ナチを欺いた嘘のような本当の話、なのだが…
第二次世界大戦中、イギリス諜報部がイタリア侵攻作戦を撹乱するために死体に偽の機密文書を持たせて地中海に流し、それをナチスドイツに回収させ信じさせようとしたという、嘘とも本当ともつかないような本当にあった話の映画です。
オペレーション・ミンスミート
オペレーション・ミンスミートとは1943年4月に実行されたイギリスによる撹乱作戦です。ちょうどこの頃は第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)の潮目に当たる時期で戦況が連合国軍に傾き始めています。
Original Author: User:San Jose Derivative Author: User:ArmadniGeneral, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
この図がドイツとイタリアなど枢軸国がヨーロッパ全域を支配下に置いた1943年ごろに占領図です。北アフリカ戦線ではこの年の5月に枢軸国側が敗北して撤退していますので、連合国側はその後を見据えてヨーロッパ大陸への上陸作戦を練っていたということになり、その第一候補であるシチリア上陸を撹乱するために偽のギリシャ上陸情報をナチスドイツ側に信じさせようとしたということです。
そのために架空のイギリス人将校ウィリアム・マーティン少佐という人物をでっち上げ、まったく関係のない人物の死体にあたかも機密情報であるかのように仕組んだ文書をもたせて、スペインの海岸に流れ着くように地中海に放出したようです。
スペインは、上の図では中立国のように白くなっていますが実際は親ナチスドイツの准枢軸国ですのでナチスに情報が渡ることが計算されていたということです。
といった作戦計画の顛末が描かれているわけですが、原作があります。ベン・マッキンタイアー著『ナチを欺いた死体-英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』という2010年に出版された本(ノンフィクション?)です。
タイムズにコラムを書いている方のようで、歴史家でもあり、歴史上の人物を書いているものが多く、スパイものも何冊かあります。
ただ、おそらくですが、このマッキンタイアーさんの本は完全なオリジナルということではないでしょう。1953年に『The Man Who Never Was』という本が出版されており、その作者は映画でコリン・ファースさんが演じているユーエン・モンタギュー少佐です。実録本ということだと思います。日本語訳は筑摩書房『ノンフィクション全集22』に『ある死体の冒険』として収録されているようです。廃刊かもしれません。
さらに、1956年にはこの本をもとに映画化もされているようです。トレーラーがありました。
で、実際のミンスミート作戦とはいったいどんなものだったんだろうとウィキペディアの「ミンスミート作戦」を読んでみました。このウィキペディア自体がこれらの出版物をもとに書かれているのではないかと思われるくらいにそのままです。映画でも使われていた偽の将校(死体)の嘘の恋人「パムの写真」の実物が掲載されています。映画と同じようにMI5の事務職員の写真のようです。
The National Archives, Public domain, via Wikimedia Commons
恋愛話で本筋がぼんやり
で、映画ですが、「事実は小説よりも奇なり」みたいなこんな映画にうってつけの話なのに、なぜか恋愛話が前面に押し出されています。
ミンスミート作戦の発案者、ユーエン・モンタギュー(コリン・ファース)とチャールズ・チャムリー(マシュー・マクファディン)の間に、自分の写真を「パムの写真」として提供するジーン・レスリー(ケリー・マクドナルド)を置いて三角関係のように描いています。
架空の将校となるウィリアム・マーティン少佐もその恋人パムも実在しないわけですから、作戦を練るためにふたりの過去であるとか現在の関係を創作していく過程をモンタギューとレスリーのふたりに反映させて描いているわけです。
映画ですから当然ふたりは求め合うようになっていきます。ただ、あまり恋愛ものに比重を置いちゃいけないと思ったのか、事実と違うことの歯止めのためなのかはわかりませんが、冒頭のシーンでモンタギューには妻子がいることを見せており、愛の告白だけで終わらせていました。
チャムリーのレスリーへの気持ちはあまりはっきり描かれていませんが、嫉妬しているような描き方でした。それに、チャムリーとモンタギューの間にはもうひとつもめごとの種のようなものがまかれています。モンタギューには弟がいて、その弟がコミュニズムにシンパシーを持っているらしい(かもしれない)という設定で、チャムリーが上官からモンタギューを監視するよう命じられているという関係です。さらにチャムリーがその役目を受けたのは自分の兄が戦死しており、その遺体を上官の力で帰還させてもらうというようなことだったと思います。
ミンスミート作戦だけでは映画にならないと思ったんでしょうかね。モンタギューとチャムリー、ふたりの人間関係を軸に映画にしようとしたのかもしれません。仮にそうだとすればそれが失敗のもとです。いっこうに緊迫感の生まれないスパイものになってしまいました。
台詞劇、会話劇の字幕
映画はほぼ室内劇のつくりで会話劇でもあります。多少英語が聞き取れるくらいではついていけませんので字幕を読むことになります。
字幕がまったく会話になっていません。
原語が聞き取れていませんのでどうであったかはわかりませんが、原語に忠実に訳されていて会話になっていないのだとしますとそれじゃ字幕はダメでしょう。映画の字幕の文字数は限られています。それに言葉はリズムですので会話には会話のリズムで字幕をつけないと言葉が頭に入ってこないです。
字幕は原語に忠実に訳すことも大切ですが、その物語を理解し限られた文字数の中で何を伝えるかがさらに重要なことだと思います。
一概に字幕のせいではありませんが、人間関係に重きを置いて緊張感を出そうとしたことがうまくいかなかった映画だと思います。そうした傾向の強いジョン・マッデン監督だとは思います。