ダ・ヴィンチは誰に微笑む

サルバトール・ムンディがルーブル・アブダビに展示される日は来るか?

1763年以降行方不明(ウィキペディア)となっていたレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の傑作「サルバトール・ムンディ」という絵画が、真偽不明のまま、1175ドル(約13万円)から4億5000万ドル(約510億円)に化けてしまったという話です。

その過程に関わった人物たちのインタビューで構成されたドキュメンタリーです。

ダ・ヴィンチは誰に微笑む

ダ・ヴィンチは誰に微笑む / 監督:アントワーヌ・ヴィトキーヌ

売りに出された救世主

この映画は、原題が「The Savior for Sale(売りに出された救世主)」であるように、絵画が本物かどうかという視点で描かれているわけではなく、本物かどうかもわからないのに510億円の価値があるものとなってしまう(してしまう)アート界の闇と言いますか、舞台裏を描いている映画です。

劇場用に制作された映画ではなく、フランスの「Le monde en face」というドキュメンタリーテレビ番組の1本のようです。

また、この「サルバトール・ムンディ」に関しては、別のドキュメンタリーがあるようです。

13万円から510億円への経緯

13万円が510億円に化ける経緯を簡単に書きますと、

  • 1958年、ルイジアナ州バトンルージュの実業家が45$で購入(National Post
  • 2004年、数千ドルで売却
  • 2005年、アメリカの美術商ロバート・サイモンらが1175ドル(約13万円)で落札し、ニューヨーク大学の Dianne Dwyer Modestini 氏に修復を依頼、その結果、右手の親指が書き直されていることが判明する

この書き直しが真偽判定では意味を成すことらしく、つまり、書き直しているということは作家が構図を再考したことを示しているため複製ではなくオリジナルであることの証明になるようです。

ですので、この段階でこの「サルバトール・ムンディ」の真偽はオリジナルかどうかからレオナルド・ダ・ヴィンチの作品かどうかの真偽に移ったということだと思います。

  • 2008年、イギリスのナショナル・ギャラリーに真偽判定を依頼
    5人の専門家の判断は、真:1人、偽(本人の作ではない):1人、判断せず:3人の結果であり、作品がレオナルド・ダ・ヴィンチのものであるとした1人は美術史家でありダ・ヴィンチ研究の権威マーティン・ケンプ氏
  • 2011年~2012年、ナショナル・ギャラリー「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」で真作として展示される
  • 2013年、スイスの美術商がロシアの富豪ドミトリー・リボロフレフの依頼を受けて約100億円で購入し、リボロフレフ氏に約157億円で転売する
  • 2017年、クリスティーズのオークションで約510億円で落札される
  • 2017年12月、ウォール・ストリート・ジャーナルがサウジアラビアの皇太子(第一副首相)ムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)が購入者であると報じる

権威づけと広告

13万円が510億円という金額自体は異常なことではあり、このケースの裏にはいろんな思惑が働いたんだと思いますが、ただ、モノの金銭的価値がつり上がっていくこと自体は資本主義の社会であれば日常的に目にすることです。

その過程で利用されるのが「権威づけ」と「広告」です。

このサルバトール・ムンディの場合でみますと、ナショナル・ギャラリーがレオナルド・ダ・ヴィンチの真作として展示すれば、転売して吊り上げるのはともかくとしてもスイスの美術商が買った100億円という金額もまあそんなもんかな(笑)と思えなくもありません。

マーティン・ケンプ氏にどういう力が働いたのかはわかりませんが、そりゃ、レオナルド・ダ・ヴィンチ研究のオーソリティがお墨付きを与えれば値は上がります。

ちょっと次元は違いますが、著名人の名を使って信用させるという手はあらゆるところで使われています。「権威づけ」です。

そしてもうひとつが「広告」、広告はモノに付加価値をつけるわけですが、オークション会社のクリスティーズがそれを使っています。

「The Last da Vinci: The World is Watching」

映画の中でも語られていたものですが、クリスティーズはオークションの前にこの動画をキャンペーンとして流していたそうです。

映画の中では、クリスティーズが「サルバトール・ムンディ」を事前公開して、その絵を見る人々を絵の側から撮影していたと言っていました。私はすべて演技された映像だとは思いますが、とにかく、「サルバトール・ムンディ」を見て涙する人々を見せることでこの絵画には本物にしかないオーラがあることをみせているわけです。

さらに、この動画にはレオナルド・ディカプリオ氏の映像まで入っています。当然ギャラが発生するものでしょう。CMでは常にこの手が使われています。

MBSとルーブル・アブダビ

で、映画はこうしたことを皮肉っぽく描いているわけですが、一番の注目ポイントは510億円で落札されたその後なんだと思います。

MBSはなぜ510億円もかけて買ったのか?

アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビに、2017年11月11日「ルーブル・アブダビ」がオープンしています。ルーブル美術館の姉妹館に位置づけられるもので、開館にはマクロン大統領、UAEの副大統領、そしてMBSが立ち会っているそうです。

ルーブル美術館が美術作品も貸与して特別展などを行う30年の契約らしく、アブダビ側は契約料など含め総額で12億7200万ドル(未確認)を支払ったそうです。完全にフランスの文化ビジネスです。

実はこれに似たケースがかつて日本にもありました。「名古屋ボストン美術館」というもので、多分バブル絶頂期に発想されたものだと思いますが、展示はすべてボストン美術館から借り受けるという契約で相当な契約金だったと思います。実際に開館したのはバブル崩壊後の1999年で2018年に閉館しています。20年の契約だったということでしょう。

で、MBSはサルバトール・ムンディを「ルーブル・アブダビ」の目玉にしようとしたのではないかということです。UAEとサウジアラビアの関係まではわかりませんが、開館にMBSがマクロン大統領とともに立ち会っていることはこの施設に相当関わっているということでしょう。

この「ルーブル・アブダビ」はアブダビに近接するサディヤット島に建設され、他にもニューヨークのグッゲンハイム美術館による「グッゲンハイム・アブダビ」、大英博物館と提携する「ザイード国立博物館」、オペラ劇場や海洋博物館も開館する(した?)そうです(未確認)。

石油以後をみた政策の一環かもしれません。

ルーブル美術館との駆け引き

で、映画は、ルーブル美術館が2019年から2020年にかけて行ったレオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」の際に、MBSが「サルバトール・ムンディ」を「モナリザ」と並べて展示するように要求したと語っています。

実際にはルーブル美術館は詳細な調査をし、この「サルバトール・ムンディ」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品ではなく工房の弟子の誰かのものであると結論づけて展示には応じなかったということです。

ただし、その代わりフランスはUAEかMBSかになにか見返りを与えたというようなまとめ方をしていたと思います。(これは見間違えているかもしれません)

フランスのテレビ番組

率直なところ、映画として面白いわけでも、なにか鋭く切り込んでいるわけでもありません。多分、すべて明らかになっていることだと思います。それを少し切り口を変えて、たとえば、登場人物(の一部)を揶揄するように「商人」であるとか「傭兵」といった肩書で紹介したり、また、真偽の判定をイギリスのナショナル・ギャラリー対フランスのルーブル美術館の違いでみせたりということをやっています。

フランスのテレビ番組ということだと思います。