ジョゼと虎と魚たち

(韓国版)ジョゼは自ら身を引いたのか、同情を突き放したのか

田辺聖子さんの原作も読んでいませんし、妻夫木聡さんと池脇千鶴さん主演の2003年の映画も見ておらず、昨年末に公開されたアニメ版はその存在すらも知らなかったという「ジョゼと虎と魚たち」初心者ですが、ざっとネット上の予告編やあらすじなどを読んでみますと、この映画は随分趣きが違うようです。時代の変遷や価値観の違いなどを考えるいい素材になりそうです。

2003年の犬童一心監督版は見てみようかと思いますし、原作も読んでみようかと思います。(これを書いている途中で読みました)

ジョゼと虎と魚たち

ジョゼと虎と魚たち / 監督:キム・ジョングァン

障害者の恋愛

下半身に障害を抱える女性と健常者の男性の恋愛映画です。

と書いてふと考えてみれば、映画であれテレビドラマであれ、このパターンの恋愛ものって、女性に障害があるケースが多くないですか。単なる印象ですので間違っていたらすみませんですが、もしそうだとしますと、そのこと自体が社会のひずみの現れじゃないかと思います。

それはともかく、この映画もほぼ予想されるドラマパターンで進みます。つまり、

  • 障害のある女性に男性が興味を持つ
  • 女性は心を閉ざしている
  • 男性が積極的にアプローチする
  • 次第に女性の心が開き始める
  • しかし、なにか問題が発生し、一旦関係が途絶える
  • しかし、どちらかのアプローチで再会し、問題を乗り越えて結ばれる
  • しかし、幸せな時は長くは続かず、やがて別れる
  • しかし、ふたりの思いは変わらない

この後半の「しかし」がドラマとしての見せ場になるということだと思います。また、ラスト2つの「しかし」があるなしで悲恋とハッピーエンドに別れるということになります。

で、良心的な映画であれば、その「しかし」の部分で、男性の側に同情があるのではないか、女性が心を閉ざすのはなぜか、そしてそれらを含めて社会の目に問題はないのかなど「障害者の恋愛」に対してきっちりと正面から向き合う描き方がされるだろうと思います。

価値観が一昔前のもの

良心的かどうかなどという問題の立て方をしてしまったことはちょっとよろしくなかったのですが(ペコリ)、その点この映画がどうかかと言いますと、上に書いた問題意識はあるようには感じますが、その問題に向き合うことなくあっさりと結論を出してしまっています。

ジョゼに「もう私はひとりで大丈夫」と言わせ、あたかもヨンソクの幸せを願って自ら身を引いたかのようなエンディングになっています。また、ヨンソクは「別れたくない(そんなような台詞)」と言いながらも、別の女性と結婚しようとしています。

かなり古い価値観の映画だと思います。

この映画が韓国、あるいは日本で評価されるとするならば、そうした価値観が許容される社会だということになります。

障害者が、自分と健常者が結婚、あるいはともに生きることを選べば健常者にとって不幸なことであるかのような物語が、純愛物語の美名で覆い隠されることは決してよいことではありません。

つくりは大人の映画

という内容の映画だと私は思いますが、ただ、映画のつくりは美しいですし、うまいです。

大人の映画です。説明的な描き方を排して、丹念に物や風景のカットを積み重ねて物語を生み出そうとしています。じっと見つめていますとどんどん映画に引き込まれていきます。

ジョゼ(ハン・ジミン)の語りから入っています。自分の父親がブダペスト(だったか、ブカレストだったか、ハンブルクだったか?)で云々であったり、フランソワーズ・サガンの「一年ののち」からの引用が入っていた(かも知れない)と思いますが、その背景の映像がジョゼが日常目にしている物であったり風景であったりのカットで構成されていたと思います。(記憶にちょっと自信がない)

そうした映像構成が映画全体で頻繁に使われています。とても効果的です。

一転して、かなり高い位置からの俯瞰の画で、ジョゼが車椅子とともに倒れて動けずにいるところへヨンソク(ナム・ジュヒョク)が通りかかりるシーンへと入っていきます。

テンポはゆったりしていますし、言葉での説明は少ないです。

ジョゼのミステリアスさがとてもいい

早速原作を読んでみましたが、ジョゼのキャラがまったく違います。と言うより、物語自体からして全然違います。この映画のような恋愛ものと言うよりも、ジョゼの世界観を描いている小説です。

とまあ、原作とはまったく違うジョゼではありますが、映画としてはとても素敵なジョゼでした。この映画のジョゼはミステリアスです。ひとりで生きてきた力強さがあります。ひとりで生きていくことをマイナスに考えない大きさがあります。

その意味では、先にジョゼが自ら身を引いた古い価値観と書きましたが、さらに一歩進めれば同情する男を拒んだ女性ととることができるのかもしれません。

ジョゼを演じているハン・ジミンさん、いいですね。えー、1982年生まれの38歳ですか。20代かと思って見ていました。

ジョゼは言葉に生きる女性です。本を読むことで多様な感性を身につけ、本を読むことで世界中を旅し、本を読むことで世界を、そして人生を理解します。

男は凡庸

それに対してヨンソクは凡庸です。性格はいいのでしょうが、優柔不断タイプです。

教授と表に出せない性的関係を持ち、講義で知り合った女子学生からのアプローチにはあいまいな態度で接し、ジョゼとの関係が自分にとって何なのかを自ら見つめようとせず、すべて流れにまかせています。

ジョゼに、行かないで、一緒にいてと言われて関係を持つって、これは愛情ではないですね。

やはり、この映画、ラストシーンでジョゼが自ら車の運転をしているところを見ますと、ジョゼがヨンソクのまやかしの愛情を突き放した映画かもしれません。婚約者と一緒にいて、別れたジョゼのことを思って涙を流すって、美しいシーンじゃないですね。

批判は出来ませんが(笑)、ダメな人間の典型でしょう。

同情? 愛情?

ヨンソクが頻繁にジョゼのもとに通う理由が何であるかを、同情であるとか、愛情に向かう好意であるとか、ひとつの言葉で語ることはそもそも無理だと思いますし、また同情と愛情が相反するものでもありませんので、それをヨンソクの行動で描いていくことはかなり難しいですし、それをやりますとかなりベタになると思います。

この映画は、それを後に婚約者となる女子学生を登場させることで映画のトーンを維持しつつうまく表現しています。

この女子学生、公式サイトにも名前も俳優名もありません。その女子学生はヨンソクがジョゼのもとに頻繁に通っていることを知り、自分のおばがボランティア活動で障害者へのサポートをしていると話し、ジョゼの家にトイレや浄水器などの取り付ける段取りをします。

その時、ジョゼはヨンソクと女子学生が親しく(と言うほどでもないけど)話をしているところを見ます。ジョゼはヨンソクにもう来ないでと突き放します。

この時、ジョゼが何を思ったかを映画は語っているわけではありませんが、単に嫉妬的なものと考えてしまえばあまりにもつまらない恋愛ものになってしまいます。映画のつくり手がどう考えたかはわかりませんが、ジョゼにとってみれば、自分とヨンソクふたりの関係の中にそれが誰であれもうひとり入ることで社会の眼を意識することになるのではないかと私は思います。

ヨンソクはここでも優柔不断、しばらくジョゼのもとから足が遠のくことになります。そして、おばあさんの死があり、ジョゼは一人暮らしとなります。ヨンソクは久しぶりにジョゼを訪ねますが、って、ダメでしょう、久しぶりじゃ、と私は思いますが、ジョゼは強い口調で帰って!と返し、相変わらずのヨンソクは素直に(オイ、オイ)帰ろうとします。ガチャガチャと扉があき、振り返るヨンソクにジョゼの姿が目に入ります。

件のドラマなら、チュクチューンですが、この映画は静かに静かに進みます。

そしてふたりは結ばれ、ヨンソクはジョゼのもとで一緒に暮らすことになります。

そして、5年後

本当はこの5年が重要なんですが、一気に飛びます。

ジョゼとヨンソクはスコットランドへ旅行し、丘のベンチにふたりで座り海を見ています。カットが変わり、そのベンチにはジョゼひとりになっています。

多分、最初の頃にヨンスクがジョゼにスマートフォンでストリートビューを見せているシーンがありましたので、本ならぬスマートフォンで旅行を体験したという表現だとは思います。

そしてすでに書きましたように、ヨンスクと女子学生が婚約中であるらしく結婚式の話をしながら車で走っています。信号で停止しますとその横にジョゼが運転する車が止まります。ヨンスクとジョゼが交互にお互いを見ます。そしてヨンスクは涙を流します。

原作の「虎」と「魚たち」

スコットランドへの旅行の中のシーンだったと思いますが、水族館で魚を見るシーンがあります。それに書いていませんが、ヨンソクと一旦別れた後だったかにジョゼが家の中から塀の穴の外に虎を見るシーンもあります。

この映画においては、タイトルの「虎」も「魚たち」もあまり重要な意味をもっていません。タイトルとのつじつま合わせでしかありません。

原作での「虎」は、ジョゼが恒夫に動物園へ連れて行って欲しいと言い、虎の猛獣舎の前でジョゼが言います。

「夢に見そうに怖い…」

「そんなに怖いのやったら、なんで見たいねん」

「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。…そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。(略)」

そして「魚たち」は、水族館で魚たちを見た夜、ジョゼが目を覚まし、窓の外からの月の光の中に自分と恒夫がいる様子を水族館の魚のように感じ、

ー死んだんやな。とジョゼは思った。

となり、

ジョゼは幸福を考える時、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった。

と終わります。

映画は原作とはまったく違う物語です。

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

  • 作者:田辺 聖子
  • KADOKAWA

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