荻上直子監督です。「かもめ食堂」と「彼らが本気で編むときは、」の2本を見ているだけですが、いい人ファンタジーをうまく撮る監督の印象です。
荻上直子監督自身の小説を原作としています。
隣人ファンタジー
この映画、全体を通して「死」というものが表に出ていますが、基本は、人間互いに許し合い認め合い仲良く暮らせばそのほうが楽しいでしょうという映画です。ですので、映画を見て癒やされる人も多いと思いますし、心のセーフティネットのような映画でもあります。
ただ、なかなかそうはいかないというのが現実ですので、映画の成立にはあれこれ人間関係にまつわるファンタジー要素が必要になります。
山田(松山ケンイチ)が北陸のある町にやってきます。荷物もバッグひとつですので何らかの理由で社会からはみ出してしまった印象です。その過去はのちに明らかにされますが、山田には前科があり、その受け入れ先である水産加工会社で働くことになり、紹介された「ハイツムコリッタ」で暮らすことになったということです。
こういう内になにか秘めているような人物には松山ケンイチさんはうまくはまります。言葉で説明しなくてもなんとなく過去がわかってしまう感じです。
「ハイツムコリッタ」は築50年の平屋の長屋アパートです。その住人たちとの人間関係が映画の主要なテーマとなっています。
山田が風呂に入っていますと隣の島田(ムロツヨシ)がいきなり風呂を貸してくれとやってきます。島田は庭で野菜の自家栽培をやっており、季節は夏ですので汗びっしょり、給湯器が壊れて修理する金がなく、それを自分はミニマリストだからと言っています。山田は一度は断りますが、島田は毎日のようにやってきて、ついには静止も聞かず風呂に入ってしまいます。
まあ普通は警察沙汰なんですが(笑)、ムロさんのキャラと松山さんの、何だろ、許容度? みたいな存在感で、こういうこともあるのかなといった感じで受け入れられます。荻上直子監督の映画的な間合いの取り方のうまさもあるのでしょう。
また、「食べる」ことが、山田が島田の強引さをなんとなく受け入れていくことの要素にうまく使われています。
島田は自分が育てたきゅうりやトマトを山田のもとに持ってきます。それを美味しそうにかじる山田です。山田がご飯を炊きます。炊きあがるのを待ちきれない様子で炊飯器の前に立ち、終了音がするやいなや蓋を開け炊きあがったご飯の匂いをさもいい香りであるかのようにかぎます。島田が茶碗と箸を持って上がり込み勝手にご飯をよそおうとします。山田が明日のおにぎりにするから一杯だけと言います。島田はかまわず二杯目をよそおうとします。山田はもう~と言うだけです。
といった感じで、山田とハイツムコリッタの住人たちとの隣人ファンタジーが始まります。
溝口(吉岡秀隆)は4、5歳の子どもを連れて墓石のセールスに歩いています。子どもをダシにして!などと玄関をピシャ!と閉められる毎日ですが、ある時200万円の墓石が売れ、隣人たちに内緒ですき焼きを食べようとします。匂いで嗅ぎつけた島田が上がり込みます。山田も続きます。そして、大家の南(満島ひかり)も入り、みんなで囲んだほうが美味しくなる食卓です(笑)。
親子ファンタジー
山田のもとに役所から父親が遺体で発見されたとの手紙が来ます。山田は、自分が幼い頃に父親は家を出ていき顔も覚えていないと言っています。それでも引き取りに行きます。
また、母親にも捨てられたと言っていましたのでいわゆる家庭崩壊なんでしょう。そうした過去が具体的に描かれるわけではありませんが、だからこその家族幻想が山田の中にあることも考えられます。また、山田本人にこれまでずっと一人ぼっちで孤独だったとの思いがあるとすれば、たとえ顔など覚えていなくても、また憎しみを持っていようとも、あるいはそれだからこそ、血のつながりにすがろうとの気持ちが生まれてくるのかも知れません。
「母親はクズだったし、父親も野垂れ死にだし。ろくでもないのってうつるのかなって」思うと言っているのはそういうことなんでしょう。
父親が孤独死だったと知らされた山田は、その遺品の携帯の発信履歴に同じ番号が並んでいるのを見つけ電話をしてみます。その番号は「いのちの電話」でした。
記憶もない父親に自分を重ね合わせる山田です。
いい人ファンタジー
荻上直子監督の映画には、知る限りですが悪い人はできてきません。この映画の登場人物も皆いい人ばかりです。悪意のない人、表裏のない人と言ったほうが正確かも知れません。
水産加工会社の社長は山田が落ちこぼれていかないようにと地道に働けば受け入れられると励ましています。そもそも前科のある者をあえて受け入れている人物です。
ハイツムコリッタの大家、南は山田が指定日に家賃を持ってきたことに驚いています。墓石セールスマンの溝口などは半年もためているのに内緒ですき焼きを食べていることを知っても家賃よりも食い気です(笑)。きっと島田なんてもっとためているでしょう。
ただ、この南、ちらっと悪意を見せるところがあります。興奮して自転車ですっ飛ばしてきますので何かと思いましたら、山田に妊婦を見るとお腹を蹴りたくなると口走っていました。
これは何なんでしょう? あまりにもいい人ばかりなので物語上のメリハリのためか、あるいは荻上監督の何か(そのままという意味ではありません)が思わず出てしまったか、ん? アイスキャンディのシーン、その誘導で山田がなにか告白していましたっけ?
墓石セールスマンの溝口は、もう存在自体がファンタジーですから悪い人物になりようがありません。子どもたちやホームレスもそうです。他にも役所の堤下(柄本佑)はどこまでも親切ですし、豪邸の女性(田中美佐子)は犬の墓のために200万円の墓石を買ってくれますし、キャストに名前が出ている薬師丸ひろ子さんはどこに出ていたのだろう? と思いましたらあの優しい電話の声でしたし、山田の前科のことを島田が知ったときに、会社の社長が中島には最初から話してあるなんて中島は悪くないとフォローし、やっぱり悪くないんだと思ったそもそもの中島って誰? と思いましたら、作業用のマスクや帽子で誰だかもわからない同僚の女性(江口のりこ)でした(笑)。
ということで、裏表のないいい人たちファンタジーでした。
牟呼栗多、刹那
タイトルになっている「ムコリッタ」は仏教用語で時間の単位だそうです。「刹那」という言葉はよく使いますがこれも同じ時間の単位です。
インドの時法で仏典に見えるものは,最短時間を刹那,120刹那を呾刹那,60呾刹那を1臘縛,30臘縛を1牟呼栗多,5牟呼栗多を1時,6時を1日としている
(コトバンク)
とのことで、呾刹那(たんせつな)、臘縛(ろうばく)、牟呼栗多(むこりた)と読みます。
最初にこの映画には「死」というものが表に出ていると書きましたが、山田の父の死が映画のひとつの軸になっていますし、すでに2ヶ月前(2年前だったか?)に亡くなっているなんとかさんの幽霊が出てきますし、南が乗ったタクシーの運転手(笹野高史)は自分は花火師だったので妻の骨をくだいて火薬に混ぜてどーんと打ち上げたと嬉しそうに話していましたし、その影響なのか、南は夫の骨をかじり、その骨で自慰をしていました。
という「死」ですので、生きるものが「死」をどうとらえるかといった死生観とはちょっと違い、死んだ者をどう弔うか、人の死をどう受け止めるかといったことであり、生きる側の方に基点が置かれているということです。
それにしても贅沢なキャスティングでした。