ナイン・マンス

女性の自立と主体性、男性の家族主義と支配欲…

メーサーロシュ・マールタ監督特集上映の一作「アダプション/ある母と娘の記録」が素晴らしかったですので、可能な限り見ようと「ナイン・マンス」を見てきました。

これまた、びっくりしました。

ナイン・マンス / 監督:メーサーロシュ・マールタ

明確な女性の自立と主体性への意識

メーサーロシュ・マールタ監督には女性の主体性への意識が単に主張ということではなく自然なものとして存在しているようです。

アダプション/ある母と娘の記録」のレビューでは、50年近く前の映画であることからそれには触れませんでしたが、この映画「ナイン・マンス」はそのことに触れずに映画を語ることは出来ません。

物語のつくりがはっきりしています。描かれるのは、主体性を持って生きようとする女性ユリ(モノリ・リリ)と女性を家庭に閉じ込めて自分の支配下に置こうとする男性ヤーノシュ(ヤン・ノヴィツキ)の愛と対立の日々です。

ただ、愛とは書きましたが、また、愛は不可解なもの(笑)ということは置いておくとして、この映画ではユリとヤーノシュはお互いに愛しているとは言っていますが、それが映像として表現されるのはキスをし、体を求めあうシーンだけです。

そもそも、レンガ工場の職長ヤーノシュは面接に来たユリに一目惚れ(ということだと思うが…?)して、その翌日からしつこくデートに誘い、断り続けるユリをなんとか食事に誘い、二日目にしていきなり指輪を出してプロポーズするのです。

こうした、え?! と驚くような展開は、「アダプション」も同じでしたので、メーサーロシュ監督は感情表現をくどくどと描く監督ではないということなんですが、あるいは、ヤーノシュは社会的要請として結婚して家庭を持つべき存在としての象徴性を持たされているということも考えられます。要は、男は家庭を持ち妻と子どもを養うものという社会通念や価値観のことです。

で、ユリの方です。ユリがなぜヤーノシュの求愛を受け入れたかは大して重要なことと考えられていないようで、いつの間にやら関係を持ち、ユリもヤーノシュを愛していると言うようになります。ただ、ユリには3、4歳の息子がいます。妻子ある大学教授との子どもであり、ユリの両親の家で暮しています。休みの日には子どもに会いに行きます。

ヤーノシュはユリの後をつけてその事実を知ります。ヤーノシュは責めますが、ユリは隠していたわけではないと言い、そもそも結婚を求めていないし、今のままの関係でいいと言っています。それにユリは通信制大学(だと思う…)で農学を学んでおり、自らの将来設計を描いているようです。

結局、ヤーノシュは事実を受け入れ、子どもとも一緒に暮らすために家を建て結婚の準備を進めます。

ユリも結婚を受け入れたようです。とにかく感情表現がありませんのまったくの想像になりますが、ユリの頭の中は無茶苦茶クリアじゃないかと思います。自分は働いて自立する、農学を学びよりよい職につき子どもと暮らす、ヤーノシュを愛しているので一緒に暮らしたいと思う、ヤーノシュが結婚したいというのならそれでもいい、こんな感じじゃないかと思います。まったく迷いのないユリです。

一方のヤーノシュは、子どもの父親のことを考えて悶々とし、ユリが仕事をやめて専業主婦になることを強く望んでいます。

さて、ふたりはうまくいくのかということになります。

対立する恋愛観、人間存在の価値観

ユリの学士取得(かな…)の最終試験が子どもの父親である大学教授の在籍する大学で行われます。ヤーノシュも同行しています。試験が終わり、ユリを待つヤーノシュはすぐに帰ろうとしますが、ユリは子どもの父親と会うから待ってと言い、また紹介するとも言います。

レストランのテーブルで向かい合う三人、ヤーノシュは気まずそうに、足を組み横を向いています。

ユリとヤーノシュの恋愛観がぶつかっています。

ユリにとってみれば、大学教授にしてもそうなんでしょうが終わった恋愛です。また、子どもの父親であることと恋愛感情は別ものでしょうし、師弟や友人としての関係が続くことになんの疑問も感じていません。ところが、ヤーノシュにはユリと大学教授の過去がちらつくようです。ヤーノシュは子どものことを知った時、その男とねているのか? と下品な言葉で問いますが、ユリはねることがそんなに大切なのかと答えています。

また、生きることの意味と言うべき価値観がぶつかります。

ヤーノシュは家族、親戚(たくさんいた…)の協力で家を建てています。ヤーノシュはユリに子どもがいることを話していません。ユリは話して欲しい、あとで知れば騙していたと思われると言います。しかし、ヤーノシュは話そうとしません。ユリが皆の前で自分には子どもがいることを話します。案の定、家族や親戚は、騙したとか、会って二日目には一緒に暮し始めたそうだねなど、もっと直接的な言葉もあったように思いますが、ユリを侮辱します。

結局、ユリとヤーノシュは言い争いになり別れることになります。この時ユリはヤーノシュの子どもを妊娠しています。

Nine Months 9ヶ月

ユリを演じているモノリ・リリさん、この俳優さんがすごいんです。

最初の登場シーンから存在感バリバリで、モノリ・リリさんがユリそものです。モノリ・リリさんだからこのユリという人物が生まれ、この「ナイン・マンス」が生まれたような俳優さんなんです。

映画の中ではヤーノシュの子どもを妊娠しているという設定になっていますが、実はこの撮影中にモノリ・リリさんは実際に妊娠していることがわかったそうです。

で、メーサーロシュ監督はどうしたか? その出産シーンを撮っちゃっています。映画はモノリ・リリさんの実際の出産シーンで終わります。

タイトルの「Nine Months(Kilenc hónap)」9ヶ月で出産したということです。画像に引用したオリジナルのポスター、ちょっと見には何のイラスト? という感じですが、そのシーンをイラスト化したものなんでしょう。

映画の展開としては、ヤーノシュと別れてから数ヶ月後でしょう、ユリのお腹が大きくなっています。ユリが野菜の育ったビニールハウスの中を、運営する企業の担当者に案内されています。社宅も紹介されています。農業関係の企業で働くことになったということです。

続いて、ユリ、つまりはモノリ・リリさんの苦しそうな顔のアップになり、切り替わって赤ん坊が出てくるカットになり、助産婦(助産師)さんか看護婦(看護師)さんが生まれた赤ん坊を取り上げて終わります。

驚きましますが、え? え? え? と、やはりここでもメーサーロシュ監督の手法でトントントンと進みますので、実写のようだったが…とあっけにとられてしまう感じです。

日本でも過去に「無防備」という実際の出産シーンを撮った映画があります。DVDで見たからということもあり、そのシーンに特に印象は残っていませんが、やはり、ある種映像としてはタブー的なものとされてきたこともあり、それなりのインパクトはあります。

半世紀遅れの日本…

この映画は、「アダプション」が1975年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した次の年1976年の製作になっています。

今から47年前、半世紀も前に撮られた映画です。こんなにも明確な、それも単に主張しているのではなく現実感を持った自由な女性が描かれた映画があったのです。

驚くしかありません。