モスル~ある SWAT 部隊の戦い~

カーワ、覚醒す。乾いた戦争映画のリアル

戦争映画のジャンルに入るんだろうとは思いますが、ちょっと違った感じの映画です。こうした戦争映画で面白いというのもなんですが、とにかくちょっと変わっていて面白い映画です。

モスル~ある SWAT 部隊の戦い~

モスル~ある SWAT 部隊の戦い~ / 監督:マシュー・マイケル・カーナハン

映画の背景

物語の背景となっているのは、2016年当時、ISIL(イラク・レバントのイスラム国)の支配下にあったイラク北部の都市モスルをイラク政府軍側が奪還するために行った軍事作戦です。いわゆる「モスル奪還作戦」、あるいは「モスルの戦い」と呼ばれている(らしい)戦闘ですが、この映画が追っているのはイラク政府の正規軍でも、アメリカ主導の有志連合でもなく、おそらく民兵組織と呼ばれているうちのひとつかと思われるSWATという軍事組織です。

SWATといえば、よく映画にもなるアメリカの警察や軍の中の特殊部隊(Special Weapons And Tactics)を思い浮かべますが、この映画のSWATはイラクの元警察官たちが自ら組織したもので、おそらく特殊部隊という意味で自ら名乗っているのだと思います(間違っているかもしれません)。

映画の中だけの組織ではありません。実在の組織です。

この映画にはベースとなるものがあります。2017年の2月に「ニューヨーカー」に掲載された「The Desperate Battle to Destroy ISIS(IS殲滅への死闘)」というルーク・モゲルソン(Luke Mogelson)さんという方のルポルタージュです。

兵士たちがSWATの文字の入った帽子をかぶっています。

という、イラクの元警官たちの軍事組織SWATの映画なんですが、物語自体はこのルポの内容とは関係なく、脚本も書いているマシュー・マイケル・カーナハン監督の創作のようです。

なお、「モスルの戦い」は2016年10月16日から2017年7月20日まで約9ヶ月続いたようです。

アメリカ映画だがすべてアラビア語

言語はすべてアラビア語、俳優はすべてアラブ系の人たちですが、製作国はアメリカで、製作は、私はよく知らないのですが、「アベンジャーズ」シリーズの「インフィニティ・ウォー」「エンドゲーム」の監督であるジョー&アンソニー・ルッソ兄弟の製作会社ということです。

マシュー・マイケル・カーナハン監督はこの映画が初監督作品ですが、「キングダム/見えざる敵」(07)「大いなる陰謀」(07)「消されたヘッドライン」(09)「ワールド・ウォー Z」(13)「バーニング・オーシャン」(16)「21ブリッジ」(19)などの脚本を書いている方です。

撮影はモロッコのカサブランカにセットを組んで撮影されたそうです。

これはセットじゃなく現実の街並みを使っているかもしれませんね。

監督のインタビューに空撮は実際のモスルの町という話がありましたがこれでしょうか。

ネタバレあらすじ前半

若き警察官カーワ

いきなり戦闘シーンから始まります。

アメリカ映画はこういうシーンはうまいですね。かなりリアルです。戦闘中は何が何やらわかりませんのですごいなあと思いながら見ているだけです。

カメラが押さえている室内側、つまり外からISILに攻撃されている側が劣勢となり、もうダメだというときに、突然、外で激しい銃撃音がし、そして一瞬にして静かになります。

男たちが室内(といっても破壊され廃墟のよう)に入ってきて会話となり状況がわかります。ISILに攻撃されていたのはイラクの警官3人、カーワとカーワのおじと同僚です。助太刀したのはSWATです。カーワのおじは撃たれてもう息がありません。カーワはSWATに、自分は警官でこの男たち(負傷して倒れている)を麻薬云々(だったと思う)で確保したところISILに襲撃されたと語ります。SWATの隊長ジャーセムが行き絶え絶えの容疑者を射殺します(隊長ではなく部下の誰かだったかも)。カーワが取り調べを…という間もなくです。そして、カーワは半ば強引にSWATにリクルートされます。

こういうことです。SWATは、イラクの元警官たちの集団で、もともとは有志連合の指揮下で行動していたのですが、命令が突如変更されるなど信用ならないとして今は単独行動を取っているということです。現在の目的(任務と言っている)は最後まで不明になっており、それゆえ、ISILに家族を殺された者たちの復讐が目的の武装組織に見えます。カーワはおじを殺されているのでSWATに加わる資格があるといわれ、有無を言わせぬ勢いでリクルートされます。同僚の警官はその資格がないと言われ、カーワのおじを埋葬するためにおじの死体とともにパトロールカーで立ち去っていきます。

カーワ、SWATの一員として成長する

SWATに同行することになったカーワですが、その任務が何なのかは教えてもらえません。目的がなにかもわからずただただ廃墟の市街地を前進するのみです。

常に銃を構えて進むという常時究極の緊張感を強いられる状態です。そうした中でカーワはSWATの一員としての行動規範を学んでいきます。

同僚の裏切り

いっときたりとも気を緩めることは出来ませんので、休憩も◯分休めという感じです。休憩中のその時、冒頭のシーンの同僚のパトロールカーがやってきて近くに発煙筒を投げ入れ去っていきます。続いて車がやってきます。メンバーのひとりが伏せろ!と叫びます。自爆です。爆発でSWATのメンバーのひとりが亡くなります。

というような状態が映画の最後まで続きます。

隊長ジャーセムの不思議な行動

部隊はハンヴィー(ジープ型の装甲車)で移動しています。その途中、隊長が奇妙な行動をとります。奇妙といっても映画の流れからして奇妙という意味ですが、遺体を運ぶふたりの子どもを見かけ、連れて行くと言い、部下がいくら止まっていては危険ですといっても聞かずに説得を続け、同意した子どものひとりを同乗させるのです。

たとえ同意したからといってもひとりだけ連れて行くことがいいことなのかどうかはわかりませんが、とにかく、後に、子どもを育ててくれそうな夫婦を見つけお金を渡して育ててくれと頼むのです。

また、他のシーンでは隊長が床に落ちているゴミ(だと思う)を片付けるところをかなり意図的に見せるカットがあります。

このふたつは物語上重要な伏線になっています。

乾いた戦争映画

戦争映画と呼ばれるものを見ることはあまりなく最近の傾向はまったくわかりませんが、この映画を見て感じるのは戦闘行為に理屈がない、もちろん理屈はいわゆる正義だけではないにしても、なにがしか自らがなす究極の暴力行為を正当化する精神性やイデオロギーが必要じゃないかと思います。

この映画からはそれが感じられません。もちろん現実においては、個々それぞれに宗教であったり民族的精神性のようなものがあるのでしょうが、映画的には一定程度の普遍性がないとなかなかドラマとして成立しにくものです。

冷戦終結以前の戦争映画はそうした集団的精神性で描かれているものが多いと思います。言い方をかえれば帝国主義戦争というものの必然なのかも知れませんが、国対国が正義を争う、勝ったものが正義という戦争です。

冷戦終結以降、戦争の形が変わったということでしょう。

この映画のSWATのメンバーの行動の動機づけは家族を殺されたことへの復讐ということになっています。ただ、復讐心だけでこの映画のような継続的な殺戮行為を行っていくことは非常に難しいことではないかと思います。

これは映画ですから、特に意味付けがなくても戦闘行為として人を撃ち殺し続けることはできるわけですが、そうなりますとそれはもう映画でも何でもなくゲームと同じになってしまいます。

まわりくどくなりましたが、この映画にはそうした無意味にも見える戦闘行為がある種の精神性を持つ瞬間が2ヶ所あります。

そしてまた、その瞬間、映画自体も普遍性を持つことになります。

ネタバレあらすじ後半

カーワの成長、あるいは覚醒

カーワにはSWATの任務や目的は明かされません。ただ肉親を殺されたその復讐心だけでISILを殺せと言われて(いるようなもの)います。敵と見ればとにかく撃ち殺し、殺した相手から武器や携帯品を奪い、ただただ前進あるのみです。もちろん殺さなければ殺される状況ではあります。

ある時、有志連合の一部隊であるイランの部隊と出会い、手持ちのたばこと銃弾を交換することになります。

このシーンがこの映画の山場ではないかと思うくらいむちゃくちゃいい(映画としていい)シーンでした。

たばこと銃弾を交換するSWATの隊長とイランの隊長の駆け引きと言い合い(論争)が面白いです。SWATのメンバーはスンニ派、イランはシーア派ということも絡み、また論争は欧米諸国との関係にまで及び、イランの隊長がSWATの隊長に、イラクは国境さえも欧米に決められていると揶揄していました。その他いろいろあったのですが記憶できていません。

とにかく、そんなあれこれあるものの取引は成立、そしてイランの隊長が捕虜の面通しをしてくれと言います。ひとりひとり見ていたSWATの隊長がカーワを呼びます。捕虜のひとりが例の自爆を誘導した同僚警官なのです。その同僚は家族を殺すとと脅されやむを得ずやったことだとわめきながら言い訳しています。SWATの隊長がこの捕虜は自分たちが預かると主張し、イランの隊長はいやこれは自分たちの捕虜だと激しく口論し始めます。その口論に男の言い訳がかぶりその場は騒然とした状態になります。そこにカーワの表情の変化が何カットか挿入されます。カーワにはどうしようもない鬱屈感が充満しています。

突如、カーワが自分のハンマーのような武器を手にして男に突進し、幾度も振りかざして男の頭に打ち付けます。場を静寂が支配します。皆がカーワを見つめたまま無言の時間が過ぎていきます。

カーワが一言発します。(あー、この重要な台詞を記憶していない(涙))

カーワが一線を越え、覚醒した瞬間です。

隊長の死

さらにSWATは前進します。ISILの拠点を発見します。

ここでも隊長が不思議な行動をとります。副長的なワイードにここでISILと戦うか、迂回するかの判断を委ねます。意見を聞くわけではなく判断を委ねるわけですから戦闘化においてはあり得ないことです。ワイードは苦渋の表情を浮かべながら迂回すると言います。

ただ、その判断は、その戦闘で部下を失うことになったからなのか、もう理由は思い出せなくなっていますが、結局、あれこれあり、ワイードもISILとの対峙を決断することになります。

そして激しい戦闘の後、ISILの拠点を制圧し、例によって武器や戦利品を奪い、隊長はなにか情報はないかとパソコンやら資料の箱をチェックします。隊長は机の上からこぼれ落ちたゴミのようなものを拾い上げて片付け、散らばった資料を箱に収め、そしてその箱を持ち上げたその瞬間、仕掛けられていた爆弾が爆発します。

隊長が死亡します。皆悲痛な面持ちです。

SWATの任務とは?

ワイードの指揮のもとさらに進みます。SWATのメンバーも数人になっています。ある建物に入ります。裕福そうな家です。女性がいます。ワイードが静かにと指示します。ある部屋の前で、ワイードが持っていた(靴の中だったか)鍵を取り出し、鍵穴に差し込み部屋に飛び込み、そしてそこにいた男を一瞬にして射殺します。

部屋には女性と子どもがいます。ワイードは女性と抱き合い、そして子どもを抱きしめます。

そこはワイードの住まいだったところであり、女性は妻であり、子どもはワイードの子どもなのです。射殺した男はISILの男ということです。

ワイードは迎えに来れなかったのだと沈痛な面持ちで言います。妻は恐る恐る妊娠していると言います。戸惑うワイード、しかし、ゆっくりと妻のおなかに手を当てようとします。妻はいたたまれずでしょう、優しくではありますがその手を拒絶します。それでもワイードと妻、そして子どもはお互いを強く抱きしめあっています。

カーワがSWATのひとりに言います。

「(お前の)息子のもとに向かおう」

SWATの目的は、ワイードを家族のもとに戻す、家族に会わせることだったのです。

そして、カーワの一言は、SWATの任務(目的)はこれで終わりではなくすべてのメンバーに家族との再会を果たさせようということであり、そしてそれはすべてのイラク人にも通じることであり、それゆえ普遍的な意味合いをもった一言になっているのです。

価値観の押しつけがない映画

この映画は見ていて嫌な気持ちを抱かせるところがありません。

いろいろ理由はあるのでしょうが、押し付けがましさがないことが一番じゃないかと思います。ISILに対する復讐と言いながらも殺害行為に憎悪を感じさせるところがありません。

乾いた戦争映画」にも書いていますが、究極の暴力行為を正当化するための精神性やイデオロギーを持ち込まずにただただリアルな戦闘行為を描くことに注力していることが功を奏しているのでしょう。

そして、そうであっても単なるアクション映画に留めないテーマ性をきっちり出しています。さらにそれを中間とラストにうまく配置し、戦闘行為の迫力とカーワに表現されている人間の内面性の変化で最後まで飽きさせることなく見せています。

カーワを演じているアダム・ベッサさん、いい表情していました。両親はチュニジア人ですがフランスで生まれ育っているらしくフランスが主な活躍の場になるのでしょう。さらなるいい映画に出会えるといいですね。