パラレル・マザーズ

個の自由が血縁、愛憎を乗り越える

名前をみれば必ず劇場に足を運ぶ監督のひとり、ペドロ・アルモドバル監督の最新作です。「オール・アバウト・マイ・マザー」以降はすべて劇場で、それ以前のもので発売されている作品はすべてDVDで見ています。

この「パラレル・マザーズ」は、昨年2021年のヴェネツィア国際映画祭のコンペティションに出品され、主演のペネロペ・クルスさんが最優秀女優賞を受賞しています。

パラレル・マザーズ / 監督:ペドロ・アルモドバル

「パラレル・マザーズ」のアイデアは20年来のもの

アルモドバル監督へのインタビュー記事によりますと、この「パラレル・マザーズ」の最初のアイデアは「オール・アバウト・マイ・マザー」を撮っているとき(あるいはもっと前…)のものらしく、すでにそのときにペネロペ・クルスさんに話をしているとのことです。

ペネロペ・クルスさんは、その「オール・アバウト・マイ・マザー」では妊娠したシスターを演じていますし、その前の「ライブ・フレッシュ」ではバスの中で出産する娼婦の役を演じています。当時のクルスさんは22歳くらいですので、ジャニスではなくアナ役が想定されていたということになります。

その時に実現していればペネロペ・クルス妊娠三部作になっていたということです。冗談ではなく、アルモドバル監督にはクルスさんの妊娠した姿に何かが見えていたということでしょう。

結局そのアイデアが実際に映画になるまでに20数年を要したということになります。特別苦労したからかどうかはわかりませんが、2009年の「抱擁のかけら」のあるシーンの背景に、その時点での「パラレル・マザーズ」のポスターが貼られていたそうです。つまり、2009年にはあるところまで企画が進んでいたということです。もしそのまま撮影に入っていれば、クルスさんは30代後半になっていますので、きっとアナではなくジャニスの方だったんでしょう。

スペイン内戦

この「パラレル・マザーズ」は、アルモドバル監督にしてはめずらしく導入部分で若干政治性を感じさせています。その後は、直接その話題にふれることなく出産した子どもを取り違えられた二人の母親の話で進みますが、ラストはふたたびその問題の解決で締めています。スペイン内戦時の話です。

ジャニス(ペネロペ・クルス)はフォトグラファーとして成功している人物です。クルスさんにこの設定もめずらしいと言えばめずらしいです。産休後の復帰の際にはエージェントのエレナ(ロッシ・デ・パルマ)に販促商品でも何でも撮るからと言いますが、エレナはあなたの才能はそうしたものには似合わないと言われていました。

話がどんどんそれてしまいますが、このエレナをやっているロッシ・デ・パルマさんは、アルモドバル監督の初期の作品には欠かせない俳優さんで、カフェ(pubかもしれない)で歌っているところをアルモドバル監督に見出され(ウィキペディアから)、1987年の「欲望の法則」から1995年の「わたしの秘密の花」まで続けて5本の作品に出ています。

話を映画に戻しますと、映画冒頭はジャニスの撮影シーンから始まり、撮影後に被写体であるアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)に相談を持ちかけます。アルトゥロは法人類学者です。ジャニスは、スペイン内戦時に自分の曽祖父や故郷の村人が何人も連れ去られていなくなっており、虐殺されて埋められている可能性があるので調べられないかと言うのです。

スペイン内戦というのは、第二次世界大戦の数年前にスペインで起きた共和国政府(人民戦線)と民族主義派の反乱軍の戦争で1936年から1939年まで続いています。結局内戦は民族主義派の勝利で終結し、その後スペインは映画の中でも語られるファランヘ党のフランシス・フランコによる独裁政権になっています。フランコ独裁政権は1975年まで続きます。なお、クルスさんの最初の妊婦役「ライブ・フレッシュ」はそのフランコ政権下の1970年の話として始まります。

相談を受けたアルトゥロは、発掘の申請(国か州政府かにだと思う)を出して許可されれば自分が責任をもって担当すると約束します。その後映画は、二人が関係を持ち(愛し合い)ジャニスが妊娠するという流れになっていき、この問題はラストまで直接的な話題になりません。ですので、スペイン内戦の話が映画の主要なテーマというわけではありませんが、ラストシーンの、女性たちがスクラムを組んで(横に並んでという意味)発掘現場に向かうシーンにはアルモドバル監督の強いメッセージが感じられます。

アルモドバル監督は、自分は政治的なメッセンジャーではないが、自分の映画は常に自由という意味においては政治的だと語っています。

パラレル・マザーズ

ジャニスはアルトゥロとの子を妊娠します。アルトゥロは、妻ががんで入院しており、ジャニスを愛してはいるが、今は妻と別れられないので産まない選択もあるのではないかと言います。ジャニスは産む決断をしていており、結婚してくれと言っているわけではありませんのでおかしな理屈ですが、そこはこの映画のツッコミどころではありませんし、アルトゥロを遠ざけるためのドラマ上のやりくりみたいなものですのでさらりと流しておきましょう(笑)。

ジャニスは17歳のアナ(ミレナ・スミット)と知り合い、同じ日に出産し、同じように子どもが経過観察となります。結果として二人の子どもが取り違えられることになります。

後日、訪ねてきた(発掘の件だったと思う)アルトゥロが子どもが自分に似ていないと言い、ジャニスはあなた以外の男とは寝ていないと反論するものの心配になりDNA検査をします。結果は100%ジャニスの子どもではないとの結果です。ジャニスは思い悩みはするもののそのまま自分の子どもとして育てることを選択します。なぜジャニスがその選択をしたのかは描かれませんし、わかりません。

リアリズム、あるいは自然主義的な映画であればこうしたところがそもそもの描くべきテーマとなるのですが、アルモドバル監督の映画は違います。ですので、一見映画全体があらすじ的にも見え、映画のつくりもソープオペラ的に見えるのですが、明らかに見終えた後に残るものが違うのがアルモドバル監督の映画です。

一年後、ジャニスは住まいの近くのカフェで働くアナと出会います。アナはジャニスに会いたくて電話をしたがつながらなく(ジャニスは番号を変えている)、このあたりではないかと探してたどり着いたそのカフェで働いているのです。アナは自分の子どもが突然死で亡くなったと語ります。

アナの過去もアルモドバルらしい設定になっています。かなりややこしいですので間違っているかもしれませんが、アナの母親は若き頃から俳優をめざしており、家を出るために結婚を利用し、アナが生まれるもその後夫とうまくいかなくなり離婚、アナは父親のもとで暮らすことになります。アナ自身も父親との折り合いが悪く、その反抗心の現れのような形で男友達と遊ぶうちにレイプされ望まぬ妊娠をしてしまったという過去を持っています。その子どもをジャニスの子どもと取り違えられたということですが、その出産の頃に、母親には俳優としてのチャンスが巡ってきており、アナはいつも自分のことを顧みてくれない母親に愛憎入り乱れた複雑な感情を持っているという設定です。

アルモドバル監督は、登場人物によくこうした複雑な過去の設定をします。この映画では、さらに複雑な人間関係を持ち込みます。アナはジャニスに性的な意味も含めた愛情を持っているのです。

ジャニスはアナにベビーシッターとして住み込みで働かないかと提案し、アナは受け入れます。それまでもジャニスはアイルランドからの留学生を住み込みで雇っているものの適切な人物ではないという伏線がはってありますので極めて自然な成り行きです。

そして「パラレル・マザーズ」の生活が始まります。前後の記憶は曖昧ですが、まず、アナの積極的なアプローチにジャニスも応えて性的関係をもつ関係になり、また、ジャニスは秘密裏にアナと子どものDNA鑑定をし、ほぼ100%の確率でアナの子どもであるとの結果を得ます。

ジャニスはアナに事実を話します。そのきっかけにはアルトゥロの訪問と発掘の許可が下りたことが使われています。使われているという言葉はあまり適切ではなく、とても自然に疑問を抱かせないつくりでことは進みます。つまり、細部が説明されることなく、なのに不自然さがなく疑問を抱かせないドラマを作り出すアルモドバル監督ということです。たとえばこのシーンでは、ジャニスがアルトゥロと会って遅く帰ってきたことに対してアナに嫉妬させるといった具合にことを複雑化させます。

アナはショックを受け、ジャニスのもとを去ります。このシーンもアルモドバル監督にしか出来ないのではないかと思えるシーンです。アナはすぐに自分の荷物をまとめ、子どもをベビーキャリーで抱いて出ていこうとするわけですが、ジャニスはそれをごく自然な行為として手伝うわけです。さらに玄関先まで送るのです。映画としては、もっと濃密なシーンも考えられるわけですが、こうした情の溢れそうになるシーンでもアルモドバル監督は割とあっさり、それでも一定程度の感情表現を俳優に託して描くことが多いのです。

リアリズムの映画では、それを描かずして何が映画かとなるですが、アルモドバル監督の映画はそうではなく、対する言葉としては適切なものはないのですが、基本メロドラマであるもののその個別の情感を描かないことから不思議にも現実感が現れてくるのです。

さて「パラレル・マザーズ」はどうなるんだろうと思いますが、それは置いておいて(笑)、発掘が始まり遺骨が出てきます。そして、すでに書きましたように、その発掘現場に向かって抗議の意志を示すようにジャニス、エレナを含めた女性たち(後ろに隠れるように男たち…)が行進してくるのです。

「パラレル・マザーズ」が忘れられているわけではありません。突然でしたので前後どうだったか記憶がありませんが(笑)、ジャニスは妊娠しており、アルトゥロ、そして子どもを抱くアナ、アナの母親やエレナもいたかもしれません。全員勢揃いで居並ぶシーンで終わるのです(だっと思う)。

もう一度見よう(笑)。

個の自由が血縁や愛憎を乗り越える

結局、血縁や愛憎など人間を取り巻く様々なしがらみを個の自由で乗り越えるということだと思います。ただし、自由を抑圧する権力にはあくまでも抵抗する姿勢は忘れずにです。

最後に、やはりペネロペ・クルスさんはアルモドバル監督の映画が一番似合いますし、生きています。