わらないのに思いの方はころころ変わってみえます。
まあ人間、そんなものということもありますが、まさしく映画が日記的なものと考えればある程度の納得はできます。
描かれるのは、養母のマグダとの確執と両親への強い思いです。
ユリは祖父母(男のほうがマグダを妹と言っていたと思う…)と一緒にソ連からブダペストに戻ってきます。共産党員で政府の要職にある大叔母マグダが呼び戻したようです。当時のハンガリーは、
1946年(略)ハンガリーはスターリン指導のソビエト連邦の影響下に置かれ、共産主義政党ハンガリー勤労者党の影響が拡大した。1949年にはハンガリー人民共和国が成立し、東側諸国に組み込まれた共産主義体制の一党独裁制国家となった。勤労者党の書記長ラーコシ・マーチャーシュは忠実なスターリン主義者であり、反対勢力の粛清を行った。(ウィキペディア)
という時代です。
ユリの父親は彫刻家で、ソ連(キルギス?…)滞在中に拘束されて行方知れずです。粛清されたということです。ユリが見る妄想の父親のシーンが時々挿入されます。父親を演じているのは後に登場する、ユリが父親(というニュアンスだけではない…)のように慕うヤーノシュと同じヤン・ノヴィツキさんです。母親はすでに亡くなっています。メーサーロシュ監督の実の母親は出産中に亡くなっているとのことですし、フラッシュバックの母親のお腹も大きかったのでそういうことだと思います。
マグダは私の名を傷つけないよう勉強を頑張りなさいと言っています。しかしユリは反抗的で、学校をサボって映画を見に行ったりしています。
共産党の同志がマグダの家に集まっています。ユリはその中のヤーノシュ(ヤン・ノヴィツキ)を父のように慕い、なにかにつけ頼って相談するようになります。ヤーノシュはマグダとパリ(だったか…)に亡命中の同志だったと言っています。
おそらくこういうことでしょう。時代は共産主義政党が反体制側から体制側に変わっていく時期です。マグダは体制側の一員となりどんどん権威主義的になっていき、ヤーノシュは反体制であった頃と同じように反権力を貫こうとし、政府の要職にというマグダの誘いを断って工場長として人民の側に立っているということです。ただ、ヤーノシュも時々権威主義的になります。これは多分ジェンダーゆえですね。
といった中でユリのマグダに対する反抗は続き、ヤーノシュに自分を施設(孤児院ということだと思う…)に入れてくれと頼んだり、家出をして工場で働いたりします。ただ結局、マグダの娘(マグダがそう言っている…)であることがバレて連れ戻されるということの繰り返しです。ユリはその度に娘ではない養母だと言い張ります。
そうした現実の中でユリもふっと両親のことを思い出すのでしょう。田園風景のような、草原のようなのどかな景色の中の母と幼いユリのシーンが何度も挿入されます。つらいときに思い出すということだと思います。
1947年、1949年、1953年とスーパーが入ります。1949年にユリにとってなにか特別なことがあったとは記憶していませんが、共産主義政党の一党独裁体制になった年ですので当時の映像が挿入されたシーンのところだったかも知れません。この映画は時々当時の実写映像が挿入されます。1953年は何だったでしょう、記憶にありません。それにこの時はもうモスクワの映画学校へ行っていると思います。
ラストシーンはヤーノシュが官憲に連行されるシーン、そしてユリの決意を込めた顔のクローズアップで終わります。
記憶が間違っていなければです…。
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日記 愛する人たちへ
この「日記 愛する人たちへ」は1987年のベルリン国際映画祭で Silver Bear for an outstanding single achievement という銀熊賞を受賞しています。ウィキペディアの日本語サイトでは個人貢献賞と訳されています。
1984年の「日記 子供たちへ」から3年後です。1987年といいますとソ連ではゴルバチョフ書記長によるペレストロイカとグラスノスチで民主化が進み始めた頃です。
ただし映画は未だ1950年あたりです。前作のラスト、ヤーノシュが連行されるシーンが繰り返されて始まります。
そう言えば、マグダはすでに前作で刑務所長に昇進していたと思います。2作続けて見たこともありますし、とにかくシーンが断片的ですし、突然場所や時間が飛んだりしますのでなかなか記憶できません(笑)。
この「日記 愛する人たちへ」では、モスクワでの映画学校時代が描かれます。学校は SAゲラシモフ全ロシア国立映画大学(S. A. Gerasimov All-Russian State University of Cinematography)と言い、現存する映画学校では世界最古だそうです。ニキータ・ミハルコフ監督やアレクサンドル・ソクーロフ監督やアンドレイ・タルコフスキー監督もここで学んでいるようです。
描かれるのは、自立心旺盛なユリの行動がときに学校関係者には反抗的に見えたりする様子やユリが演出した演劇やユリが監督した映画が映し出されます。
見ていてもうまく経緯をつかめないシーンも多いです。俳優志望の女性の学生とのシーンが結構多い割にユリにどんな影響を与えているのかもはっきりしませんし、有名俳優である教師としてアンナ・パブロワを名乗る教師が出てきましたが、まさか、あのアンナ・パブロワであるわけはないよねと思いながら見ていました。この俳優さんですね、。
二人で言い争いながら雪合戦をやっていました(笑)。
収監されたヤーノシュのもとにヤーノシュの息子とともに面会にいくシーンがありますが、ヤーノシュがどこに収監されているのかもはっきりしませんし、その時のユリがモスクワにいるのかブダペストにいるのかもわかりません。
ヤーノシュの息子は車椅子生活者であり、一作目にも登場しています。この二作目では父親が体制側から反革命的と糾弾されていることから地方へ下放(中国の文化大革命のときの言葉…)されており、ユリが会いに行き、そこで肉体的な関係を持ったというシーンがあります。
時々ハンガリーに戻っているのかマグダや祖父母とのシーンもかなりあります。この第二部では言い争うといったシーンはあまりなかったように思います。むしろ、結構親しくしているじゃんとか思いながら見ていました。ユリもだんだん大人になってきたということでしょうし、社会の流れに染まっていくということもあるのでしょう。
そして最後はハンガリー動乱でこの第二部は終わります。ユリはモスクワにいますのでまったくその状況がわからないようです。友人にブダペストが大変よと言われて知ったような描写になっています。
ハンガリー動乱(ハンガリーどうらん)は、1956年10月23日よりハンガリーで起きた、ソビエト連邦(ソ連)や勤労者党政権の権威と支配に反対する民衆による全国規模のデモ行進・蜂起および、ハンガリー政府側がソ連軍に要請した鎮圧によって市民約3,000人が犠牲となり、20万人以上が難民となり国外へ亡命したとされる事件。
(ウィキペディア)
ユリはハンガリーへ帰らしてくれと求めますが、学校(イコール政府ということでしょう…)が帰らせてくれません。学校の鉄塀から叫ぶユリのクローズアップで終わっていました。
ということで、くどいようですが、流れを記憶できるように出来ていませんので記憶違いがあるかも知れません。
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日記 父と母へ
そして三部作の最終章、ですが、まだ見ていません。
どうしようか迷っています(笑)。率直なところ、映画としては面白くありません(ゴメン…)。現代的な意味合いでこの映画から何かを感じることは難しいです。メーサーロシュ・マールタ監督やハンガリー映画の研究者でもなければ他の作品を見たほうがいいと思います。
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メーサーロシュ・マールタ監督特集第2章
以下、すべて上記公式サイトから。
「エルジ」1968年、長編デビュー作
児童養護施設で育ったエルジは、24年ぶりに小村で暮らす実の母を訪ねる。再婚していた母は、娘の来訪に戸惑い、彼女を姪と偽って新しい家族に引き合わせた。家族関係の修復も曖昧なまま街へ戻ったエルジは、行きずりの男と交際しながら、鬱々と日々を過ごす。ある日、素性の知れぬ中年男性がエルジの前に現れ、「君の両親は死んだ」と告げる。
長編デビュー作であり、のちに繰り返し描かれる“養子”をテーマとした自伝的作品。
「月が沈むとき」1968年
政治家の夫に先立たれたエディトは、保険金や邸宅の相続を頑なに拒む。父の名声が汚されることを恐れた息子は、母エディトを別荘に軟禁した。息子の婚約者も「看守」として手を貸すが、壊れていくエディトを見るうち、結婚という結び付きに違和感を募らせていく。
原題のHoldudvarは「月の暈(かさ)」の意味で、転じて権力者に付き従う者を指す。「家」に囚われた女性の苦しみと、彼女に寄り添う女性の交流が描かれたシスターフッド映画。
「リダンス」1973年
工場勤務のユトゥカは、大学生のアンドラーシュと恋に落ちるが、拒絶されることを恐れ、学生のふりをして名前も偽る。やがてアンドラーシュは真実を知るも、両親には告げられない。両家の食事会でアンドラーシュ家の階級意識が剥き出しになっていく。
アニエス・ヴァルダがシャワーシーンに強く魅了されたという、労働者階級とインテリの格差を背景に女性の選択を描く静かな力作。撮影はトルナトーレ作品で知られるコルタイ・ラヨシュ。
「ジャスト・ライク・アット・ホーム」1978年
アメリカからハンガリーへ帰国したアンドラーシュ。根無し草状態の彼は、放し飼いにされていた犬に惚れ込み、飼い主の少女から強引に買い取る。やがてふたりは、親子とも言い切れぬ親密な関係を育んでいく。彼のかつての恋人アンナも、そんなふたりを気に掛け、彼に愛を告白するが……。
父への献辞で始まる本作は、メーサーロシュにとって非常に個人的な父との物語だといえる。アンナ・カリーナがふたりの関係に揺らぎを与える人物を好演。
「ドント・クライ・プリティ・ガールズ」1970年
婚約者がいるユリは、ミュージシャンと恋に落ちて小旅行へ。しかし嫉妬深い婚約者と彼の不良仲間たちは執拗にふたりを追いかけ……。
溢れんばかりのビート・ミュージックとともに、当時の息詰まるような社会の閉塞性がたしかに刻印された、珠玉の音楽逃避行劇。
「マリとユリ」1977年
マリの夫は偏狭な男で、ユリの夫はアルコールに依存している。夫に苦しめられるマリとユリは、互いに慰め合う中で連帯を深めていく。やがてそれぞれの人生を見つめ直し、決断を下す。
結婚制度に縛られた女性たちの葛藤と連帯を誠実に描いた、静かな秀作。
さて、どれを見ましょうか。