GAGARINE/ガガーリン

建物にしみ込んだ記憶への詩的な鎮魂ファンタジー

ユーリイ・ガガーリン

人類で初めて宇宙へ行ったソ連の宇宙飛行士であり軍人です。1961年のことです。この映画はその伝記ものでも何でもありません。パリ南東に隣接するイヴリー=シュル=セーヌというコミューン(地方自治体のこと)にある(あった)「ガガーリン団地(CitéGagarine)」と名付けられた共同住宅の物語です。

ガガーリン / 監督:ファニー・リアタール、ジェレミー・トルイユ

赤いバンリュー

映画の冒頭に実写フィルムが流れます。そこにはユーリイ・ガガーリン本人がフランスで大歓迎を受けている姿が映し出されます。1963年の映像です。イヴリー=シュル=セーヌに14階建て(かな?)の公営住宅が完成し、「ガガーリン団地」と名付けられたその記念のようです。

Immeuble Gagarine Ivry Seine 1
Chabe01, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

現在の日本から見るフランスの感覚ではわかりにくいのですが、もともとフランスは共産党がかなりの勢力を持っていた国で、国政でも何度か選挙で第一党となり政権入りもしています。その支持基盤となっている(いた?)のが郊外都市(コミューン)で「赤いバンリュー(Banlieues rouges 赤い郊外)」と呼ばれているそうです。

この映画の舞台となっているイヴリー=シュル=セーヌもそのひとつで、代々共産党が市長職を務めて行政を担ったきたとのことです。その施策として公営住宅を建て、その名にソ連の著名人たるガガーリンの名を冠したということです。

こうした公営住宅はパリ周辺部にたくさんあるようで、結構映画にもなっています。私の見ている映画では「レ・ミゼラブル」「ディーパンの戦い」、そして「アスファルト」、私はこの「アスファルト」を見て、こうしたパリ郊外の公営住宅の存在や「赤いバンリュー」というものを知りました。

ガガーリン団地の解体

この映画は、その「ガガーリン団地」が老朽化のために取り壊されることになり、それをリアルタイムで映画の背景に取り入れています。公式サイトには取り壊しの理由に2024年のパリオリンピックがあげられていますが、映画の中では語られていなかったと思います。取り壊しは2019年に始まり16ヶ月かかったとウィキペディアにはあります。

この映画には2015年製作の同じく「GAGARINE」というタイトルの短編があります。Vimeoにありました。

Gagarine from SundanceTV Global

これを見ますと現在劇場公開されている長編の「ガガーリン」は短編の続きのような内容になっています。長編の方はまさしく取り壊しが始まり住民たちが全員退去し、しかし16歳の少年ユーリだけは団地に残り、団地の一室を宇宙船に改造して宇宙に飛び立つというファンタジーですが、短編の方は取り壊しが予定されているという段階で、長編ではいなくなっている母親もまだユーリと一緒に暮らしています。上の動画の静止画像の女性です。

この短編でも1963年のユーリイ・ガガーリンの団地訪問の熱狂的な実写フィルムが冒頭に使われています。

監督はファニー・リアタールさん(右)とジェレミー・トルイユさん(左)で、映画を撮るきっかけはガガーリン団地に関わる都市計画に関わったことのようです。

Café court / Expresso Video – Jérémy Trouilh et Fanny Liatard from ClermontFd Short Film Festival

マジックリアリズムか…?

16歳の少年ユーリ(アルセニ・バティリ)はガガーリン団地にひとりで暮らしています。時々母親に電話をし、いつ帰ってくるの?と尋ねています。団地は老朽化のために取り壊しが検討され、その審査をひかえています(ということだと思う)。ユーリは団地が取り壊しにならないよう審査を前にひとりで電気設備やエレベーターの修理をやっています(これも、ということだと思う)。

団地の居住者たちの描写はあまりありません。これがこの映画のトーンを決めている大きな要素だと思います。つまり、せっかくリアルな建物を使っているのにそこでまさに生活しているリアルな人々の存在が感じられないということです。非常にファンタジー色の強い映画です。

これが「マジックリアリズムか…?」の意味で、ユーリは宇宙に夢を馳せ、後に団地の一室(ワンフロア?)を宇宙船に改造して宇宙に飛び立つわけですが、それが単にひとりの個人の夢想に見えないようにするには、現実的な存在が非現実の空間に融合することの不思議さが不思議に感じられない状態を現出させなければなりません。しかし、あまりそうした感じは伝わっては来ずにユーリひとりの夢想的な映画に見えます。

唯一、マジックリアリズム的な映画になるのではとの可能性があったのは、同じく団地に暮らすダリ(フィネガン・オールドフィールド)です。ダリは、団地が取り壊されないようにとあれこれ修理に動くユーリを馬鹿にするような態度をとっているのですが、ユーリが団地を宇宙船に改造した後にやってきて、その宇宙船内でハイになりくるくると何十周もまわり始めます(その行為をなんとかと言っていたが忘れた)。

このダリのような人物がいるいないは映画の質を左右する決定的な要素です。ただ、このダリ、まさしく団地が解体されるその瞬間、どうしていたのか記憶がありません。登場させていなかったのか、私が見落としたのか、もう一度見ないとわからないですね。

団地の修理に協力的なフサームという友人がいますが、解体が宣告された後は家族とともに退去していきます。現実世界の象徴です。

ディアナ(リナ・クードリ)というロマの少女がいます。団地の近くで、おそらく廃品回収業をしながらキャンプ(屋外生活という意味)生活をしているのだと思います。ユーリが団地の修理部品を手に入れるために知り合ったのでしょう、ユーリは恋心を抱いているようです。

団地が取り壊れる頃、ロマのキャンプも警察により排除されます。違法キャンプということでしょう。この背景にはパリオリンピックのためということがあるのかもしれません。ディアナたちロマはその地を去っていきます。

このディアナは現実そのものですが、ユーリにとってみればやはり部外者、たとえ互いに行為をいだきキスをすることがあっても、ユーリの非現実世界への訪問者でしかありません。実際、ユーリの宇宙船を訪れて驚き感動するしかなく、その後ユーリが団地を宇宙船に改造し宇宙に飛び出す瞬間もその隣りにいるわけではありません。

団地型宇宙船内は映像としてはもっと美しく、さながら温室のように植物が育ち昆虫など動物も生息しています。

そのまま三人で宇宙に飛び出すべきだったのかもしれません。しかし、映画はそうではなく、ディアナにはユーリを現実に引き戻す役割が与えられています。団地の解体のその時、元居住者たちが団地のまわりに集まります。フサームもやってきます。ディアナがユーリは?と尋ねますが見当たりません。その時、団地の電灯が点滅します。

モールス信号のSOSです。ディアナにはわかります。ディアナはユーリとモールス信号を使って、団地とクレーン(廃品の解体に使うのかどうか位置づけはよくわからない)の間で会話をしていたのです。

そして、ユーリはディアナによって団地型宇宙船の非現実世界から現実に引き戻されます。その後の展開をあまり記憶していません。

建物という記憶への鎮魂ファンタジー

コミュニズムが希望の時代がありました。ガガーリン団地はフランスでのその象徴でしょう。そして半世紀、試みはことごとく失敗してしまいました。さらに、宇宙空間も夢の世界ではすまされない時代に入っています。

監督のファニー・リアタールさんとジェレミー・トルイユさんにとってガガーリン団地がどう見えているのかとても分かりづらい映画ではありますが、結果として、ユーリが現実世界に引き戻されてしまうことを考えれば、もうこの世界にユートピアをイメージすることは困難になってしまったことの現れなんだろうと思います。

そうしたユーリにとっても、またキャンプを追いやられたディアナにとっても、現実はこの先行き場のない世界にしか見えないだろうということです。ガガーリン団地のような公営住宅が行き場のない移民やアンダークラスと言われる人々の住居であるという現実がよく見えない映画ではあります。