ダークファンタジーというよりもジェントリーファンタジー
マッテオ・ガローネ監督は、自然主義的な社会派ドラマとファンタジーものを交互に撮るつもりなんでしょうか。
「ゴモラ」「五日物語 3つの王国と3人の女」「ドッグマン」、そしてこの「ほんとうのピノッキオ」です。
子ども向けなのか、大人向けなのか?
もし、ピノキオの物語は1940年のディズニーアニメ「ピノキオ」がオリジナルだと思っている(はないとは思いますが)、あるいは原作があることは知っていても読んだことがないということであれば、読まないまでも、ある程度原作のテイストを知ってから見たほうがいい映画だと思います。
私も後者の方で、ディズニーアニメも主題曲「星に願いを」の印象でしか理解しておらず、また原作がどういうものかも知らずに、マッテオ・ガローネ監督の作品であることやタイトルの「ほんとうのピノッキオ」であるとか「美しくも残酷はダークファンタジー」といった宣伝コピーから、まさしくこれまで知らなかった「ほんとうのピノッキオ」を教えてくれるものだとばかり思って見に行ったわけですが、やはり「ほんとう」が何かはわかりませんでした(笑)。
で、原作がどんな話なのかをあらためてあらすじなどググって読んでみましたら、ああそういうことかとやっとわかった次第です。
この映画は、原作を知っていませんと割と単純なファンタジーに見えてしまい人物の造形やビジュアルだけが印象に残る映画かと思います。ことし2021年のアカデミー賞で衣装デザイン賞とメイクアップ&スタイリング賞にノミネートされたのもそういうことからでしょう。
ですので、物語としては子ども向けに見えてしまうのにビジュアルとしては大人向けに見えてしまうという、やや中途半端に感じられる映画だと思います。
人形が人間になることとは?
原作にある物語の基本形は、人形のピノッキオが人間社会の善悪や価値観を学ぶことでやっと人間にしてもらえるというかなり教訓的な話のようです。その学びの過程でいろいろひどいこともし、欲望のままに行動して失敗をし、騙されて一度は死んだりロバにされたり、サメに飲み込まれてしまったりします。そしてやっと心を入れ替えて真面目に生きようとすると妖精が現れ、いい子になったから人間にしてあげようと言って人間にしてくれるという物語です。
これはまさしく我々人間がこの世に生を受け、物心がついて社会に順応する過程であると言えます。
人は生まれた時は全能です。そこから母を知り、父を知り、他者という存在を知っていくことでその全能感を失っていきます。自由を切り売りして社会性を身につけるようなものです。
人形が人間になるというのは、子どもが大人になることなんだろうと思います。
ピノッキオに悪童感はなく
ピノッキオの物語が様々に翻案されるのはその教訓性をどう描くかのパターンの違いじゃないかと思います。
この映画からはそうした教訓性はあまり感じられません。むしろ、ピノッキオからキスをされた相手が幸福感を得るような描写が2、3ヶ所あったりと、ピノッキオに悪童感はありません。ピノッキオが大人たちに教え諭される印象もありません。
ピノッキオの行動はほぼ原作通りではないかと思いますが、そこに善悪の価値観を押し付けるようなところはなく、ピノッキオの自由な行動を優しく見守っているような視点が感じられます。
この映画には押し付けがましさがありません。
ただ、それがゆえにファンタジーものには珍しくドラマチックさを欠いたところがあり、やや退屈に感じられる結果となっています。
貧しくてもみな優しく
映画は、ジェペット爺さん(ロベルト・ベニーニ)の貧しさの描写から始まります。
木工職人のジェペット爺さんがノミで木を削り、木くず(多分)を食べています。ややおどおどしながら町のオステリアへ入り、注文は?と言われても温まりにきただけと強がり、そのうち、机を揺すって壊れそうだから直そうと言いますが店主には壊れていないからと言われ、さらに椅子がガタついているから直そうと言っても大丈夫だと言われ、やむを得ず帰ろうとしますと、店主がパンとスープをおごりだと出してくれます。
こうしたシーンから始め、映画全体を通してもほとんど悪意というものを感じさせないシーンばかりの映画です。
時代背景や小さな社会の中の話であるからとは言えいわゆる「共助」社会の物語のように感じます。
美しいイタリアの風景
ロケ地はイタリア南部のノイカッタロ、バーリ、プーリアの街並みやトスカーナ地方の風景が使われているようです。
美しいですね。
ギレルモ・デル・トロのピノキオ
ギレルモ・デル・トロ監督がストップモーション・アニメーションでピノキオを撮っているそうです。